54 好きな人の様子がおかしい
「響ちゃん、お待たせ。お菓子もありがと……う?」
花菜はいつも通りを心掛けようと、トレイを持ちながら扉を開けつつ部屋で待っていた響に声をかける。
「ああ、花菜。おかえり」
先程と変わらず朗らかな笑顔で返答する響。
その手には一冊の本が開かれていた。
花菜はその本に見覚えがあり、視線が響の手元と自身の本棚を往復する。
「花菜ってこういう本隠すの下手だね。この分なら、お母さんにもバレてるんじゃないの?」
「ええっ⁉」
本棚に忍ばせていた、花菜の秘蔵の本……女性同士の少しアダルティなあれやそれやが描かれているものが響の手の中でページが捲られていく。
花菜はお茶を載せたトレイを落としそうになるが、なんとか踏ん張った。
その後、花菜は極めて冷静になりながら歩いてトレイを机へと置いた。
「へぇ、花菜ってこういうのが好きなんだね。エッチ」
「全年齢向けです!」
相原花菜も思春期である。
そういったものには興味はあるので、許される範囲で入手はしている。
「それに……それはその……そういうシーンは情緒であって……。物語全体のスパイスなの……」
「ちょっとエッチな少年漫画とは違うの?」
「ち……がわないかもしれないけれども……! 全年齢のものだって、そういうシーンがある作品なんてたくさんあるでしょ……!」
花菜にも作品に対して譲れない矜持があるのか否定しかけるが、他作品もそういうものは大切なものなのだろうと否定はできない。
その代わりに、言い訳染みた言葉が続いた。
「というか響ちゃん、人の本棚を勝手に漁るなんてよくないと……思うよぉ……⁉」
「普段の私なら、確かにそうだと思うけど。今の私って余裕がないから。ごめんごめん」
余裕綽々といった顔で本を覗き込みながら答える。
とてもではないが、花菜からは余裕がないようには見受けられない。
どういうつもりで自宅まで押しかけたのか問うつもりだったのが、先程から響にペースを掴まれてなにも聞けないままである。
「やっぱり花菜ってこういうのが好きなんだね。よかった」
「なにもよろしくないよぉ……」
花菜の中ではよろしかったことなど一度もないし、よろしくないから現状こうなっている。
「私なら、こういうことをしてあげられるよ……」
「なにを言ってるの響ちゃん⁉」
響の突然の提案に思わず声を荒げてしまう。
「私ならどんなことされたって構わないよ? どんなことだってしてみせるよ?」
本から顔を上げ、微笑んだ響の瞳が花菜を見詰めた。
「花菜はこういうことしたい? それともされたい? それともどっちも?」
「いや、そんな……」
「もっと、言えないようなこともしたかったかな?」
そう言うと、響は本を閉じてベッドに置くと立ち上がった。
狭い部屋なので、花菜との距離が一気に近くなる。
「ひっ、響ちゃん……?」
「私なら叶えてあげられる」
響が花菜の方へと一歩、にじり寄った。
花菜は後退するも、直ぐに背の低いチェストに行き当たる。
「花菜のしたかったこと、したいこと……なぁんでも……」
花菜の耳元で囁くように妖艶な声がする。
「花菜が一方的な……都合のいい関係でいいんだよ?」
至近距離に響の……いつもよりメイクで整った美しい顔が見える。
花菜はクラクラしてしまいそうになる。
「そっ、そんなこと言っちゃダメ……」
「自分を大切にしないといけないとか、花菜は幸せになっちゃいけないとか?」
響は花菜の言い分を先回りしてくる。
「大丈夫だよ花菜」
響はニッコリと微笑んだ。
その無邪気な微笑に、花菜は毒気を抜かれたように見惚れてしまった。
「よくよく思い直してみると、花菜が私のものにならないのが我慢ならないんじゃなくて……私が花菜のものにならないことの方がよっぽど我慢ならなかった……」
「ふえっ⁉」
「だから、私が花菜と結ばれなくても物のように扱ってもらったらいいって……。花菜の物にしてもらえばいいんだって……気付いたの……!」
「…………。えっ、ちょっと……待って……。言ってる内容に着いていけない……」
「だって花菜は幸せになれないんでしょう? 花菜の幸せは私と付き合う……いや、広義的には好きな女性とお付き合いして幸せになるかな? でも、この場合は私は物として消費されるだけで、花菜は幸せじゃなくて嬉しさを得る! 私は花菜と一緒に居られて幸せを得られる! ほら、なにも間違ってないって!」
「もっと着いていけなくなったぁ……」
「花菜は私のことを都合のいい女として使ってくれて構わないから! 私、捨てられないように一生懸命頑張るからね!」
花菜の顔から血の気が引いていく。どころか、少し眩暈がする。
ということは、先程から自分がドキドキしているメイクした響もその努力の一環なのだろうかと思い至る。
誤った悔しさなのだろうが、あまりにも正解に近くてこれはこれでと心の中で歯噛みしてしまう。
「服装もいつもみたいな服装じゃダメかなって思って変えてみたんだ……。花菜がかわいいのも似合うよって言ってくれてたから……」
「ぐうっ……!」
これはデートのときに言っていたので、なにも否定することができない。
いつもの響も花菜は好きなのだが、今の響も姿も好ましく思っている。
こんな状況でなければ非常に喜んだかもしれない。
「私、今日は勝負下着着てきてるから……。今押し倒してくれても構わないよ……。あっ、私が押し倒した方がいい?」
「いや、しないし! しないでね⁉ というか、お母さん下にいるからね⁉」
「というか、この部屋……さっきから花菜の匂いに包まれておかしくなりそうなんだ……」
「ぐっ……。いや、帰ってきて響ちゃん!」
花菜もそこそこ匂い好きなところがあるので、若干理解が先立ちそうになるが……状況を思い出して踏み止まる。
「花菜って、見るのとか……好き?」
「本当に帰ってきてぇ⁉」
「帰るもなにも……。これが本当の私なんだよ。花菜が気付かせてくれたの」
「ああっ! 以前の響ちゃんに戻ってっ!」
花菜は響の肩を掴んで強引にベッドへと座らせる。
その際、チェストにぶつかり何かを倒したようなパタンという音がしたが必死になっている花菜の耳には入ってこない。
「やん、花菜ったら強引♪」
「そこ、喜ばないでぇ⁉」
正気を取り戻させようとした行動が、響の喜悦に触れる。
花菜は持ってきたトレイからお茶を取ると、強引に響へと差し出す。
「はい! これ飲んで! 落ち着いて!」
「えーっ……じゃあ、とりあえずいただくね。ありがとう」
「お菓子も! お持たせだけど! 食べて! 落ち着いてぇ……!」
花菜は言葉を絞り出し響がお茶を口にするのを見届けると、学習机の椅子に力なく項垂れるように座った。
目まぐるしい展開に頭が追い付かない。
花菜自身も一旦落ち着かないと、今の響に対抗できる気がまったくしなかった。
問題の響の方に目をやると、何故かお茶を飲むのを止めて花菜の部屋の一点を凝視していた。
その目は真剣で、先程までの微笑も消えている。
(?)
花菜は疑問に思い、視線の先を辿るとチェストの上の写真立てがあった。
家族との写真が立ててあるのだが、それが先程の衝撃で一つ倒れて後ろにある別の写真立てが露わになっている。
「ああっ!!」
この日一番大きな声が、花菜の口から漏れた。




