42 芳川響は自問自答する、そして気付く
花菜が帰って一人になってしまった部屋。
響は花菜から言われたことを考えていた。
花菜に二度と会えなくなったら、自分はどうなってしまうのだろうと響の脳裏に考えが過る。
以前から言われていたことではあったが、改めて突き付けられてしまった。
「花菜……」
ずっと一緒にいられると思った人の名前が口から漏れる。
(最初に高校の間だけの関係を望んだのは、利害の関係を望んだのは私の方だ……)
嘘の……仮初の恋人、弱みを握った秘密の約束の関係。
(花菜は私が好きで……それを利用して……)
最初は軽い気持ちだった。
あの頃の響は相手も自分のことが好きなのだから、一緒にいられたのなら楽しいのではないかと考えたのだ。
だから、関係も恋人である方が相手にとってよいだろうと提案した。
(というか素を見せてるんだから、自分で言っておいてあれだけど幻滅とかされるものでは……?)
素の自分を見せて脅迫まがいのことをしているのだから、嫌われてもおかしくないのではないだろうかと。
それに見知らぬ男子生徒に付き合わないのかと聞かれて、素の自分を見せたら嫌われると言ったのは自分自身である。
だが……花菜の反応を見るや、どうやら響自分はまだ好かれているようだと思われた。
これは、何度か口にして確認もしている。
(いや……なんで嫌われてないんだ……。花菜って案外面食いなの? いや、なんかそうじゃない気がする……)
顔と声……というか匂いまで好きらしいが、性格は今のままでもよいのだろうかと思考するのだが答えは出ない。
「んんーっ……?」
思わず呻き声が出る。
(ということは、花菜は私が今でも好きで……。高校までの関係と割り切っているってこと……?)
このとき響は、好きな人というのはそう簡単に諦められるものなのだろうかと考えて首を傾げた。
大体、自分が花菜を諦められなくて今悶々と悩んでいるのではないか。
(あれ? 私が花菜を諦めきれないって……。まるで、私が花菜を好きみたいじゃん……)
閃きに似た気付きを得る。
「ハハハ、まさかぁ」
思わず独り言が出て、部屋に反響する。
その後、響の思考が一時停止することになる。
(あれっ……ううんっ? 思い当たる節なら、あるけど……)
それは自身が感じた幼少期の執着に近いものではなかったかと振り返る。
(確かに……花菜のことは誰にも渡したくない……)
花菜が高校を卒業して響自身と袂を分かち、自分のことを忘れて新しい恋人を見付ける……そんなことを想像する。
「…………っ!」
響の胸をムカついたような感覚が襲い、肺腑を掻き毟りたくなるような衝動に駆られる。
思わず胸を押さえて蹲る。
もし、そんな未来が来るようなら花菜の隣にいる誰かを許せなかった。
もし、そんな未来が来るようなら花菜のことが許せなかった。
そして、そんな未来にした自分が一番許せずにいた。
「なんだ……これ……」
今まで似たようなものは感じたことはあったが、それは小さな火のようなものだった気がする。
だが具体的な想像でもって現実味を帯びると、それは既に実際に現れて痛覚を刺激してくる炎のようであった。
(えっ……なに……?)
痛みと同時に響の中のドロドロとした感情が鎌首をもたげる。
友人達と楽しそうに話している花菜を思い出して、私だって学校で話したいという希望。
否、学校でも花菜と二人で話していたいという願望。
否、それも否。
花菜を独占してしまいたいという際限のない欲望。
(花菜……花菜……!)
響が子供じみた独占欲だと切り捨てた感情に似たそれが、今目の前に鎮座している。
(嘘でしょ……)
ああ、花菜が欲しくて溜まらない。
今まで衝動的に何度かあった花菜への欲望が、明確に形になっていた。
(こんな感情……知らない……)
響は自身の感情に憤りを禁じ得なかった。
芳川響は、そもそも同年代女子と関わりを持つ機会が極端に少なかった。
小学校時代は複式学級ではあったが、人数自体が少なくたまたま男子の方が多かった。
引っ越してからの小学校高学年から中学では同年代の女子生徒もいたのだが……この頃は一人で過ごすことが多くなり、人との接触を極端に絶っていた。
(いやでも……小さいころ、あの子にだけは確か……)
ただ一点を除くとすれば、幼少の頃お気に入りの少女がいた。
長期休みだけ響のいる土地にやってきていたその子は、響にとってお姫様だった。
響が引っ越すことになり、挨拶もできずに二度と会うことができなくなってしまったが……。
しかし、お気に入りのあの子というには少々過度な執着を見せていた。
今と同じように……。
(ええっ……嘘でしょ……。だったら、あのころ私は……)
芳川響は既に恋をしていたことになる。
「ええっ……」
響はその少女が訪れると、常に一緒だった。
他に誰を混ぜるでもなく、その少女と二人きりで遊んだ。
同年代の女子がいないのもあってか、その子や周りも否やがないのもあった。
事実、その子も楽しそうであった。
実際好んで二人きりを選択していたのは響であったのだが。
その子のことを、誰にも渡したくなかったのだ。
(こんな……こんな……!)
