56 相原花菜が幸せになれない理由
「みっともないところをお見せしました……」
落ち着いた響が、花菜に対して謝罪していた。
この年になって人前で大泣きすることなどないだろう。
響に少しいたたまれないような空気が見て取れた。
「全然だよ。響ちゃん、大丈夫?」
「うん、もう大丈夫……」
落ち着いた響は、現在花菜の部屋で濡れたタオルを目元に当てていた。
ボロボロになったメイクは、とりあえず洗面所で全部落とした。
再発してはと、別にタオルも念のため用意してある。
「花菜は私があのころの響だって、知ってたんだ……」
「そうだねぇ……一年のころから知ってたねぇ……」
花菜は観念したといったように、響の疑問に答える。
先程バレてしまったので、これ以上隠すのは憚られた。
「えっ、ズルい……。なんで言ってくれなかったの……⁉ いや、でもそうだ……気付かない私が悪いんだ……」
その後多少落ち着いた響だったが、絶賛ネガティブモードは継続中のようだった。
「こんなに自分が憎いって思ったことないぃ……」
花菜が思い出のはなちゃんだと気付くことができなかったのが、よほどショックだったのか響は本気で歯噛みしているのが見て取れた。
「まぁ、私って成長期で結構変わっちゃったから……」
あのころの花菜は成長期前で、随分小柄であったし顔だちも幼かった。
髪色も違い腰まで届く長髪で、目元も輪郭も隠れ気味である。
内向的であった性格も相まって顔は少し俯きがちであるし、目は少し伏し目がちだった。
すなわち外見の特性上、今の相原花菜と繋がる要素があまりに薄かった。
「でも、分かってたら……花菜をこんなに傷付けることにはならなかったのに……」
響は自責の念に耐えられないといった風である。
「これだけ花菜といて、気付けていない私はさぞ滑稽だったでしょ……ハハハ……」
響の口からは乾いた笑いが漏れる。
「そんなことないよぉ……!」
花菜としては、響が気付いていないことで大いに助かっていた。
気付かれていては、一大事であったのだから。
「思えばヒントなんて山のように転がってたんだ……。なんか響ちゃんって呼ばれるのも既視感あったし、花菜って素の私になっても然程驚かないし好きなままだし……!」
響は一人で答え合わせを行い、悔しさが増していくのを感じているようだった。
「響ちゃん、あまり自分を攻めないで……。悪いのは黙ってた私だし……。私は響ちゃんが気付いてないのをいいことに、好き勝手やってたことになるから……」
「いーや! 私気付かなかった私が悪いよ! なんなら、なにも言えずに引っ越した私が悪い! そうだ……。そういえば、あの家なんで誰もいなくなってたの⁉」
響の自虐がエスカレートしそうになったところで、はたと気付いたように話題が変わった。
「えっ響ちゃん、あの家に行ったの?」
「うん、中学のころに。行ったはいいものの家には誰もいないしさ……。昔の知り合い捕まえたところで知らないって返されるわ……。周りの人に聞いても、なんかお年寄りばっかりで要領を得ないし……! というか、あそこの土地は家から家までが遠い!」
響曰くド田舎である土地は、近隣の住民の家屋までが遠いケースが多い。
子供の足では、限界があっただろう。
「私が芳川の娘だって言っても信じてもらえなかったりもしたし……」
「響ちゃん、綺麗になってたからだよぉ……」
閉じた土地ということもあって、信じてもらえなければ警戒もされたであろう。
「結局会えないどころか、消息の手掛かりすら分からずに帰る羽目になった……。 中学生一人旅じゃ限界だった……」
「えっ、一人で行ったの⁉」
中学生にしては、結構な距離を旅したはずである。
花菜は衝撃の事実に驚きの声をあげてしまう。
「もちろんだよ……親には頼れなかったから……」
響は苦虫を噛み潰したような表情でそう付け加えた。
なにか事情がありそうだったが、詳しく聞くのは憚られた。
「えーっとそれに関してはね……。私は小さいころ長期休暇中、お婆ちゃんの家に預けられてたんだけど……。お婆ちゃんもいい歳だからって、伯父さんの家に引っ越しちゃったから……。そのちょっと前ぐらいから、私も丁度手がかからない歳になってきたからって行く機会も少なくなっちゃってたけど」
花菜はそう言って、響が会えなかった種明かしをする。
預けていたのは両親が共働きなのもあったが、祖母に孫を会わせてあげたいという意向もあったと聞いている。
「私がいなくなったタイミングぐらいに、はなちゃんも来なくなってたってこと⁉」
「一年ちょっとぐらいは響ちゃんいない時間を過ごしたよ……」
小学校高学年ぐらいまでは祖母の家で過ごしていた。
伯父夫婦の家は祖母の家から車で数時間ほど行った少し開けた場所にあり、今でも長期休暇の際に顔を合わせることはある。
「それに関しては、申し開きもございません!」
「響ちゃん、悪くないし……。それに、その間に結構お婆ちゃんにお料理とか教わって今の私があるし……」
「花菜の料理って、元を辿るとあのお婆ちゃんの味なんだ……」
響も花菜の祖母とは面識があった。温厚で優しい人である。
