36 心弾む道程
部室を後にした花菜は、校内を歩いていた。
本日の調理部の帰宅タイミングはまちまちである。
久しぶりだからと気合が入っている部員もいたので、長時間家庭科室を利用することになるだろう。
鞄の中には、響のために作った菓子が収まっている。
二つ作って、念のため調理部のみんなに試食はしてもらった。
(響ちゃん、喜んでくれるかな……)
そんなことを考えながら、機嫌よく足取りは軽い。
部活動も再開され、グラウンドからも特別教室からも生徒の声が聞こえてくる。
花菜もどこかそういった空気に飲まれて、浮足立っているのかもしれない。
自然と顔が緩むのを感じる。
「おや、はなちゃんじゃん。奇遇じゃないすか」
特別教室の校舎から渡り廊下を渡って本校舎に差し掛かった辺り、人気を感じなくなったと思った矢先に花菜は呼び止められる。
「和樹くん? その呼び方、ヤメてよぉ……」
幼いころのあだ名で呼ばれ、花菜は困り顔を幼馴染に向ける。
「いいじゃんいいじゃん、昔は自分のことそう呼んでたじゃん」
「もーっ……揶揄わないで!」
和樹は二人きりだと、たまに昔のことを持ちだして花菜を揶揄う悪癖があった。
花菜としては誰かに聞かれでもしたらと恥ずかしくて気が気ではないのだが、そういう姿を見て和樹は楽しんでいるのだろうと毅然とした態度は崩さないでいる。
「部活はどうしたの? まだ終わってないよね?」
「いやさ、先生から呼び出されちゃいましてねぇ……。部活の途中で抜けて、説教されてた」
「えっ、和樹くん……とうとうなにかやっちゃったの……?」
まるでそういうことをする兆候があったかのように、花菜がショックを受けた表情になる。
「おいおい、俺ってそんなに信用なかった?」
「冗談だよぉ。和樹くん、一応は真面目さんだからね」
けろりとした表情で取って返す花菜に、和樹が呆れた視線を向ける。
「なにか引っかかる物言いだが、まぁその通りだ。だけどまぁ、どうでもいい提出物って忘れがちなんだよなぁ……」
「もしかして、面談のプリント出してなかったの?」
花菜達の学校は休み前にこれといった行事はないが三者面談があり、保護者からの同意の記入が必要なプリントがある。
花菜も父母にプリントを渡して、今回は母親が来ることになっていた。
学校行事関係は仕事の融通が利く母親の参加が多く、父親が妙に悔しがっている。
花菜としては三者面談など来ても嬉しくないと考えているのだが。
「おっしゃる通りで……。この時期の面談大事だからって、わざわざ説教までされてよぉ。ウチ母ちゃんが家にいるから、いつでもいいかぁって思っちゃってさぁ」
「それは、和樹くんが悪いよぉ。おばさんも、準備とかいろいろあるから……」
和樹の母親は専業主婦をしている。
花菜も小さいころに遊びに行ったときには、よくしてもらった記憶が強い。
家族ぐるみで付き合いがあるため、最近でも会う機会はそこそこある。
「まぁ、そうなんだけどな……。もうちょっと、優しさってかさぁ」
この様子では、相当こってり絞られたのか和樹は少々不貞腐れていた。
「あはは……」
「ってか、花菜さんいい匂いしてるじゃん」
「へ?」
「なに? 部活でお菓子でも作りなさったか?」
和樹が花菜の鞄を指さしながら、問いかけた。
「うん、よく分かるねぇ……」
花菜もそれを受けて、菓子の入った鞄に目くばせしながら答える。
「年中空腹の運動部男子を舐めてもらっちゃあ困りますよ。ここは、恵まれない幼馴染にお裾分けなんてあったりしませんかぁ?」
恵まれないも何も、今回は和樹の自身の身から出た錆なのだから自業自得である。
「ダーメ! これは人に渡す用だから。試食用は、部員の人達に渡しちゃったし」
「ええっ……。そんなご無体な……」
「というか、和樹くんちゃんと手洗った? 人に渡す物なんだから、近付いて触っちゃヤだよ?」
そう言うと、花菜は和樹からじりじりと後退りながら距離をとる。
「えんがちょまでされるのかよ……。踏んだり蹴ったりかよ……。へーい、分かりましたよぉ。そういうことなら、仕方ねーかぁ」
そう言って、和樹は両手を挙げて降参のポーズを取る。
「またなにか作ったときに余ったら、分けてあげるから」
花菜はクッキーなど小分けにできるものは、部活動で作った際には友人達に配ったりしている。
休みの日なども利用して作ったりもするので、割とお裾分けの頻度は高いのだ。
「期待させていただきますよぉ、はなちゃ~ん」
和樹が引き続きふざけて花菜を呼ぶ。
「だからぁ、その呼び方はヤメてってぇ……! もう、作っても分けてあげないからね!」
「ああ、ごめんなさい! 花菜様! 申し訳ございませんでした!」
「もう、しょうがないなぁ。ちゃんと反省してよぉ」
慌てたように謝る和樹だが、花菜のそういった反応をセットに楽しんでいるようであった。
「うっす!」
「それじゃ、私もう行くから」
花菜はそう言うと、踵を返す。
「花菜は、菓子を渡すお相手のところに行きなさるか」
「うん、そうだね」
そう答えると、花菜は笑みを深めた。
響のことを思い出して、自然と零れてしまう。
「ん、花菜……お前……」
それを受けて、和樹がいつもと雰囲気が違う花菜に違和感を感じて声を出すが続かない。
「ん、どうしたの?」
花菜は立ち止まって、不思議そうに和樹を見返す。
「いや、なんでもねぇよ。んじゃ、またな」
「うん」
和樹は呼び止めたはいいもののなにも言えずに、結局花菜を見送った。
花菜は和樹に見送られながら、響のもとへと歩みを再開する。
「こりゃ……俺、本格的にダメかもしれんね……」
花菜がいなくなった廊下で一人、仰ぎながら和樹はそう呟いた。
その言葉は誰に届くこともなく、天井に吸い込まれて消えた。




