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くず宝石(いし)みがきと過剰な読書

「今夜から、睡眠三時間前からは読書を一切しないように」


 医者に言われてロビンは、思わず立ち上がって相手の首を締めそうになった。


「――どうしてですか? おれの読書は誰にも迷惑をかけてない、もちろん仕事中に本を読みふけるような『読書中毒』とも違います!」

「ロビンさん、あなたのためですよ。そもそもあなた、どうしてウチの病院に?」

「……そ、それは……最近やたらと寝つきが悪くなったから……」

「そこですよ、ロビンさん。全く寝つけない、眠れても夜中の二三時間……あなたの激烈な不眠症は、寝る前の読書が原因なんです」


 医者にぴっと指を立てられ、ロビンはうっと思わずひるむ。ロビンといくらも違わない年頃の青年医師は、淡々と説明を重ねていく。


「ロビンさん、そもそもあなた、五歳の年に当時流行した『はやりやまい』にかかっていらっしゃる。その病は熱に浮かされ、歌うたい続ける奇妙な病気……幸いじきに病は癒え、体の震えのような後遺症は残らなかったが、代わりにあなたは『特異な能力』を手に入れた」

「……読書の際の、想像力……」

「そうです。あなたは常人が読書で味わう万倍の感性を手に入れた。あなたが活字を目にした時は、まるで脳内で鮮明に映画が再生されるように、想像の翼が大きく広がる……寝る直前まで読み応えのある本なんぞ読んでいたら、脳が興奮しきって眠れる訳がないでしょう!」

「……じゃあ、活字は一切ダメですか? 寝る前三時間も……?」

「まあそうですね、絵が描かれていて逆にイメージが限定されるマンガなんぞなら構わないかと」

「……電子書籍は?」

「そんなもんダメに決まってるでしょう! あれも立派な活字ですよ!」


 かくしてロビンはすっかり落ち込んで、間に合わせの『軽い睡眠薬』も一応処方され、とぼとぼと病院を後にしたのだった。


「……信じられん! 俺はこれから何を楽しみに生きていけば? この近くの名物の川の河原から採れる、小さなすいを『観光客のおみやげ用』にみがくばっかりの仕事をして、それだけで一生暮らしていけと?」

「そんなことないわよ、読めないのは『寝る前三時間だけ』でしょう? その前に仕事が終わったら存分に読めば良いじゃない!」


 可愛い妻にって言われ、ロビンはだだっ子のようにじたばた手足をばたつかせる。


「足りないー! 全然足りないー! 寝る前十秒くらいまでごりごり頭使って本読みたいー!!」

「それ、ふつうの人がやっても寝つき悪くなるわよ……あなたの脳みそは良い意味で特別製なんだから、特別いたわってあげないと……!」

「ううう、一日の読書時間が三時間も短くなるとは……これから先、何を楽しみに生きていけば……!!」

「もう、そんなに悲観しないの! あなたの大好きなパンケーキもちゃんとおやつに焼いてあげるし、庭で採れたてのブルーベリーからこさえたフルーツソースもかけたげるわ! それで足りないのなら……」


 奥さんはふっと言葉をきって、ロビンをベッドにうながした。流れで横になる夫のそばで、本棚から一冊の本を取り出した。


「……わたしが読み聞かせしてあげる。お医者さまが禁じたのは『寝る前三時間の読書』でしょう? 人がかたわらで読む分には、きっと問題がないはずよ」

「……まだまっぴるの二時なんだが……」

「病院に行くのにお仕事休みにしたんだから、少しお昼寝しても良いじゃない! だいたいあなた、昨日もおとといもほとんど眠れていないんでしょう? 少しやすんで、起きたらさっき言ったパンケーキにブルーベリーのフルーツソースのおやつにしましょう!」


