一.それは、深い眠りから呼ぶ者。
「実は――じいちゃん達とは、会えるのよ」
「え?」
母親に突然告げられた言葉に、間抜けな声を上げた近衛 揚羽に答えるように、 机に置かれたコップの中で氷がカランと涼しげな音を立てた。
一.それは、深い眠りから呼ぶ者。
揚羽は、母親の運転する車のシートに深く腰掛けながら少し腹を立てていた。
父方も母方も親戚、祖父母に勘当されており会えないと、母親に何度も聞かされていたのに、 親戚、祖父母共に実は会えるとの事を先ほど聞いたからだ。
だが、少し腹を立てているだけであって、それよりも勝る嬉しさや高揚感が揚羽の心を支配している。
揚羽が幼い頃から親戚、祖父母に会えないと言う事は知らされていた。
夏休みや冬休みなどでクラスメートや友人達がそんな親戚や祖父母の話で盛り上がっていた時、話を振られた時、 自分には経験のない事実によく悲しくなったものだ。
そして羨ましくもあり、いつしか休みに祖父母の家へ赴き会う。そう言うことが、今どきの若者には珍しいかもしれないが、揚羽の憧れとなっていた。
憧れが膨れ上がっては、自分には出来ないのだと事実に打ちひしがれると言うのをどれ程したか、 少し昔の事を思い出して感慨深く自分の世界に篭っていた揚羽に、声が掛けられた。
「ほら、着いたわよ」
「え?」
車を走らせて二時間弱。着いたのかと、輝いた目に映る光景に、本日、二回目の間抜けな声を揚羽は上げた。
車から降りると、金も手間も掛りそうな整えられた植木の壁に、重圧で漆黒に光る瓦を有し構える日本家屋、 『近衛』と表札を掛けられた門が口を開けて揚羽を出迎えている。
こんな立派な日本の門は、中学校の修学旅行に京都で見たお寺以来――といっても、昨年の事なのだが――だと 揚羽は、夏特有の蒸し暑さだけではない汗をかく。
(ここは、本当にじいちゃんの家なのか?!)
やけに、虫の鳴き声がうるさく感じた。
* * *
「ああ、そろそろ来ると思っておったよ」
現実逃避寸前だった揚羽は、年月を重ねた声が聞こえて前――敷地内――に目を向ける。
するとそこには、一人の老人が立っており、揚羽と目が合うと皺をさらに作り微笑んだ。
「よう来たね。揚羽」
話し掛けられどう対応したらいいのかと悩んでいると、母親に肩を叩かれた。
「ほら、あれが父ちゃんのお父さん」
紹介された目の前の老人が『自分の祖父』と知り、挨拶なさいと母親に促された揚羽は、緊張に身体を固くした。
(ど、どう挨拶すればいいんだろう)
オロオロと言う音が聞こえそうなほどの揚羽に、前後で笑い声が響いた。
「え、え?!」
祖父と母親が笑っているのをキョロキョロと忙しなく見て、事態を察した揚羽は少し拗ねたように口を引き結んだ。
それに気付いた祖父は咳で笑いを止め、言う。
「そう固くならんで良いよ」
慈愛の笑みを向けられた揚羽は、ほっと息をついて夢見ていた祖父に向かって頬笑み、挨拶ができた。
自分の孫の笑みを見た祖父は、「可愛いのぉ」と揚羽の頭を何度も何度も撫でたのだった。
* * *
テレビでしか見た事のないずらりと畳の敷かれた大広間で、大勢の人々が長机を囲い、思うがままに話をしごちそうを食べ笑い、 大人達は酒を飲み賑わっていた。
揚羽が来た事もそうなのだが、明日、特別な事があるので親戚中が集まりここで宴会をしているのだと、 この屋敷で働いている歳の行ったお手伝いのタエが楽しそうに教えてくれた。
開いている襖の前で、ぼんやりとその光景を見ていた揚羽だが、 空の皿を積み上げた盆を持った若い手伝いの女性がそれに気付き「揚羽坊ちゃん、ご遠慮なくお入りください」と言われてしまえば、 急いで入っていくしかなかった。
