からっぽらっぽな胸の内
「一番大事なところは、一番最後に造るんだ」
博士はそう言ってウィンクした。わたしの胸はからっぽだった。博士が設計して造り上げたわたしの胸は、ぽっかりと穴が開いていた。
「君はもう両の手足を持っている。その頭部に、人工頭脳も持っている。だから頭で考えること、少しの気持ちは持っている。でも心はまだなんだ。正直もうちょっと、考えてから仕上げたいんだ……」
言いながらハート型の『わたしの心』をいじくり回し、博士は考え深げな顔で、ああでもないこうでもないとネジや何かをひねくっている。見つめるわたしに気がついて、にっこりと笑いかけてくれた。
……その青色の少年のような瞳の下に、うっすらとくまが浮いている。『わたしの心』のことに夜中までずっとかかりきりで、あんまり眠れていないのだろう。
だからわたしは、微笑して博士にこう言った。『単純な気持ちや感情』は、頭部に収められた人工頭脳でも機能したから。
「あせらないでください、博士。わたしはいつまでも待てますから。この機械仕掛けの体、時間はほとんど無限ですから……」
「ははは、そうだねえ……でも……」
ぼくの時間は、有限だけどね。そう言ってふっと真顔になる博士の真意が、わたしには理解できなかった。
――博士の時間は、有限だった。人間の寿命の問題だけではない、我が国は戦争をしていたのだ。大国と張り合う我が国の戦況は劣勢で、博士のような『頭脳に秀でて体は弱い』方ですら、徴兵される状況にまで追い込まれていた。
「やあ、もうちょっと時間はあると思っていたけど……ちょっと出かけてくるよ、でもきっとすぐに戻って来る。その時こそはきみの『からっぽらっぽな胸の内』、いっぱいの感情で満たしてあげるから……!」
おどけておかしな言い回しをし、博士はわたしの『からっぽらっぽな』胸の空洞に愛おしむように指を入れ、ぐっと親指を立ててみせた。すぐに帰ると、すぐにでも帰っていらっしゃると、からっぽのわたしは博士の言葉を信じていた。
――博士は、帰ってこなかった。
二年過ぎ、三年過ぎ、戦争が負けて終わっても、いつまでも帰ってこなかった。代わりに戻ってきた小さなちいさな木の箱には、『ディアマント』と博士の名が書かれた紙が入っていたばかりで、だから博士はいまだに向こうの国にいると、いつかはきっと帰って来ると、わたしはずっと想っていた。想い込もうとしていた。
……そう考えるくらいには、わたしの人工頭脳も『人間らしい感情』を持っていた。
博士は、帰ってこなかった。五十年経って、わたしの胸はがらんどうのままだった。わたしは『動く展示品』として、ある博物館の一角にある高級カフェでメイドとして稼働していた。
そんなある日、ひとりのお客がカフェでウィンナーコーヒーを一杯注文した。お客は大きな角の生えた帽子をかぶり、妙なにやにや笑いを浮かべて八重歯をむき出す少年だった。
「――ねえ、お姉さん。あんた、小鳥が欲しくない?」
「小鳥は必要ありません。わたしには心がありませんから、癒す心もありません。癒しの対象、ペットなど、わたしには必要ありません」
「ええ、つれないねえ、お姉さん! まあ話を聞いてよ、お姉さんのそのからっぽな胸の中! そこに鳥かごを突っ込むのさ、心の代わりに鳥の入った鳥かごを!」
言うなり少年はどこからか小さな鳥かごを取り出して、さっとわたしの胸の空洞に突っ込んだ。あつらえたようにぴったりの、小さな金の鳥かごだった。
かごの中には小さな青い鳥がいて、ちりちりかすかに歌っていた。見下ろし見つめる鳥の瞳は宝石みたいに青くあおくて、わたしはなぜか博士の瞳を想い出した。
「――ね? なかなか悪くないだろう、お姉さんが気に入ったなら、お代はいらんよ、サービスだ!」
そう言うなり少年は、さっと姿を消してしまった。こちらの目の認識機能がおかしくなっていたのだろうか。機能がバグっているうちに、少年はわたしに気づかれずカフェを出て行ってしまったのか……飲まれなかったウィンナーコーヒーの湯気ばかり、白く温かくゆらゆら揺らいでただよっていた。
それから、わたしはカフェで見る間に売れっ子になった。『動く展示品と新種の青い鳥』として、「あのメイドを」と指名するお客も多くなった。わたしは胸で青い小鳥がさえずると、胸が満たされる想いがした。
小鳥の声はどこかいつかの博士に似ていて、『からっぽらっぽの胸の内』と歌っているようにも想えた。その独特の歌い方は、お客にとても受けが良かった。
……けれどわたしは、いつか小鳥が夜中にしんねり目をつむり、ほっと小さくため息するのに気づくようになっていた。狭いせまいかごの中で、小鳥はアワやヒエを食べ、その歌声も少しずつ、かすかになっていくようだった。
