51 初めて訪問を受けるわけです
花菜は目を覚ますと、昼を回って時間が経ったころだった。
眠ることはできて、嫌な現実と向き合う時間をスキップすることはできた。
だが、やはり残酷に時間はいつでも平等にやってくる。
「ふわぁーぁ……」
花菜は伸びをすると、長い間寝ていた凝りを解す。
(こんなに寝たの……いつ以来だろう……)
子供のころは、休みの日によくお昼寝をしたような記憶がある。
ちらりとベッドからチェストの上の写真立てを見やる。
そこには家族で写っている写真が何枚か飾られている。
古いものから新しいものまで。
古くなったものは、裏に追いやられて見えなくなってしまっていた。
その写真の中には、小さい頃に撮った写真もある。
(フフフ……)
花菜は自嘲の笑みを浮かべると、身体を起こした。
(起きよう。お母さんとお父さん、これ以上心配させちゃダメだ……)
億劫ではあったが、このまま横になっているのも父母を心配させてしまう。
(少しずつでも、立ち直っていこう)
着替えようかと思ったが、今の花菜はそこまでは面倒だったので横着してパジャマのまま部屋を出た。
階段を降りて洗面台に行くと、顔を洗って寝癖を直した。
こんな心境でもいざ動き出してしまうと身体は空腹を訴えてきていた。
(体と心ってアンバランスだなぁ……)
そう思いながら、キッチンへと歩を進める。
「音がしたと思ったけど、花菜ちゃん起きてきたのね。おはよう」
「おはよう……っていう時間じゃないけど……」
キッチンに入ると、なにやら作業をしていたのか母親と出くわした。
「フフフ、そうね。随分とお寝坊さんね」
「ご飯なにかある?」
「朝ご飯のサラダと卵、トーストは今から焼くわよ」
「お願い」
「マーガリン? ジャム?」
「ジャムで。ブルーベリーがいい」
「はいはい」
娘の調子がいつものように戻ってきていることに気をよくしたのか、母親は花菜からの注文を機嫌よく受け取る。
花菜もそれが分かったのか、努めていつも通りに振る舞っていた。
手伝おうかとも考えたが、今は母親の好意に甘えようと思った。
「お父さんは?」
「お父さんなら、お友達と約束があるからって出掛けたわよ」
和樹の父である吉田のおじさんだろうかと花菜は考える。
仲がいいので、昔からよく休みの日には個人や家族ぐるみ問わず出掛けることがあった。
暫くキッチンの椅子に腰かけていると、チンと音がしてトーストが焼きあがったのが分かった。
それとときを同じぐらいにして、レンジの音もした。
こちらは、卵料理などを温めていたのだろう。
「はい、お待ちどうさま」
母親が料理をテーブルに運んできてくれる。
「ありがとう、お母さん」
朝食だったものを受け取ると、花菜は手を合わせて食前の挨拶をした。
母親は、いつもの向かいの席へと座る。
花菜はジャムを塗ると、もそもそとトーストを食べ始めた。
花菜としては、母親に心配をかけた後ろめたさがあるのでなにも言えないのだが……こうやってジッと見詰められながら食べるのは緊張してしまう。
「あ母さん、私なんか気にしなくていいよ? ほらっ、なにかしてたでしょ」
「花菜ちゃんなんかじゃないわよ。花菜ちゃん以上に大切なことなんかありません」
軽い感じで返してみたが、母親は頑として引く気は無いようだった。
「私、大丈夫だから。本当になにもないから」
「本当かしら……?」
花菜がこれまでいい子過ぎたことが災いしてか、この程度の言い訳では今回の疑念を晴らすことができない。
「大丈夫? 花菜ちゃん、学校でいじめられたりしてない?」
「そんなことないよぉ……。友達だっているし、楽しいよ」
親らしい当然の疑問であろう。
娘が突然塞ぎこんでしまったら、そういったことを疑う。
花菜もここは否定しおかねばと、当然頭を振る。
「そうよね……最近はお友達の家に遊びに行ってて、今までにないぐらい楽しそうだったものね……」
その友達と言っていた人物とはもう会うことはなくなるとは口が裂けても言えない雰囲気になってきており、花菜は少し胃がキュッとする。
ピンポーン。
そのとき、相原宅に来訪者を告げるインターホンの音が鳴り響いた。
「あら、誰かしらこんなときに」
「お父さんがまた、なにか通販で頼んだのかもしれないよ」
「お母さん、ちょっと出てくるわね」
そう言い残すと、母親は室内インターホンのあるリビングに向かっていった。
花菜は母親の追及から一時の解放を得られ、ホッと胸を撫でおろす。
言い訳の理由など考えず、とにかくここはなにもないと言い切るしかないかもしれないと心中で開き直ろうとしていた。
「花菜ちゃーん」
そんなことを考えていると、母親がキッチンに戻ってきた。
来客の対応をしたには早すぎる。
間違い訪問かなにかだったのだろうかと花菜がのほほんとサラダを口にしていると……。
「ほら、この前の美人なお友達。花菜ちゃん最近いつもお邪魔してるのよね?」
「⁉」
花菜は驚きのあまり、思わず口にしていたサラダを噛まずに飲み込んでしまった。
「芳川さん。花菜ちゃんいらっしゃいますかって。どうする?」
「うぇっ⁉」
母親の口から信じられない発言が飛び出してきた。
自宅は割れているのだから……こうなることは予測するべきだったと考えるのだが、それは本当にそうなのかと思う自分の心も花菜にはあった。
先程の件で今である。
ここは自宅なので逃げ場はもちろんない。
帰ってもらうにしても、響の性格上再度来訪する可能性が高い。
