読んでも読んでも終わらない
いや、マジ俺得すぎるだろ!
読んでも読んでも終わらない本? 今、俺の目の前にあるこの本が?
――この赤い絹張りの豪華な装丁、タイトルもなく円形にくちなしの花の模様のあしらわれているこの本が? いくらするんだ、いくらでも出す! 俺フリーターで『万年低賃金』だけど、借金してでも買う買う買う!
その意志を本屋の店主に伝えたら、店主は自分の突き出た腹をいたわるように撫でながら、長くため息して言った。
「ただで良いです、引き取ってくれるなら」
「…………は? いやいやおかしいでしょう、だって『終わらない本』ですよ? 世の愛書家が一生に一度は夢に描く、読んでも読んでも終わらない本!」
「ですからただで結構です」
「いやいやいやいや、絶対おかしい! こんな夢の本、万年低賃金の俺が一生かかっても稼げないようなお値段してもおかしくないのに!」
「そういうことです……あまりにもあこがれる者がいるが故に、お代はいただけないのです……正直引き取ってくださるなら、こちらからいくらか差し上げても良いくらいで……」
え、何ちょっと恐いんだけど。何、いったいどういうこと?
さすがにおじけづいて見下ろす手の中の本は、相変わらず絹の輝きを淡くあわく放っている。持つ角度を変えるたび、色合いがかすかに変わっていって、まるで柔らかい宝石みたいだ。
「……これ、魔法がかかってるってことっすよね?」
「そうです、古代の本好きの魔法使いが、一生かけて作り上げた……めくるごとに書かれた文字が移り変わって、そのさまは万華鏡のごとく……一ページめくるごとに他の紙にいちいち内容を書き写さないと、二度と同じ内容には出逢えない……」
「本好きのドリームそのものじゃないっすか! これがタダって、この本まさか呪われてでもいるんすか?」
「ある意味そうです」
認めるなよぉおおおお!! 何、これ呪物!? ……あぁあああでも欲しいぃいい!! のどから手が出るほど欲しいぃいいいい!!
「買ったぁあああ!! じゃないもらったぁああああ!!」
「返品は一切受け付けませぇえええんん!!」
とんでもなく恐ろしいことを言いながら、店主は俺を手の中の本ごと店から押し出した。
「はい、今後一切この店には近づかないでくださいね! もうあなた、一生出入り禁止です! それではさようなら、苦情も一切受け付けません! 賠償も出来かねますのでご注意を!!」
息もつかずにまくしたて、店主はばちんと扉を閉め、中から鍵をかけるがちゃりという音がした。
――え、何マジ恐い……この本にいったい何が……そう想いながらも、顔は勝手に緩んでしまう。
だって『終わらない本』ですよ? 読んでも読んでも終わらない本! 絵本を読みあさっていた幼児の頃から夢に見ていた、まさに『夢まぼろしのアイテム』!
俺はどうしようもなくにこにこしながら、古いアパートの六畳一間の部屋に戻って、湯を沸かしてインスタントコーヒーをぼろいカップにこしらえて、折り畳み式のスチール机を広げてかぶりつきで読み出した。
すげえ、本当にすべるように文字が動く! うかつにページをめくって、すぐページをさかのぼってもさっきと違う内容が! こりゃあ良いや、手持ちの白いノートノート! とりあえずそこら辺に転がってるボールペンで、内容を写しながら読んでいこう!
「やあ、こりゃあ一生もんの宝だ! 素晴らしいもんを手に入れた!」
『ええ、全く……』
――あ? ちょっと待て、今誰が……!! びっくりしてふり返ると、すぐ後ろに青ざめた肌の青年がぬっと立ってこちらをのぞき込んでいる。いや違う、俺の手の中の本を凝視してるんだ!!
「ななな、何だお前! いったいどっから入ってきた!」
『あなたと一緒に、この本について入ってきました……あ、申し遅れました、自分幽霊です』
「ゆ、ゆゆゆ幽霊!? なんだこのアパート、古いにしてもやたら家賃安いと思ってたらやっぱり事故物件か!? 以前に自殺者でもいたのか!? にしても入居して半年経って、何で今さら出てきたんだ!?」
『やだなぁ、このアパートの地縛霊じゃありませんよ……「この本に憑いて入ってきた」って言ったばかりじゃありませんか!』
幽霊の青年はからから笑って、事情を説明してくれた。
『あのですね、ぼくは昔、この本を手に入れたひとりだったんです。実はぼくはもともとこの本をこしらえた魔法使いの親友で……そもそもこの本自体も、彼がぼくにプレゼントするためにつくってくれた物だったんです』
「……へ、へえ……」
『でですね、彼にこれをプレゼントされて、ぼくは夢中になりました……そう、ちょうど今のあなたのようにね。ぼくは寝る間も惜しみ、食べるものも食べず、水も飲まずに読み続け……独り身のぼくは誰にも気づかれぬまま、「本の読みすぎ」で餓死したんです』
「――うぉおおお! 恐ぇええええ!!」
『で、ぼくはこの本に未練が残ってしまって、この本に憑く幽霊になって……買う人ごとに本ごと後をついていって、背後から本を読んでたんですが……そのうちうわさが広がって、誰もこの本を買わなくなっちゃったんですね。だからあの店主、このぼくと本をやっかい払いしたくて堪らなかったんですよ』
「うぉぉおおおあの店主!! どーすんだよ俺が本に熱中しすぎて第二の幽霊になったらぁあああ!!」
『大丈夫です、あなたにはぼくがいますから……本を読む時はいつも背後についていて、あまりに寝食を忘れてらっしゃるようでしたら声をかけてさしあげます』
「……あ、そう? そりゃあありがたい……」
思わず本音を口にすると、幽霊はにっこり笑みを浮かべて、俺の肩にそっと青白い手をかける。少しひやっとした感触、悪くない。今現在、ろくに冷房も効かない真夏の安アパートじゃあ良いもんだ!
『……あなたはどうやら、今までにこの本を買った人たちとは違うみたいだ。本当に本を愛していらっしゃる……ぼくの存在を知って、さほどに恐がらなかったのはあなたが初めて……』
「や、この本を読めるなら『幽霊つき』もささいなことさ! むしろ同じ本について語り合える同志がいるってのは望むところだ! 一緒にこの本を読んで、心ゆくまで語り合おうぜぇ!!」
『おぉお!! それは素晴らしい!!』
――こうして俺と幽霊とは意気投合……結論から言うと、俺はひょんなことからただで『終わらない本』と『一生のパートナー』を手に入れちまったっていうワケだ。
いわば仲人の本屋の店主も、最初の頃に俺が本屋に近づくと「返品はお断りぃいいい!!」と鬼の形相で扉に鍵をかけていたが、笑顔で手を振ってみせていたら、いぶかしみながらも鍵を開けてくれ、そこでつらつらと事情を打ち明け……今では血のつながらない親戚みたいにつき合っている。
え? とんとん拍子の人生で読んでて面白くなかったかい? じゃあさ、これもノロケかもしらんが、最後にオチつけて終わりにしよう。
いやあ、狭いんだよな! ふたり身じゃ六畳一間の安アパートは! だけどこちとら、空いた時間は『本と嫁さん』に夢中だから、当分のあいだ立身出世とは無縁だわ(笑)
(了)




