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読み書き地獄

 ぼくは必死になって書物にかじりついている。一文字一文字を目に灼きつけ、噛み砕き噛みくだき呑み込むように。


 読みながら目はちらちらと机のすみの時計に流れ、時計は音もなく秒針で時間を刻んできざんでいく。


 ああ、あと三分だ。ああもうあと二分半……駄目だダメだ、目の前の文字に集中しろ! 時は金なり、本を読むんだ、目の前の文字を頭に刻みつけるんだ! でないともう……!!


 ああ、もう一分! あと三十秒! いけない目の前の本を読む、もうあと何文字分この頭に刻めるか……!!


「先生、ちょうどお時間ですよー! さあもう休憩時間はおしまい、ご執筆にかかってくださーい!!」

「ちょちょちょ、ちょっと待った! せめてあと十分、いや五分! 今ちょうどこのミステリーの犯人が分かりそうなとこ……!!」

「駄目です先生、息抜きの読書は朝夕に三十分ずつと決まっているじゃあないですか! さあご自分の作品をお書きになってくださいな、大先生の素晴らしい新作を待っている熱心な読者が世界じゅうにいるんですから!」


 だぁぁああもう、自分の身分が恨めしいー! もともとぼくは貴族の末っ子、ただ『本を読むこと』を楽しんでいれば、それで満足していればこんなことにはならなかった!


 けれど『自分も書いてみたい』と思ったのが運の尽き、十五で小説を書き出したぼくの『非凡な才能』を見出した父の知り合いの編集者が、ぼくをこの道にひっぱり込んで……いまやぼくは一日に一時間しか読書の時間を持てないような、超多忙な小説家だ!!


「あのねえキミ! 物を書くにも材料ってもんがいるだろう!? 日に一時間の読書くらいで書物の中からネタを探して、それを自分の物語に紡げる超人がいると思って……」

「いやいや、先生は今まで十五年毎日まいにちその方式で、素晴らしい物語をおこしらえになってらっしゃるじゃないですか!」

「その方法にも限界があるー! もっともっと読書がしたいー!! 本を、本をくれぇええええ!!」

「先生、毎度言ってることですが、御本を一冊ご出版なさるごとに『ボーナス』があることを忘れてはなりません……新作一冊につき、なんと! 一日じゅう好きに本が読めるボーナスが!」

「ぐ、ぐぅううううう」

「読みたいでしょう? この先生推しのミステリー作家の長編も好きなだけ読みに読めますよ……まあ一日だけですが……」


 くちびるを血の出るほどに噛みしめて、死ぬほど続きが読みたい本を目から汁が出る勢いで凝視するぼく……『押しが弱い』と感じたのか、担当編集はふくらんだふところから()()と一冊の分厚い本を取り出した。


 ――そ! それは!! ぼくが世界一の美女より余裕で手に入れたい、百年前の幻の!!


「先生! 今度新作を書けば、先生推し作家の『マーシュマロウ・チャコール』の『ブラックベリー殺人事件』! 今わたしがこの手に持ってる超プレミアつき、箔押しの初版本も追加ボーナスでさしあげます!!」

「書くうぅううう!! 死んでも書くぅうううう!!」


 腹の底から叫んで、ぼくは尻から煙を吐く勢いで仕事部屋に駆け込んだ。


 分かってる! こんなんじゃいつまで経っても読みたい本が心ゆくまで読めないことを!! でも書きたい気持ちもあるんだ、自分の手でまだ誰も読んだことのない物語を、紡ぎあげたい気持ちもあるんだ!!


 こんなんじゃ読み書き地獄だ、終わらない地獄!! そう念じながらも、ぼくの書く手は止まらない。嬉しいのか悲しいのか、やりがいがあるのかもう逃げたいのか、それともその全部なのか……、


 もう何も分からないままに、字を書くだけの鬼みたいに、ぼくは原稿用紙に文字を叩き込み、刻み込み、己の命を削るように……、


 そのさまを部屋のすみで、祈るような目で見る担当の青年が、ぼくの一番の愛読者であることを、ぼくはもう知っていて、知っているから汗だくになって書き続けた。


 読まれたい本たちが、屋敷じゅうの本たちが、恨みがましい熱い視線をぼくの背中に突き刺さるように向けている――そんな気がしながらがむしゃらになって書き続けた。


* * *


 ――そうしてやっと書き上げた本のタイトルは『読み書き地獄』。


 ぼくのサインを記した『読み書き地獄』と、『ブラックベリー殺人事件』をうやうやしく交換して、ぼくらはそれぞれにつかのまの読書に浸り始めた。


 分かっている。担当も同じだ、好きな本を読むどころかろくに寝る間もありゃしないだろう。作家が目の回るほど忙しいのに、その担当が忙しくないわけがない。


 ――同志よ。二十五歳の年のわりに、げっそりと切れ長の目もとに深いふかい()()を刻んだ担当よ……この本を一日かけて読み終えたら、きみにプロポーズしてみようか。


 断られるかな、「仕事でさんざん絡んでるのに、これ以上一緒にいてどうすんですか!」とか突っぱねるかな、この青年は……?


 ――でも。でもぼくはね、一日の執筆を終えてくたくたになってベッドに転がり込む時に、きみにそばにいて欲しいんだ。


 そう心のうちで願いつつ、ぼくはひとまず本に熱中するために、箔押しの表紙をしみじみでてから、最初のページをそっとめくった。


(了)

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