(うっ、あの人、俺を揚羽坊ちゃんって……。それにしても、すごい)
あの輪の中に入りずらいと気後れしながら、同い年ぐらいの気の合いそうな奴は居ないかと辺りを見渡す。
すると長机の端、少しぽっかりと明いた空間に影を薄くさせて、座る見知った顔を見つけた揚羽は、その人物を呼んでいた。
「カオル!?」
以外の他、大きく響いた声の為に、結果、静かになってしまった部屋中の人の視線を一斉に集めてしまう。
小さく謝罪した揚羽に、次には何事もなかったように元の賑わいを戻した事に、安堵の溜息を一つ吐いた。
「カオル。お前、何でここに居るんだっ」
「へいへーい。昨日ぶりなのだよ、揚羽」
急ぎ足で向い問えば、呑気に待ち迎えた幼馴染の見影カオル(みかげ かおる)に、揚羽はズンと背中が重くなったように思えた。
深紅色の綺麗な前髪で隠れている両目で「どうしたのか」と揚羽にアイコンタクトならぬ、視線コンタクトをカオルは向ける。
揚羽はそれに深く深く溜息を吐くと、周りを見渡し、誰を見ていないのを良い事にどかりと行儀悪く座った。
「で、カオルは、何でここに居るんだ?」
ただの幼馴染であるはずのカオルが、何故、自分の親戚集まりの宴会の場に居るのか、揚羽は検討がつかなかった。
揚羽の問い掛けに、カオルは考えるように小首を傾げて、目を覆う艶やかな質の良い前髪を揺らす。
「うーん。こちらの近衛家と見影家は、古くから交流があったのだよ。だから、今日は御呼ばれなのだ」
難しそうにしていた割には、カオルはあっさりと答え、揚羽にジュースを差し出す。
「それにしても……切羽詰まってるんだね。鬼灯家は」
「ん?」
カオルのため息混じりの小さな声は、ジュースを飲んでいた揚羽には聞こえなかった。
何だと首を傾げてくる揚羽に、何でもないとカオルは首を横に振った後、寿司はいるかと聞きながら、揚羽の好きな鮪の寿司をよこす。
醤油を注がれた小皿も差し出されば、揚羽はそちらに興味は移り、目を輝かせながら「いただきます」と手を合わせた。
* * *
「あんたが、揚羽?」
律義に世話するカオルに出された、唐揚げを食べようと持ち上げた矢先だったが、呼ばれ仕方なく小皿に置く。
「そうですけど……」
何ですかと声のした背後へ向き直った揚羽は、ビクリと身体を跳ねさせた。
仁王立ちの小柄な少年が、揚羽に鋭く睨んでいるのだ。
「揚羽に、何か用なのかな?」
揚羽が怯んでいると、カオルが庇うように少年に話しかけた。
少年は苛立っている様な顔をそちらに向けたが、驚き顔になり固まる。
「ねえ、君に聞いているのだけれど」
そう言い頬杖をついたカオルに、少年は我に返ったようにハッとし、次には満面の笑みを浮かべた。
「千里眼様に声を掛けてもらえるなんて……」
ポッと頬を赤らめ、恋に落ちている乙女のようにうっとりしてカオルを見る少年に、揚羽は若干引く。
それを尻目にカオルは、苛立っているように空いている方の手の指先で机を叩いた。
「僕の幼馴染である揚羽に、何の用なのかな?」
カオルの「僕の幼馴染」と言う所で戸惑いを見せた少年だが、思い出したように揚羽を指差した。
「近衛 揚羽! パッと出のお前になんかに負けないんだからね!」
言い切ったと満足げに少年はフンと鼻を鳴らし、逃げるように大広間から出て行ってしまった。
「何なんだ?」
「さあ、ねえ?」
少年を呆然と見送った揚羽がポツリと呟くと、口端を上げたカオルからの返事に、複雑な気持ちで唐揚げを頬張った。