今まさに花菜に対して、それ以上の感情を抱いている。
このような醜い感情を抱くことが恋なのだろうかと響は感じた。
認めたくはなかった。
だが、同時に花菜といて幸せな感情も本物であることも認識する。
(こんな感情が恋だなんて……。だったら、誰かもっと早く教えてくれてたらよかったのに……)
響は諦念にも似た感情を浮かべた顔を、両の手で覆った。
「なんだ……花菜のこと、なんにもとやかく言えないや……」
自分の初恋もどうやら女性らしいことに思い当たり、花菜の自分への想いの秘密がなんでもないことのように感じられてきてしまった。
(認めよう……)
自分は花菜が好きだ。
響の中で、今までの花菜への感情が腑に落ちた。
ドロドロした感情はしこりとして残ってはいるが、心の中の風通しはよくなったように感じた。
(で、好きなんだから……。こういう場合って、告白すればいいんだっけ……?)
恋愛初心者である響は、安直だがストレートに発想する。
響は元々、物事は早いに越したことはないと考える傾向がある。
(待とう、問題があり過ぎる……)
両想いなのだから、告白さえしてしまえばいいように思える。
だが、響が始めた仮初の恋人……嘘の関係が話をややこしくしていた。
(今更どの面下げてー……)
まず直面する課題である。思わず響は頭を抱えた。
プライドなどなにもなく花菜に縋りつく気は満々なのだが、それにしても酷いと響ですら思えた。
(それに花菜は、この関係を高校までの関係だって考えてる……)
本日それで窘められたばかりであった。
むしろ、それが切っ掛けで花菜が好きだという結論に至ったのだが。
(それ以前に今の関係自体……花菜の優しさの上に成り立ってるとしたらどうしよう……⁉)
響の中身を見て幻滅はしたものの顔と声は好きでアイドルに近い状態であり、恋人にはちょっと……となどと言われでもしたら立ち直れる気がしない。
そうなると、花菜の優しさに縋りに縋って自分を好きになって貰う努力をするしかないだろうと響は考えた。
(でも、私と一緒にいる花菜って本当に嬉しそうだしなぁ……)
幸せそうな花菜の姿を響は反芻する。
(っていうか、花菜は今が幸せってよく言うよね……)
花菜と話していると、そう返ってくることが多々あった。
響は単純に花菜が幸せでいてくれていると感じていた。
(今……今って……あれ……?)
あれは、将来を考えていないということなのだろうかという考えに至る。
(花菜は私をとっくに諦めている?)
響はスッと血の気が引く。
それが、いつなのか。
「ああーっ……!」
頭を抱えて思わず大きな声が漏れる。
(花菜が……花菜が私を諦めたのは……それが決定したのは……。私が嘘の恋人を持ちかけたからじゃないのか……?)
響はそう結論付ける。
自分の考えの信憑性の高さから、一人蹲ってしまった。
(こんなの、どの面どころの騒ぎじゃないよ……!)
推測が正しいのであれば、今更なにを言ったところで何様状態であった。
(それ以前に……花菜を……滅茶苦茶傷付けた……⁉)
これ以上無い程花菜のことを傷付けた挙句、弄んでいる最低なクズということになってしまうことに気付く。
秘密の約束を持ちかけたころの響は、恋というものがよく分かっていなかったのも悪かったのかもしれない。
理解するに当たり、様々なものが見えてくるようになった。
「うああああ! どうしよう? どうしたらいい⁉」
響の心からの声は誰も答えてくれる人はいなかった。
そして、片思いの始まりだった。




