29 響の幸せな就寝
「じゃあ、電気消すよ? あ、ちょっと明るい方がいい?」
背を向けて壁際に身を寄せた花菜に対して、響は朗らかな笑顔でもって問いかけた。
「真っ暗じゃないと、本当に……ダメだと思う……。なにかの拍子に響ちゃんの顔が見えると……心臓がもたないと思う……」
既にグロッキー状態になってしまっている花菜が絞り出すような声を出す。
「まだそんなこと言うー」
「私には一大事だよぉ……」
軽く返しながら響はリモコンで部屋の灯りを消して、自分も布団に潜り込んだ。
少し広めのベッドとはいえ、二人で使えばそれなりに密着することになる。
響は、隣から花菜の体温を感じる。
「花菜ーこっち向いてよー」
それはそれとして、響は花菜にこちらを向いて欲しかった。
響は猫を手懐けるような声色でもってこちらに向けさせようと、懸命に声をかける。
「無理だと思うー」
花菜は肩越しに声を返す。
「花菜ー寂しいよー」
「私は、それどころじゃないのー」
「花~菜~」
「無~理~」
響は更にと声をかけるが、塩対応が返ってくる。
「花菜~私に後ろからギューッてされながら寝るか、向かい合いながら仲よく寝るかどっちがいい?」
なので、響は強硬手段とばかりに提案を突き付けた。
響は自分で言っておきながら、花菜を抱き枕にするのはとてもよい発想ではないかと思い始めていた。
断ってくれて構わないとまで考え始める。
「なっ……ななな、なんでっ……その二択なの⁉」
花菜はもちろん慌てたように問い返すことになる。
とてもではないが、提案内容が花菜にとって過激に過ぎたのだろう。
「だって、花菜がいじわるするんだもん……」
「ええっ⁉ これ私がいじわるしてるのぉ⁉ 響ちゃんじゃなくてぇ⁉」
当てどない問いかけの行方は、花菜にとって一方的で理不尽で……まるで子供のような理論であることが判明した。
「だって、私はこんなに花菜と仲よくしたいだけなのに……。あっ、花菜を抱き枕にする案が凄くいい気がしてきたからそのままでもOKだよ」
「うっ……ううううう……」
響の言葉から本気なのを察したのか、おずおずといった感じで布団の中で花菜が身動ぎするのが分かった。
ゆっくりと響の方へと体勢が向いてくる。
「こ、これで勘弁してください」
やり取りしている内に暗闇に慣れた目、そして間近にある花菜の顔が見える。
ギュッと瞳を閉じ、何かを堪えるような表情。
縮こまった身体が緊張を響に伝えてくる。
「わーい、ありがとう花菜~」
「ひゃぁあ……」
目を瞑っていることで感覚が鋭敏なのか、顔を向けたことで声がよく通ったのか……花菜が少し仰け反るような姿勢をとる。
「そんなにガチガチだと眠れないよ、ほらリラックスリラックス」
「そんなこと言ったって~……誰のせいだと~……」
響は花菜のほんのり恨みがましい声すら、かわいいと感じている。
無論花菜はそれどころではないのだが。
「ほら、手を握っててあげるから……」
「ひぅうっ……! うええぇぇ……なにもしないって言ったのにぃ……!」
響が花菜の手をとる。
花菜は悲鳴をあげながら、これ以上ないといった感じで身体を強張らせる。
「なにもしないとは言ってないよ。仲よくって言ったから範疇だよ」
「屁理屈! お、横暴っ!」
若干涙声のような花菜が響への講義の声をあげる。
響は少しかわいそうかもしれないと感じたが、もう止めることはできなかった。
間近に見える花菜の顔、息遣い、香り、近くに感じる体温、そしてより一層強く感じる繋いだ手から感じる温もり……その全てが響に幸福をもたらしてくれているのだから。
(人と一緒に寝るのって……こんなに幸せだったっけ……?)
響は自身で説明できない幸せな感情に戸惑いすら覚える。
(いや、花菜を近くに感じられて……それで……嬉しい……?)