「響ちゃんがいなくなったあと、強くならなきゃって思っていろいろ頑張ったから……」
「あっ……うん……。なんか、本当にごめん……」
「だから、いいんだって。あのころの私って、かなり内向的な性格だったし。頑張って直そうと思うぐらいが丁度よかったんだよぉ」
小さいころの花菜は引っ込み思案な性格が輪をかけたような内向的な性格で、一人で遊ぶことが多い大人しい子であった。
和樹や他の子に誘われて受動的にみんなで遊ぶことはあったし、習い事もしており交流もあった。
然程社交性がないわけでもなかったが。
「それで口調も違ってるんだ……」
「響ちゃんと一緒にいたときって、どうしようもないぐらいボソボソ喋ってたもんね」
あのころの花菜は発声が小さく、授業で当てられるのが苦手なほどであった。
「いや、凄くかわいかったよ。一人称が自分呼びなのもよかった」
「ええっ……」
しかし、どうやら響にとっては囁くように喋っている花菜はかわいく見えていたらしい。
甚く真剣な顔で返す響に対して、花菜はたじろいでしまう。
「花菜が私の耳元でかわいく囁いてくれていたら気付けたかもしれないのに……」
「そんなこと言われてもぉ……」
花菜は以前と比べてハキハキと喋るようになっているので、かなりイメージが異なる。
響が気付けなかった要因の一つであろう。
「そういえば髪も長かったのに、どうして切ったの?」
響が花菜を認識できなかった、もう一つの要因である髪型について言及する。
昔の花菜は今の響ほどの長さがあった。
「えっ、響ちゃんに失恋したからだよ?」
花菜はこともなげに告げる。
「あっ……その……」
もちろんだが、響はいたたまれない。
「あのあと、響ちゃんと会ってなかったもんね。私おませさんだったのかな? なんか失恋したら髪を切るっていう行為自体を、とにかくやらなきゃって……」
「そっ、それは申し訳なっ……」
響が言葉に詰まっている。
今となってはかもしれないが髪は女性の命などと言われている。
その責任を感じてしまっているのがありありと伺えた。
「今の髪型気に入ってるからいいよぉ。お母さん、当時はちょっと残念そうだったけど」
花菜は対照的に本当に気にしていなかった。
響としてはこればかりは切るなとは言えず、黙するしかなかった……。
「あっ、えっと……。これでも、私は響ちゃんには感謝してるんだよ?」
落ち込む響に対して、フォローのような花菜の言葉がかけられる。
「長期休暇のときに響ちゃんが連れ出してくれてたあとは、いつもより元気になったって家族が嬉しがってくれたし」
家族に対して響のことを話すときの花菜は、いつもと違って少しだけ高揚した面持ちだった。
事実、響と会うごとに内向的だった性格も徐々に変わっていっていた。
「響ちゃんが連れ出してくれなかったら、私ずっと家にいたかもしれなかったし。私、響ちゃんにいろんな所に連れて行ってくれるのが嬉しかった」
花菜にとっては響に連れられて行く場所は新鮮だった。
近所でおもちゃを使って遊ぶことも多かったが、田舎だったので行くところは専ら森の中や小川などであった。
森の中に至っては、響が地元住民の土地勘でもってかなり奥まで連れ回された。
誰も知らない秘密基地だと、木で組んだ小さな小屋とも言えない場所を紹介された。
「響ちゃんとお別れして強くなろうって思えたのだって、響ちゃんと一緒にいたときがあったから。そのステップがなかったら、私はあのころのままだったかもしれない」
花菜は大切に仕舞っていたものを取り出して、愛おし気に眺めるようにそう言った。
「だから、ありがとう響ちゃん。私はもう響ちゃんからたくさん貰ってるの。だからね。だから、もういいんだよ」
花菜が紡ぐ二人の思い出話だったが、結局口から出たのはやはり響に対する諦めの言葉だった。
「えっ……いい思い出で、いい感じにに結ばれる流れだったじゃん……」
「そうはなりません」
花菜の言葉を受けて、響は歯噛みする。
「そうなってよ! っていうか、花菜の話を聞けば聞くほど一年のころから私に話しかければよかったじゃん!」
恨めしそうな、そして諦めまいとする視線が花菜を見詰める。
花菜は深い息を一つ吸い込むと、真剣な瞳でその視線に応じた。
「あのね……響ちゃん……。響ちゃんが今の私も昔の私も大切に思ってくれているのは分かるから、私も理由をきちんと話すね……」
「うん……」
「まず……第一に私は女性が好きだから……今の響ちゃんとは関わらないでおこうと思っていたの……これが一点」
相原花菜が幸せを望んでいない理由の一つを話す。
「そして……そんな人間に数年会ってない状態で……ずっと片思いされていたという事実が気持ち悪いのではないかと思ったというのが……二点」
「ええっ……」
相原花菜が幸せになれなさそうな理由の一つが話される。
黙って聞いておこうと思っていた響も、これには思わず声が漏れる。
「それと、私は過去に響ちゃんに告白して振られているのが……三点目です……」
「えっ⁉」
響にとっても衝撃の事実が告げられる。




