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四葉とエリカとホワイトローズ

 美しい羽を持っていた。飛べない訳でもなく、神様に堕とされた訳でもなく、彼は純粋な天使だった。


 白い絹の衣。細い体をつつむもうひとつの衣のような、ふわふわした長い金髪。柔らかい宝石のような青い瞳……おおきな白鳥のような翼でぱらりぱらりとあおいでやると、人間の子どもたちははしゃいでころころ笑い声をあげるのだった。


『ホワイトローズ』という名の天使は、みんなから『ホロ』と呼ばれて愛されていた。ホロは天から遣わされた……半年前、人間の手助けをする役目をおって。


 ホロはみんなから愛された。牧場の奥さんにはしぼりたてのミルクをもらい、木工細工の親方には木彫りの小さな、天使の像をいただいた。ホロは正直、力も弱く、実のところはたいして役には立てなかったが、それでもみんなはホロを愛した。


 ホロもみんなを等しく愛した。ただひとり、何となく気にかかるひとがいた。それはいつも小さなかごに花を入れ、売り歩くひとりの少女だった。


 彼女は名を『エリカ・エアリーホワイト』といったが、みなはただ『エリカ』と呼び捨てた。


 なんでもエリカはうわさでは、『エアリーホワイト』という貴族の血を引いているが、愛人の腹から生まれた私生児で、父親から『自分の子』として認めてもらえず、もてあました母親に教会の前に捨てられて、教会の孤児院で育てられ……、


 十五の歳で孤児院を『卒業』させられ、それからはぼろぼろの小屋にひとり住まって、小さな庭で雑草のような小花を育て、手製のかごにそれを摘みとり、売り歩いては細々と食いつないでいるらしい。


 ホロは一度だけ、エリカに花をもらったことがある。「こんなもので申し訳ないんですけど」と恥ずかしそうに言いながら、クローバーの白い小花を一輪くれた。おまけに四葉のクローバーも添えてくれて、それがホロには嬉しかった。


 四葉のクローバーが『幸せのシンボル』だと知っていた。半年前から地上にしばしば降りているから、人間の子どもたちに聞いてもう知っていた。


「でもさ、めっちゃ珍しくてさ! めったに見つからないんだぜ!」


 わんぱくな男の子がすきっ歯を見せながら笑って言っていた。だから四葉がどれだけ貴重な贈り物か、どれだけの想いを込めてエリカがそれをくれたのか、天使にはちゃんと分かっていた。


 エリカはそばかすのほおに低い鼻、もえ色のつぶらな瞳に小柄な体……年頃の男たちはてんで相手にしていなかったが、ホロはおおぜいの子どもたちにじゃれつかれながら、いつだって視界のすみで彼女の姿を探していた。


 ホロはいつか、自分が天使であることを『かせ』と思うようになっていた。この大きな羽さえなくば、もっと身軽に動けるのに。この細い腕、細い体でももう少してきぱき動けるように、みんなの役に立てるのに……そんな想いの奥底にひそむ本心に、まるで気づいていなかった。


 ホロはいっぺん天界に、雲の上まで戻っていき、神様にこうお願いした。「ぼくを人間にしてください」と。神様はその願いを聞き、少しだけ淋しげな顔をした。かすかにかすかに痛みの混じった、母が幼子を想うような微笑を浮かべ、ただ穏やかにうなずいた。


「それではお前、ホワイトローズよ……地上に戻り、人間の酒を飲むが良い。天使に禁じられた人間の酒を飲むだけで、お前の頭上の光輪と、背中の羽は落ちるだろう……」

「ありがとうございます、本当にありがとうございます!」


 ホロはぴょこぴょこと、童話に出てくる母ねずみみたいに何度もなんどもおじぎして、さっと白い翼を駆って一気に地上に降り立った。――そうして酒場に飛び込んで、ぶどう酒を一杯所望して、くっとひとくち口をつけた。


 そのとたん大きな羽は吹雪のように白く舞い散り、頭上の光輪もごりみたいに明るく光って無になって、あとには何の変哲もない、ただの美しい青年だけが残された。


「みなさん、ぼくはこのたび、この通り人間になりました! 光輪と羽根は無くなったけど、これからもよろしくお願いします!」


 そう言うと酒場のみんなは言葉を失い、互いに顔を見合わせて、それからろくにあいさつもせず、ちりぢりに帰って行ってしまった。残されたのはホロと酒場のあるじばかり、主は自分の口ひげをむやみにひねくって、口ごもりながらこう言った。


「……なあホロ、お前が俺の店の酒を飲んで()()()になったって、あんまりよそでは言わんでくれよ!」


 ホロは何だか訳が分からず、それでも素直にうなずいた。


* * *


 ホロはそれから親切な牧場の奥さんに、「とりあえずここで雇ってください」と頼みに行った。奥さんは羽のなくなった背中をつけつけ眺めまわし、迷惑そうに断った。


「まあね、うちも人手は足りないけどねえ……そんなに細い手足じゃあんた、牧場の力仕事はとてもとてもつとまらないよ! ()()()()()仕事にでもついたらどうだい?」