 言いながら愛妻は分厚い本のページをめくり、優しい声で読み始めた。


「おれの名は、イシュメール……」

 妻が読み、読むごとにロビンの表情は満足げに、穏やかになっていき……ものの十分もしないうちに、すうすうと静かな寝息を立てだした。


 妻のマリアはそっと読むのをやめた後、やわい手つきで己のおなかをでまわす。まだふくらまないお腹の中に、新たな命が宿っている。


 このまま順調にいけば、わたしは夫と小さな我が子に、寝物語を語るようになるのかしら……そう想うとくすぐったくて、思わず微笑がほおに満ちた。


* * *


 ……それから五年。寝る前に息子がわくわくとベッドに飛び乗って、『今夜のお話』をさいそくする。


「ねーねー、ママー! お話おはなし、はーやーくー!!」

「待て待て、ダグラス……今ママは、お腹の中にふたり目の赤ちゃんがいるんだからな! 疲れてるから、今夜はひとつパパがお話してやろう!」

「えーパパ、お話しできるのー?」

「もちろんだ! こう見えて読書のエキスパートのパパだ、今までの知識を総動員して、本も読まずにお話を出来んはずがない! たぶん!!」

「えー、たぶんー?」

「まあまあ、じゃあ始めるぞ……『やあ、おれの名はイシュメールっつーんだ! よろしくな!』」


 子ども向けに語り直したお話にダグラスは興奮して、逆になかなか寝つかなかった。やっと眠った息子の頭を撫でながら、妻のマリアはきらきらした目を夫に向けた。


「素晴らしいわ、あなた! まさかあなたにこんな才能があったなんて……!」

「はっは、『本読みのロビン』を舐めるでない!」

「ねぇあなた、そういえばこの子の通ってる幼稚園で、『子どもたちにお話ししてくれるその道のプロ』を探してるのよ……あなた、明日はお仕事お休みでしょ? 先に連絡は入れておくから、この子と一緒に幼稚園に行ってくれない?」

「は、はあ!? いやいやさすがに荷が重すぎ……!」

「大丈夫、わたしが保証するわ! あなた、語り部でいつか世界を狙えるわよ!」

「そんな大それた望みは持ってなーい!!」

「……ママ、パパ、うるさいよ……」

『あ、ごめんなさい……』


 そうして翌朝、ロビンは幼い息子と一緒に幼稚園に出かけ、満面の笑みで帰ってきた。


「いやー、人生何が幸いするか分からんな! まさか自分の『特異な能力』が、こんな形で役立つとは!」

「そうよあなた、素晴らしいわ! ほんとに世界を狙えるかもよ!」

「はっは、もっと褒めてくれ!」

「……ところであなた、このあいだ図書館に張り紙がしてあったんだけど、『図書館内の小ホールでお話してくれるひと募集中』って……」

「うぉぉおおい! きみはおれをどんな高みまで連れてこうとしてるんだー!!」


 ぎゃあぎゃあ言いながらもその案が通り、図書館でも『お試し起用』のような形で採用して、ロビンはがちがちに緊張しながら小ホールの壇上で話し始めた。


 なんせ今日の聴き役は子どもばかりではない、その親たちもちらほら混じっている。数もこの前の幼稚園の比ではない。


 かちこちに体をこわばらせながら語り出し、語り続け、語りながらロビンは想像の翼が活字なしに広がり出すのを感じていた。


 読書の時の強制的なイマジネーションとも違う、目の前の観客の反応を見ながら話を広げる独特の感覚、今までとは違う喜び、心の震え……、


 語り終わってホールいっぱいの拍手を浴びつつ、ロビンは自分が『読書の檻』から抜け出したことを実感し、目の裏がやけどしたように熱くなり、そっと右手でそれをぬぐった。


 ホールのすみで、妻と息子が満面の笑みで一番大きな拍手を送ってくれていた。


 そんなこんなで、それがきっかけで……ロビンはやがて『くず磨き』と『語り部』の二足のわらじをはくことになったのだった。


 え? まだ聴いたことがない? じゃあ国のかたすみの片田舎、小さな図書館に行ってごらん。開け放した窓、そこから差し込む陽の光……、


 今日も()ホールで、おんとし八十になったロビンが、あなたの来るのを待っている。歌うように良い声で語られる物語が、あなたの来るのを待っているよ……!


(了)

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