いつもより近い距離で花菜を感じられるのは、とても嬉しく感じられた。
(手を繋ぐだけじゃなくて、抱きしめてしまえば……)
そうすれば、響は自分がもっと幸せになれるのだろうかと考える。
それと同時に、自分はなにがしたいのだろうとも考えていた。
花菜とどうなりたいのだろうと。
「ほらほら、花菜もさっきからそんなに目を閉じちゃって。私の顔が好きなんでしょ、間近で見詰めないともったいないよ」
「だっ……だって、眠るんでしょぉ! 目だって閉じますぅー!」
「眠る前に少しお話しようよ」
「目を閉じてたって、できるもんお話ぃ……」
花菜は頑なに目を閉じたまま、開けようとはしない。
「えーっ……私は今とっても嬉しいから。ほら、幸せのおすそ分け」
「供給過多ですぅ……!」
間近で声を発せられ、香りに包まれている状況で手まで握られているのである。
花菜の理性的に受け答えできているだけでも、えらいのかもしれない。
「私はっ……今が幸せだからぁ……。これ以上はぁ……大丈夫ぅ……」
そう言って、花菜は頑なに拒み続ける。
ここまで拒み続けられると、響の幸せの中にも流石に少し寂寥感が混じってしまう。
(やっぱり、抱き付いちゃおうか……)
響の悪戯心が鎌首をもたげる。
(抱き付いて、そして……)
響はそこで、花菜の唇に目が留まった。
(キス……しちゃおうか……)
響はそのとき、花菜は自分とどうなりたいのだろうと考える。
否、自分とどこまでしたいのだろうと。
以前恋人としての行為として考えたことはあったが、実際はどうなのだろう。
キス……は許されるだろうか……。
(いやいや、なに考えてるの私!)
ふと我に返る響。
だが、それと同時に冷静になった思考で……花菜にそうすることで……花菜を自分のものにできるのではないかという気持ちが沸々と湧いてきた。
(花菜……私だけの花菜……)
そう考えると、ゾクゾクとした感情が響の背筋を駆け巡った。
花菜自身に響を刻み込める。
それは何故か酷く甘美に感じられ……。
(いや、ダメだそんなことしちゃ……!)
響には、この感情が子供染みた独占欲の延長線上ではないかと感じられた。
そんな我欲が酷く幼稚に思えてならなかった。
「響ちゃん、静かだけど……。もう寝ちゃった……?」
花菜の言葉にハッとする。
「ううん、花菜があまりにかわいいから……チューしようかずっと迷ってたんだ」
響は冗談交じりの声音で、真実を口にした。
「えっ⁉ ちゅっ……ちゅー……チュー⁉」
花菜は慌てたように身動ぎしながら、空いた手で口に触れていた。
「だっ、ダメだよぉ……⁉」
「どうして?」
「じょ……冗談でもっ……そんなことっ……言っちゃダメっ……。ひっ、響ちゃんはっ……もっと自分を大切にするべきです……!」
「なにそれ」
花菜ではなく、自分の心配をされてしまって響は思わず呆れてしまう。
「そういうのはっ……! 本当に好きな人ができたときのために、取っておくべきだよ……!」
「…………」
そう言われて、響は押し黙る。
花菜とは嘘で塗り固めた恋人の関係である。
(いつか自分に花菜以外の好きな人ができて、恋人ができる?)
響はそのことを想像することができなかった。
隣にいるのが花菜なら、容易に想像することができた。
「だからっ……。そういうっ……破廉恥な行為はっ……謹んでねっ……!」
何故だろうか、響には花菜が少し遠くにいるように感じられた。
こんなに距離は近くなのに。
「破廉恥って……。花菜はそれで満足なのー?」
「今がっ……幸せでぇ……満足ですぅ……。本当に……これ以上無理ですぅ……」
響は、花菜が今とよく口にするように感じた。
なら、これからはどうなのだろう。
自分達は、もっと幸せになれないのだろうかと考える。
自分は、花菜とどうなりたいのだろうか……響には分からないでいた。
ただ花菜には幸せになって欲しいし、響はそのためにできる範疇のことをしたいと感じた。
仮初の恋人に想うには、少し過ぎた感情だろうかと考える。
育ってきた環境もあるのか……こういった気持ちの機微に関して、響が知るには今まで人と関わることが希薄過ぎた。
響にとって難しくはあったが、花菜とのことに思考を飛ばすのはワクワクする気持ちもあった。
「そろそろ、寝ようか」
「えっ、うん……」
花菜の温もりと匂いに包まれて思考の海に浸かっていると、自然と意識も微睡んできた。
響にとって折角の花菜との時間だが、この包み込まれるような幸せも……紛れもない大切な時間のように感じられた。
だから、今はこの感触に身を任せて夢の中へと誘われよう。
きっと幸せな夢が見られるから。




