45 響の告白
響は往々にして部屋に到着すると着替えるのだが、今日はそれも煩わしく思えて花菜への話を切り出した。
我慢ができなかったのもあったが、こういうのは早いに越したことはないという響の性格もあった。
「花菜……話が……あるんだ……」
「? なぁに……?」
響はクッションの上に座る花菜の前にスススと擦り寄って正座した。
そして、深い息を一つ吐く。
「えっ、なに? そんなに改まって……」
響の只ならぬ雰囲気に、花菜の方も背筋が伸びる。
「えーっ……この度は……なんと申し上げたらいいのか……」
「…………」
花菜は黙って息を飲むことしかできないでいる。
「えっと……花菜との関係を改めたいと言うか……なんと言うか……」
「…………。響ちゃん、私との関係に飽きちゃった?」
「違うよ⁉ そうじゃない……そうじゃないんだ……」
切り出しから盛大に誤解され、響の背中に冷たい汗が流れる。
花菜はこういう話題を想定でもしていたかのように冷静であった。
「違うの?」
「そう! まずは花菜に謝らせて欲しい!」
響は花菜の反応から、捻らず単刀直入に話題に入った。
「? 響ちゃん、なにかしたの?」
花菜は本気で分からないといった風に、響へと聞き返す。
「私は、ずっと花菜に不誠実だった……! 花菜に酷いことしてた! ごめんなさい! 」
響が花菜に向かって勢いよく頭を下げる。
ほぼ土下座の体勢である。
「ええっ⁉ なんで⁉ 響ちゃんは、ずっと私に誠実だったよ? というか、頭を上げて!」
「いや、嘘の恋人の関係を持ちかけるとか誠実な人間がすることじゃないよ⁉」
「それはでも……響ちゃんが嬉しくて、私も嬉しいから結ばれた関係だよね? そんなこと言ったら、私だって不誠実になっちゃうよ」
こんな自分を庇ってくれるなど、花菜は女神かなにかだろうかと響は感じ始めている。
「最初に脅したのは私だから……。なんとでも誹ってください……!」
「ええっ……。そんなことしないよぉ……。というか、頭を上げてよぉ……」
花菜は頭を下げたままの響をなんとかしようと必死である。
「こればかりは、花菜に許しをいただかないと! 私の人生前に進めないというか……!」
「そんなにぃ⁉ 」
響の想像以上に重い言葉に、花菜から思わずといった声があがる。
「じゃっ、じゃあ許します! 許すからぁ!」
「いや、そういう流しで許してもらうんじゃなくて……」
「ええっ……なんだか拘ってるぅ……」
響からの言葉に、花菜は困惑し通しであった。
「とにかく! 気にしてない! 気にしてないから! 今いたたまれない方が大問題なの!」
花菜はそう言うと、響の肩を持って強引に押し戻す。
響は、引き上げられるようにして体勢を元に戻された。
「むぅ……」
不服そうな響の顔が花菜の目に留まる。
「そんな顔しないのぉ!」
「分かりました……」
不承不承といった感じで響は頷いた。
「というか、なんで急にこんなこと言い出したの……?」
確信を突いた花菜の質問に、響は身体を硬くする。
「えっと……私は……花菜と……」
心積もりはあったものの、響は口籠ってしまう。
「高校を卒業してからも……いやその後も……一緒にいたいんだ……」
それでも、花菜の瞳を見詰めながらなんとか伝えたい言葉を口にし切ることができた。
「えっ……」
「ずっと一緒にいたいんだ……」
響は花菜の瞳から微細な揺れを感じたが、それも一瞬のことだった。
「響ちゃん、私と響ちゃんとは価値観が違うんだよ? だから、ずっとなんて一緒にいちゃダメ」
花菜は目を伏せながら、響に言い聞かせるように粛々と言葉を紡ぐ。
「特に、私は響ちゃんのことが……」
花菜はそれ以上を口にすることはなかった。
