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うつくしいつめ

「良いこと、綺麗な爪のひとよ。人間でも人外でも、なんなら悪魔でも構わないから、美しい爪のひとを選ぶの。土なんかいじってない、手入れのされた綺麗な爪」


 叔母はいつでもそう言った。『見た目の美しい』ぼくは玉の輿こしに乗れる器と思い込み、ひたすらにこう言い続けた。


「良いこと、相手は男でも女でも構いません。ただ、どれだけ下でも貴族くらいの身分の相手と結婚するのよ。あなたのその綺麗な顔、白い肌、ほっそりした手足なら、それくらいの相手に愛されて結婚するのは()もないことよ」


 ぼくは黙ってうなずいた。いつだって黙ってうなずいた。浮気性の母、遊び相手だった父、ぼくを捨てていったふたりに代わってぼくをここまで育ててくれた、恩人の叔母に逆らうことなどできなかった。


 叔母はずっとひとり身だった。派手な顔立ちの母とは違い、母の妹の叔母はずっとおとなしい顔立ちだった。


 それでも叔母に恋している同年代のおじさんは、数人いたように子どものぼくからは見えたのだけど、叔母は「自分なんか」という思い込みにずっと溺れて、そういう人たちの想いには応えようとしなかった。もしかしたら、想いに気づいてすらいなかったのかもしれない。


 とにかく叔母は、十五の歳までぼくを育てて、そこで急な病にかかってあっけなくこの世を去ってしまった。少しばかり歌のうまかったぼくはそれを頼りに、即席の吟遊詩人として、あてもなくふらふら旅に出た。


 正直これからどうなるのか、不安でいっぱいのぼくの脳裏に、苦しい息の下から言った叔母の遺言が染みついていた。


 ――美しい爪のひとと、一緒におなりなさい。


* * *


 ぼくは旅をし、旅を続け、いつか五年が過ぎていた。


 初めは道ばたで必死に歌い終え、汗ばんだ手でぼうを逆さにさし出しても、聴き賃のコインは多くて二三枚……けれど一生懸命歌って歌って歌ううち、どうやら腕も上がってきて、まあ宿の泊まり賃を稼ぐぐらいは出来るようになってきた。


 歌う場所も道ばたから酒場のホールが多くなり、『吟遊詩人のストーリ』といえばそこそこ名が通るようになってきた。


 ……けれども、ぼくは独り身だった。ひとりふらふら旅から旅へ、あてもなく足を運んでいた。


 叔母に言われたあの言葉が、今でも耳に染みついている。綺麗な爪のひと。美しい爪のひとと一緒におなりなさい。玉の輿にお乗りなさい……、


 正直ぼくには、そんな贅沢は身に余るという気がする……綺麗な爪のひとは、客の中にもいくらもいた。人間だったり、人外だったり、はては悪魔だったりしたけど、みんな顔も綺麗な貴族ばっかりだった。


『吟遊詩人のストーリが来た』といううわさを聞いて、お忍びでやって来たひとたちだった。女性もいたし、男性もいた。綺麗なひとたちばっかりだった。


 誰もかれも綺麗にみがかれた長い爪をして、白く細い指を組み合わせ、ぼくの歌を聴いていた。聴きながらぼくの顔を凝視して、『今夜のベッドの相手にどうか』という品定めをする目つきで、熱っぽくぼくを見つめていた。


 ぼくはいつだって、歌った後で物かげでそういうひとたちに袖を引かれて、その誘いを断った。いつだって、宿の小さなベッドでひとりっきりで眠りについた。


 綺麗だと、ぼくには思えなかった。美しい顔の、美しい爪のひとたちが、綺麗だとは思えなかった。だからぼくは一生ひとりでいるんだろうと、心のどこかであきらめていた。


* * *


 旅に出て、六年目の春だった。小声で歌を歌いながらくさたけの短い野原を歩いていると、急にこっこ、こっこという声にまとわりつかれた。


 ――驚いて立ち止まる足もとに、何羽もニワトリが寄ってくる。えっえっ? これはいったいどういうことだ?


「ああ、すみません、旅の方! そいつらぼくのニワトリです!」


 向こうから走ってきた青年は、そばかすのほおに人なつっこい笑みを浮かべる。ニワトリたちをうながすと、鳥たちはおとなしくこっこ、こっこと言いながら彼のまわりについてぴょこぴょこ小刻みに歩き出す。


