表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

34/46

聖女の花

 その『だいの悪人』は、美しいものが好きだった。


 さらさらの金髪に宝石のような青い瞳、天使のごとく清らかに美しい青年は、心の中は真っ黒だった。そうして珍しい、美しいものばかりを愛した。


しろがねの毛皮持つライオンの仔』を産む人外の娘……すい色の千年生きる『ガラスクラゲ』……猛毒のガスを放つ血の色をした至上の宝石……。


 青年はころころと歌うように指示を出しては、珍しいもの、美しいものをそれこそ金に糸目をつけず、人の数百、数千の命など()とも思わず、かたっぱしから集めていった。


 そうしてついに、悪人は『聖女』と謳われる絶世の美女を手に入れた。


「アンブローズ……ぼくの名は『アンブローズ』だ。言ってみろ、赤いさくらんぼのようなくちびるに、ぼくの名前をのせてみろ」

「――わたくしは、悪に決して屈しません。あなたのきたならしい偽りの『愛』になどなびきません。わたくしをどうなさるおつもりですか」

「はは、そうきたか! そうまで憎まれ口をきくなら、こっちもなけなしの良心が痛まずに済むというものだ……あのな、ぼくはお前を『肥料』にするんだ」

「……肥料?」

「そうだ、ぼくは『聖女の花』の種をひとつぶ持っている。この種は文字通り聖女の『死にたてほやほやの亡骸』をなえどこにして育つんだそうだ……」


 その言葉を耳にしても、聖女はまったく動じない。かえって口もとにを含んで、柔らかく挑むようにアンブローズをまっすぐ見つめる。


「その花はそれは美しい、にじを花にしたような七色の花びらを風に揺らし、世にもたえなる甘い香りをふわふわあたりに振りまくそうだ……なあ聖女よ、きみはその花の苗床になるんだよ」


 言いながら青年が銀のナイフを振りかざしても、聖女の笑みは揺らがない。かえってその刃を待ち受けるように、白いドレスの胸を細い手でいっぱいに大きくはだけていかける。


 ――やいばがひらめき、白い胸もとに突き刺さり、目に痛いほど鮮やかな生き血があたりいっぱいにいて舞い散り、聖女はその場に倒れ伏した。


 アンブローズは美しい口もとに醜い笑みを浮かべながら、小さな種を聖女の……聖女の亡骸の胸もとにそっとまく。まかれた種は見る間に芽吹き、小さな銀色のハート形の葉っぱをつけてみるみるうちに()()を伸ばし、淡い虹色のつぼみをいくつもいくつもつけては開き、花開き……、


 またたく間に『素晴らしい悪夢』のように悪人の屋敷は虹色の花でいっぱいになり、聖女の花はつるを伸ばしに伸ばして窓のガラスを打ち破り、屋敷は花の渦になる。


 アンブローズは心からの笑い声をあげ、うっとりと虹色の花々に手を伸ばし……その口から、かっと真紅の血を吐いた。屋敷じゅうに広がった甘いにおいに、ほんのわずかえたようなにおいを嗅ぎつけ、青年はのどを押さえてのたうち回る。


「……こ、このにおい……ど、毒……」

 屋敷じゅうの人間のうち、いくらかはそのにおいに血を吐いてはのたうち回り、その他は驚き戸惑ってその惨劇をあっけにとられて見守るばかり、血を吐かぬ人々の鼻には香りはただただ甘いばかり。


 やがて虹色の花々は甘くうごめき見る間にはびこり、死屍累々の景色の中で生き残った人々の背中には、いつしか白い羽が生え……、


 ――いつか起き上がった『聖女』が、胸から虹色の花を咲かせて微笑んだ。


「……なにもかも、何もかもうまくいったな。神本人が聖女の姿を借りて、この世に生を受けたとは、悪人は最期まで気づかんかった……」


 よみがえった聖女は……否、女神は妖しく清らに微笑んで、背中に羽を生やした『善なる者』たちにたおやかにその手を広げて言いかける。


「さあ、新たな天使たちよ……少しうがった『最後の審判』は終わりを告げた。聖女の花のにやられ、悪人たちは死に絶えた。今ごろやつらの魂は地獄に堕ちて、永遠の罰を受けている……」


 黄金の髪をふわりふわりと風になびかせ、崩れ落ちた屋敷のがれきを踏みつけながら、女神はくるりと優美にターンする。ひらひらと白い両手を広げ、歌う口ぶりでこう告げる。


「今ここからは、この地上が新たな永遠の楽園だ。みなみな聖女の花からしたたる蜜を吸い、豊かに実る虹色の実を食し、清らに幸福に生きていこうぞ……!」


 言うなり虹色の花々はちらちらと次々花びらを散らし、虹色のカカオの実のような果実を実らせる。その実に歓声をあげては飛びついて、『善い者』たちは背中の羽を歓喜に揺らし、オパールのような果汁のしたたる果実にじゅくりじゅくりとかじりつく。


 アンブローズが生きていたなら、どれだけよろこんだことだろう。


 この世のものとも思われぬ、あまりに美しい光景を……アンブローズの亡骸が、見開いたうつろな青い目に映していた。


(了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