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第6話 境界が軋む音

森の空気が、まだ揺れていた。


深層の白い空間から戻ってきたはずなのに、

俺の視界は完全には現実に馴染んでいない。


木々の輪郭が薄く滲み、

そこに“もうひとつの線”が重なって見える。


(……まだ引きずってる)


体の奥に影の冷たさが残っていた。


ルフェリアがそっと支えてくれる。


「シン、本当に大丈夫……?」


彼女の手は温かいのに、声は震えていた。


「さっき……あなたの意識が完全に“落ちて”たの。

 深層に吸い込まれる寸前だったわ。」


「……そう、だったのか。」


確かに途中から、

自分の身体が“後ろ”に置き去りになっているような感覚があった。


ルフェリアは呼吸を整え、静かに言った。


「深層に引かれた影……あれは普通のシャウルじゃない。

 もっと深い、“原層”に近い存在よ。」


「影のシンも……その原層と関係があるのか。」


ルフェリアは苦しげに眉を寄せる。


「……そう、だと思う。

 あんな存在、見たことがないもの。」


沈黙。


森の奥から、まだ黒い粒子が風に逆らうように舞っていた。

核影は消えたのに、残滓だけが世界の“深さ”を訴えている。


「……シン、ひとつだけ聞くわ。」


ルフェリアが真剣な目でこちらを見る。


「影に触れた時、胸の奥が痛んだり、

 何か懐かしい感覚がしたり……しなかった?」


思わず呼吸が止まった。


(……言い当てられた)


影のシンが近づいたとき、

確かに胸の奥が痛んだ。


痛みというよりは“裂け目”。

何か忘れているものを無理やり思い出そうとするみたいな感覚。


「……懐かしい、ような。

 でも、思い出せない……そんな感じだった。」


ルフェリアは目を伏せる。


「やっぱり……。」


「どういう意味だ?」


「シン。

 あなたの“中”に、影の残響が残っている。」


(俺の中に……影?)


「普通なら深層に触れても、すぐに弾かれる。

 でもあなたは境界が開いていて……

 影と“同調”しやすい状態なの。」


同調――。


影のシンの言葉が蘇る。


『僕らは、ひとつだった』


胸がざわつく。


「……じゃあ俺、どうなるんだ?」


ルフェリアは答えにくそうに唇を噛んだ。


「その……言いづらいんだけど……

 深層と繋がりすぎると、“こっち側”に戻れなくなる可能性があるの。」


「戻れない……?」


「この世界の構造は複層的なの。

 普通の人間は“最表層”に固定されて生きている。

 でもあなたは固定が弱い……

 だから深層へ引きずられやすい。」


(最表層……深層……原層……

 俺はそのどれに立っているんだ?)


ルフェリアは少し歩き、振り返らずに言った。


「シン。

 あなたが深層に触れた理由……

 本当は、一つだけ心当たりがある。」


「え……?」


ルフェリアは静かに続けた。


「あなた、もともと……“この世界の外”にいたんじゃないかしら。」


胸が大きく鳴った。


(世界の……外……?)


「だって普通の人間なら、深層も原層も視えない。

 影が名前を呼ぶこともない。

 まして“引き戻す”なんて……。」


影のシンの声が重なる。


――帰ろう。

――本当の世界へ。


視界が揺れる。


ルフェリアが心配そうにこちらを見た。


「急に言ってごめん。でも……

 あなた自身の“記憶”が、この世界と馴染んでいないように見えるの。」


「俺は……本当にここに“いた”のか……?」


震える声で問うと、

ルフェリアはゆっくり近づいてきた。


「大丈夫。

 たとえどこから来ても……

 “いまのあなた”は確かにここにいる。」


そっと俺の手に触れる。


その温度だけが、唯一現実だった。


「でも、深層はあなたを放さない。

 だから……一緒に確かめましょう。

 あなたが“誰なのか”。」


彼女の瞳には、不安と決意が混ざっていた。


胸の奥で、黒い線が小さく震える。


(俺は……誰だ……?

 どこから来た……?

 どこへ帰る……?)


答えは、まだ影の奥に沈んでいる。


しかしひとつだけ確かだった。


――影はまた、俺を呼ぶ。


それだけが、心臓の奥で微かに響いていた。


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