「やあ、すいません、こいつら昼間は放し飼いなもんですから! うまい卵を採るために、こうして日なたぼっこをさせて、青草を食わせてるんですよ!」

「……たまご?」

「はい! おれ、この村のレストランのシェフなんです! 卵はこういうニワトリに産んでもらったのが一番うまいんで!」


 言いながら笑う青年の爪は、短く切りそろえてあった。淡い栗色の髪も短く、ちらちらとひたいのあたりに申し訳ていどに垂れている。


「ああ、もし良かったら! おわびと言っちゃあなんですが、ウチで昼めし食ってきません? でっかいオムレツおごりますよ!」


 そう言って、青年は大きな手をさし出した。つられて手をさし出すと、青年はぎゅっと握手をしてくれた。


「よろしく……おれ、ジャックって言うんです! あなたは?」

「あ……吟遊詩人の、ストーリです……」

「ストーリ? へえ、あの有名な吟遊詩人さん! 村じゃああちこちあなたのうわさでもちきりですよ! 歌聴いてみたいなあ!」


 初めてだったかもしれない。男にしろ女にしろ、年頃のひとがぼくの顔を見てしげしげ値踏みするような表情を浮かべなかったのは……ぼくは応えて歌を歌った。純愛の恋歌を選んだのは、いったいなぜだったのだろう。


 ジャックはほれぼれとぼくの歌を聴き、やんやの喝采をしてくれた。足もとでこっこ、こっことニワトリたちも歌っていた。


「いやあ、良いなあ! なんか変な話だけど、おれがガキの頃に亡くなった母親の子守唄を想い出し……や、いやいや! 本当に何だか変な話だ、忘れてくださいストーリさん!」


 そう言ってそばかすのほおに少し赤みをさして、ジャックは照れて頭をかいた。そのしぐさ、その表情が何だかあまりに子どもっぽく、『小さい頃にこういう友だちがいれば良かった』と、こちらこそ変なことを想ってしまった。


 レストランについて、ジャックは簡単にぼくのことを仕事仲間に紹介した。仲間はみんなジャックより少し年上で、「おっ、きまじめジャックについに彼女が出来たかあ?」と冗談半分にからかった。


 その口ぶりには全くもっていやみがなくて、その手の冗談が好きじゃないぼくも思わず笑ってしまった。もっともジャックは真っ赤になって、あわあわ両手を振り回して全力で否定していたけれど。


 ……ジャックはそれは見事な手つきで、プレーンオムレツを作ってくれた。産みたての卵を四個も使い、かんかんと卵をボウルに割り入れ、ミルクと塩とコショウをふってしゃかしゃか混ぜて、油を入れて煙の立つほど熱したフライパンに卵液を()()()()と音立てて一気に流し込み……、


 ――その手つきを見ているうちに、ぼくは初めて分かったのだ。


 綺麗だ。ジャックの爪が、短く切りつめた料理人の手の指の爪が、爪先があまりに綺麗で――大好きだ。


 ああ、ぼくはこういう爪のひとを、今までずっと探して来たんだ。叔母さん、ぼくは貴族じゃない、ああいう『綺麗な爪のひと』より、目の前のジャックがこんなに、こんなに……、


「――結婚してください」

「はえっっ!?」


 特大のオムレツを皿にすべり込ませたジャックが、真っ赤になって皿を落としそうにする。オムレツをさっとすくいあげ、シェフ仲間のおじさまがからから笑ってウィンクした。


「はっは、そうかそうか! ジャック、お前の仕事っぷりに吟遊詩人さんは惚れちまったみてぇだな!」

「良いさいいさ、結婚しちまえ! このレストランを、『食べ物と歌のおいしいお店』にしようぜぇ! でもまぁ、今は食べなよ美人さん! オムレツは出来たてがうめぇんだから!」


 おじさまたちにすすめられ、ぼくはオムレツにフォークを入れる。ふかっと白く湯気が上がって、ケチャップの下から半熟の卵がとろっとやわく崩れてくる。口に運んだオムレツは、黄身の味がとろりと濃くて……今まで食べたオムレツの中で、確かに一番美味しかった。


「はっは、どうだ美人さん! ジャックのオムレツは美味いだろ?」

「少し……しょっぱい……です……」


 ほおをぐしゃぐしゃにして答えるぼくの目もとに、ジャックが白いハンカチをあてて涙をぬぐってくれた。


* * *


 それから五年……ジャックの働くお店は、本当に『食べ物と歌のおいしいお店』になって、ぼくは再び旅には出ずに、ずっとこの村で暮らしている。


 ジャックは今じゃ料理長、年かさのシェフたちに何やかんやといじられながら、今日もフライパンを振るって大いそがしだ。


 いまだにぼくに色目を使う貴族のひとたちもいるけれど、ジャックはそんな時は別人みたいに険しい顔で、「ストーリはおれのもん……なんかしようもんなら()()だ」と包丁を手にしてにらむので、ぼくは安心してこのお店で歌っていられる。


 四年前にみなしごをふたり引き取って、今では家族よにんで小さな家で暮らしている。六歳のふたごのきょうだいに、ぼくはいつでも言っている……、


「いいかいふたりとも、将来は爪の綺麗なひとと一緒におなり。人間でも人外でも良い、なんなら悪魔でも構わないから……短く切りつめた綺麗な爪の、パパみたいな相手とね!」


(了)

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