何度も避け続けられるものではないのは自明の理である。
「花菜ちゃんが調子悪いなら、いいのよ? でも、花菜ちゃんが最近お世話になってるのよね? そのまま帰っていただくなんてあれだし……。上がってもらって、お母さんとお話してもらっちゃおうかしら」
更にとんでもない提案が飛び出して、花菜は慄くどころの騒ぎではなかった。
現状の花菜のヒントが得られ、日頃の感謝もできて、最近の花菜はどうなのかまで分かると母親は一石三鳥ぐらいのつもりでいるのかもしれない。
花菜は、それだけは非常に危険なことに感じた。
響がどういう行動に出るにしろ、この母親と二人きりになどさせてはいけない。
「会うっ! 会うから! リビングで待ってもらって! 」
背に腹は変えられないとばかりに、花菜は母親へと告げることしかできないでいた。
「あら、そう? じゃあ待っててもらう間に、お話ししちゃおう」
母親はそう言うと、響を迎えに行ってしまった。
「⁉ お母さん! 変なこと話さないでよ!」
花菜は母親に釘を刺しながらも、急いで食事を口に運んだ。
頭が混乱して、口の中のトーストとサラダの味が分からない。
「いらっしゃいませ」
「お邪魔します、こんにちは。花菜さんには、いつもお世話になってます。芳川響です」
「いえいえ、こちらこそいつも花菜がお世話になって。頻繁にお邪魔して、迷惑じゃないかしら」
「いえ、花菜さんにはいつもよくしてもらっていて。むしろ、大歓迎です」
「そう思ってもらえているならよかったわぁ。あら……そういえば芳川さんって、響さんっていうのね……」
「はい、そうです」
「そうなのねぇ……あらぁ……。あっ私ったらつい……立ち話もなんだから、上がって。花菜は準備に少しかかるから、リビングに案内するわね」
「ありがとうございます。あっ、これ詰まらないものですがよかったら。あと、これを花菜さんに……」
「学生さんなのに、わざわざありがとう。花菜が喜ぶと思うわ。あと、こっちはお花かしら……?」
そういった会話が玄関の方から薄っすらと花菜の耳に聞こえてくる。
気が気ではない花菜は、口の中に残った食事を牛乳で流し込む。
それでもまだ残っているトースト半欠けとブロッコリーに卵焼きは残酷に花菜の前に鎮座していた。
相原花菜は、元々食べるのが早くない。
それでも懸命にむしゃむしゃと咀嚼しながら残りを平らげていく。
その間、隣のリビングからは母親と響の談笑が聞こえてくる。
「あの子、最近どうかしら?」
「テスト期間は一緒に勉強したりしてましたよ」
「そうなのよぉ! この前のテストの点数、すっごくよかったの。あれも芳川さんのお陰ね」
「そんなことありませんよ。花菜さんの基礎の力があってこそですから。元々努力されていたんです」
「ウフフ、そう言ってもらえると嬉しいわぁ。そういえば最近晩御飯もそちらでいただく機会が多いみたいだけど、大丈夫なのかしら?」
「はい。ウチは花菜さんが来る時間帯には親がいませんし。いてくださると、私も嬉しいです。それに私は、花菜さんから料理を教わっていて」
「あら、花菜からも聞いてたけれどそうなのねぇ。手前味噌だけど、あの子本当に料理は上手なのよぉ。あっ芳川さんも寂しかったら、ウチにも食べに来てくれてもいいのよ?」
「それは嬉しいですね。ご迷惑でなければ、いつかご相伴に預かりたいです」
響の声音が猫を被っているときというより、いつもの調子のように感じられた。
今の響からは、妙に演技臭さも感じ取れない。
花菜の母親を前にしても、物怖じせずに話している。
このとき花菜は、いつもの響過ぎて逆に違和感を感じていた。
あんなことがあった後なのにだ。
自分の母親が今の響と話すという気恥ずかしさや危うさ以上に、なにか異常な気がしていた。
そんなことを考えながらも花菜は食事をなんとか食べ終わり、食器の跡片付けをする。
流しで洗い終えると、キッチンを後にした。
パジャマのまま降りてきていたので、このまま前に出るわけにはいかない。
そっと階段を登って自分の部屋へと戻る。
「張り切り過ぎないけど、ラフ過ぎない恰好……」
そう呟ぎながら、花菜はクローゼットをあさる。
響に選んでもらった服が目に留まったが、流石に今着るのは躊躇われた。
花菜は無難にワンピースを選択して、着替えることにした。
上からカーディガンも羽織る。
着替え終わると部屋を見渡した。
隠しておかないといけないような物がないか考えたのだ。
日頃から母が出入りするため、ある程度見られてはいけないようなものは目に付く場所には置いていない。
そして、逆に隠すならここという定番な場所にもなにも置いてなどいなかった。
(今から……どうこうするのは逆によくないかもしれない……)
相原花菜は木を隠すなら森といったようなタイプである。
急いで空白を作ってしまうと逆に怪しまれるような気がしてか、敢えて手を着けないことを選択した。
そこに浮いた存在があるより自然な存在がそのままある方が目立たない。
花菜もまさか響が家探しをするとは思ってはいないが、急場で隠すにしてもドレッサーか引き出し辺りになる。
空白の不自然さが、そういった場所を触らせるトリガー足りえるかもしれないと花菜は危惧した。
あんなことがあった後の、妙に不自然に感じる響に対して花菜はそう結論付けた。
ただ、一見冷静に見える判断も実際は全然冷静ではなかった。
花菜はこのとき非常に混乱と焦りがあり、簡単なことを見逃していた。