わたしは、この鳥が博士なのではと、想うようになっていた。博士の魂が帰ってきて、この小さな鳥かごの中で、わたしのからっぽな胸の内で歌っている、でもそれは本当に善いことか……、
そう想うだけの感情は、成長機能のある人工頭脳に育っていた。だからわたしは考えて、考えて、少し悩んで、とうとう最後に誰にも見られない閉館時間に、ひとりで胸の鳥かごに手をかけた。
手をかけて、小さな小さな金の鍵を鍵穴に入れ、かちゃりとかすかにひねってみた。静かに開いた扉の前で、小鳥はしげしげ扉の向こうを見渡して、ぴょいと入口に飛び移り……だからわたしは、閉め切られたカフェの窓へと手をかけて、からりと大きく開け放ち……、
小鳥は『からっぽらっぽな胸の内』『からっぽらっぽな胸の内』と何度もなんどもさえずりながら、満開の星々の青白く咲いた夜の空へと、青く飛び立ち飛び去った。
わたしはいったい何の理由か、意識が遠く遠くなって、自分の機能が停止するのを、人工頭脳のどこかでかすかにかすかに認識していた。
* * *
「……ねえ、起きなよ、起きてごらん。もう意識はあるでしょう? 目を覚ましなよ、ディアナ……!」
いつか誰からも呼ばれなくなっていた名を呼ばれ、わたしはぱっと目を開いた。目の前には白衣の青年……『ほとんど少年』と言っても良いくらいの幼い見た目の青年が、レンチを片手に笑っていた。
「やあ、初めましてだね! ぼくはエーデル・エーデルシュタイン! なんと! 弱冠十六歳の『貴族で天才科学者』様だ!!」
「……ここは? わたしはいったい……」
「あ、疑問だらけかい? まあ無理もないや、百年ぶりに起きたんだもんね! あのね、ここはきみが機能停止してから百年後の未来だよ!」
理解が出来ずに何度もまばたくわたしの目つきに気がついて、エーデルと名乗る青年は小柄な肩を揺らして笑う。
……くちびるをかすかに震わす笑い方が、いつかの博士の笑顔に似ている。
「あのね、こないだぼくは気まぐれ起こして博物館に出かけてね、館のすみっこに置かれてた『きみの亡骸』に目をとめて……もらい受けたんだ、もちろんその分のお代はちゃんと払ってね!」
言いながらエーデルは青い瞳をいたずらっぽくぱちぱちさせて、そっとわたしの胸のあたりへひらっと手のひらをひらつかせる。
――つられて見下ろしたわたしの胸は、白い人工皮膚でそれは綺麗に覆われていた。その皮膚の下で何かがせわしく稼働している。今までにない、この世に『生まれ出でて』から、まるで初めての感覚だ。
言葉もなく見つめる視界の真ん中で、青年は青い目を輝かしてはにかんだ。得意げにきゅっとウィンクし、『あまり見ちゃ悪い』とでも言いたげに、わたしの肩からそっとスカーフをかけてくれ、むき出しの左胸は白いレースに覆われる。
「……で、ぼくが手を入れさしていただきました! きみの『からっぽらっぽな胸の内』、ぼくが埋めさしていただきました!」
博士しか知らないはずの言い回しで、博士にそっくりの目の光で、博士そのものの笑い方で……奇跡みたいにエーデルが白い歯を見せて笑う。
あまりにも胸が熱くて甘くて、きゅうっと締めつけられるようで……わたしの視界がみるみる潤み、塩辛い液体があふれ出る。初めての感覚に思わずしずくを指でぬぐうと、エーデルはそのしずくに手を触れて舐めとった。
「……生理食塩水みたいなものさ。せっかく心を持ったんだから、言い知れぬ感情のしずくも、目から出せるようにしといた方が良いと思って」
あふれて、あふれてあふれこぼれて、『感情のしずく』が止まらない。その時の感情が初めて知った愛だったのだと、十年後の結婚式でエーデルはわたしにそっと教えてくれた。
エーデルは十年かけて法の縛りに挑みかかり、ついに『人間と機械の結婚は合法だ』とする法律を成立させ、彼とわたしと祝福されて結ばれたのだ。
「……『からっぽらっぽな胸の内』、これでやっと満たせたかなあ……」
つぶやいて潤んだ瞳で見つめられ、わたしは少し笑い返して、またまっすぐに前を向く。
……結婚式場のすみっこに、角のある少年が壁に寄りかかって立っている。少し口を曲げて、何だかちょっと悔しそうに微笑んで、軽く拍手して……いつかと全く同じように、一瞬のうちに姿を消した。
その背中に一瞬黒いコウモリみたいな羽が見え、消える刹那に、目に痛いくらい真っ白な、天使の羽に変わった気がした。
教会の鐘の音が、かろんかろんと清い響きを響かせて……教会の天窓の向こうの青いあおい空の中、飛行機が一機飛んでいく。
爆弾を落とさない飛行機が、青い空に白い雲を、リボンのように細長くひいて飛び去った。
(了)