「それは……大丈夫なんだ……」
響は口の中が乾いていくのを感じている。
「私……も……。花菜のっ……ことが……。好き……なんだ!」
なんとか絞り出した。
響にとって、一世一代の初告白である。
響は真剣な瞳で花菜の瞳を見やる。
だが、なにか違和感があった。
響の言葉を受け止めた花菜に、動揺がまったく見受けられない。
むしろ、いつもより澄んだような瞳がこちらを射貫いていた。
「響ちゃん、それは一時の気の迷いです」
花菜は冷静に、響の言葉を一刀両断する。
「えっ?」
思わぬ言葉に、響は動揺した。
「思春期特有の錯覚だよ」
そう言われると、恋愛初心者である響は言い返しにくい。
だが、ここで引き下がることはできない。
「いや、いやいやいやいや! 私は本気だよ! 考えた上でのことだよ!」
自分とて熟考した上でのことである。
負けじと反論する。
「優しいからって、私に合わせてくれなくてもいいんだよ?」
「違うって、そういうんじゃないんだよ! 確かに、私は今まで不誠実だったけど……」
響は今までの不誠実な行いを顧みて、ぐうの音も出ない程内心打ちのめされる。
しかし、ここで負けてはいられない。
「そんなことないよ、さっきも言ったけど……響ちゃんは今日までちゃんと恋人役を誠実にこなしてくれました」
優しい声音で、花菜が今までの響を肯定してくる。
「いやっ…だから! その役を取ってね……。正式に恋人になりたいと……。花菜だって、本当に恋人だったらいいって……」
そこで、花菜はフッと笑った。
今まで見せたことがないような、少し遠くを見るような瞳。
だけれど、慈しみを持ったような瞳。
忙しなく変わる今まで見たこともない花菜の表情に、響の感情が追いつかない。
「響ちゃんは、私と一緒にいると……楽しい?」
花菜が響に問いかけた。
当たり前のことを。
「そりゃ……楽しいよ……」
花菜の変わりよう、そして当たり前過ぎる質問に困惑しながらも響は答える。
「それで、勘違いしちゃったの」
「いや……違くて……」
「響ちゃん、メッだよ?」
花菜は仕方がない子供を叱るような言葉でもって、響を諫めようとする。
「ええっ……」
「響ちゃん。私、今日はもう帰るね。私が言ったこと、一日よく考えて」
「ええっ? ちょっ、待って! 花菜⁉」
花菜は言い訳の暇さえ与えず、取り付く島がなかった。
その言葉が最後とばかりに、荷物を纏めて立ち上がる。
(とりあえず、引き留めないと……!)
響は慌てたので、足がつんのめりそうになりながらも立ち上がる。
スタスタと歩き去っていく花菜に向けて、手を伸ばしてその腕を取った。
「花菜、待って!」
「今日はお話することは、もうないよ」
今の花菜の言葉に棘はなかったが、先程のような優しさも感じられなかった。
「私は、まだ伝えたいことが……!」
「響ちゃん……腕、痛い」
そう言われて、思いのほか腕を強く掴んでいた自身に気付く。
響は咄嗟に掴んでいた花菜の腕を離してしまう。
「ごっ、ごめん……!」
「ううん、大丈夫……。それじゃ……」
腕が解放された花菜は、そのまま響の部屋を後にすると玄関までの道のりそのまま扉を開けて出て行ってしまった。
響は一度掴んだ腕を再度掴むのが躊躇われたため、花菜を引き留めることができなかった。
今までと違う雰囲気の花菜に対して声を発することもできず、呆然と見送ってしまう。
「花菜……どうして……」
響の呟きが、花菜のいなくなった部屋に漏れ出た。
どうしようもない感情が行き場を失くす。
自分が始めた嘘の功罪の天秤が、一気に傾いたような錯覚。
はち切れそうな程の焦燥感。
なにに縋ることもできない心は、部屋の時計の秒針の音と共にすり減っていくようだった。