 そう言って奥さんは手で「早く行け」という身ぶりをした。ミルクの一杯もくれなかった。ホロは奥さんの態度が急変したのがよく分からなくて、分からないままおじぎをして牧場を後にした。


 どこに行っても、なんだかみんなが冷たかった。どこでも「その細い手足じゃ、うちの仕事はつとまらない」と断られた。


 ……かと言って元天使の身では、顔で稼げる仕事をしようとは思えない。光輪と羽を失おうとも、ホロの中身は純な天使のままだった。


 野宿をするしか方法はなく、ホロは野原で夜を眠った。夜露がその白いほおを、涙のように冷たく濡らした。


 人間になって二日目の朝、あの木工細工の親方が野原にホロを訪ねてきた。


「やあ、こんなこと言うのもあれだがな……前やった天使の木彫り、返してくんねえか? もう羽のないあんたが持ってんのもあれだろう、な?」


 ホロはやっぱり訳も分からず、ただうなずいて木彫りの天使を彼に返した。


 花の蜜がわずかな食事、ホロはすきっ腹を抱えてふらふらと野原を歩き出した。いくらもいかず、健康な足取りで走ってきた子どもたちと行きあった。ホロが声をかけようとすると、みんなはくるっと向きを変え、あさっての方へ走り出した。


「ま、待って……一緒に遊ぼうよ、みんな……」


 空腹にかすれる声でやっと誘うと、ふっとふり向いたいつかのすきっ歯の男の子が、へん、と鼻で笑ってみせた。


「誰が遊んでやるかよう! 羽根のない天使なんかとよ!」


 そう言って男の子はみんなと一緒に、あっけなく元気よく駆け去った。残されたホロはその場にひとり立ち尽くし、視界がしみじみ潤んできた。


 ――ああ。ぼくは、何かひどいあやまちを犯してしまったらしい。ぼくは背中に羽があった、羽があったから愛されていた。今のぼく、羽も光輪もないぼくには、何の価値もないらしい……。


 視界が見る間にうるうる潤む、涙のこぼれるのをこらえてせわしくまばたくホロの背中に、ふっと優しい手が触れた。


「……ホロさん? ホワイトローズさん?」


 綺麗な声にふり向くと、そこにいたのはエリカだった。小さなかごにいつものように小花を盛って、白いハンカチをスカーフ代わりに頭にまいて、枯草色の二本のおさげを胸に垂らして……、


 エリカはにこっとはにかんで、何だか妙にしみじみと、ホロの背中を見つめて言った。


「他の人から聞いてましたけど、本当に人におなりなんですね……光輪も羽も本当に綺麗だったけど、今はそれがなくなった分、瞳の青が一段と際立ってきらきらして見えて……」


 好きです、わたしは。そう言いきって芯から微笑む小柄な少女に、元天使はすがりつくように抱きついた。


 愛しい。愛しいという気持ちがどんなものか、今初めて分かったホロは、ぐしゃぐしゃの視界の真ん中で、エリカの笑顔を今、本当に見たように想った。


* * *


 ホロとエリカは、ぼろぼろの小屋でふたりで住み始めた。小さな畑に種をまき、雑草みたいな小花を育てて、手製のかごに花を摘み取り、ふたりそろって売り歩いた。


 何年ふたりで一緒にいても、元々の種族の違いから子どものひとりも生まれなかったが、それでもずっと一緒に暮らした。


 ずっとずっと一緒に暮らし、そろってその肌にしわが増え、金髪と枯草色の髪もおんなじような白髪になって、ぼろぼろの小さいベッドの中で、ふたりしわくちゃの手をつなぎ、お歳のあまり眠るように亡くなった。


「なあ、昨晩ここの小屋の屋根のあたりから、ふたりの天使が空に昇っていったそうだが……若い時のホロとエリカにそっくりだったらしいじゃねえか」

「またまた……そんなのホラだろ、嘘っぱちだよ! んなこたある訳ねえじゃねえか!」


『あとの始末』にやって来た男ふたりが話をしながら、手早く小屋の中をあさる。古ぼけた小型の聖書を手にとって、背の高い男がふん、と軽く鼻を鳴らした。


「……なるほど、さすがは元天使だな……羽をなくしても信仰は捨てんかったという訳か……」


 男はちょっと感心したようにつぶやいて、黄ばんだページをぱらぱらめくる。聖書は乾いた音を立てて、めくられめくられ、かすかな風を立ててめくられ……、


「……なんだ、押し葉か? ずいぶん年代物のようだが……」


 男がつぶやくと同時に……まるきりかさかさになった四葉のクローバーが一枚、ページのすきまからすべり落ちた。


 赤みを帯びたはちみつ色のぬくい夕陽が、ぼろぼろのベッドの上にさしかかる。


 ……ベッドの上の亡骸ふたつは、しわくちゃの口もとにそろってを浮かべていた。


(了)

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