聖女の花
その『稀代の悪人』は、美しいものが好きだった。
さらさらの金髪に宝石のような青い瞳、天使のごとく清らかに美しい青年は、心の中は真っ黒だった。そうして珍しい、美しいものばかりを愛した。
『白銀の毛皮持つライオンの仔』を産む人外の娘……翡翠色の千年生きる『ガラスクラゲ』……猛毒のガスを放つ血の色をした至上の宝石……。
青年はころころと歌うように指示を出しては、珍しいもの、美しいものをそれこそ金に糸目をつけず、人の数百、数千の命などへとも思わず、かたっぱしから集めていった。
そうしてついに、悪人は『聖女』と謳われる絶世の美女を手に入れた。
「アンブローズ……ぼくの名は『アンブローズ』だ。言ってみろ、赤いさくらんぼのようなくちびるに、ぼくの名前をのせてみろ」
「――わたくしは、悪に決して屈しません。あなたの穢らしい偽りの『愛』になどなびきません。わたくしをどうなさるおつもりですか」
「はは、そうきたか! そうまで憎まれ口をきくなら、こっちもなけなしの良心が痛まずに済むというものだ……あのな、ぼくはお前を『肥料』にするんだ」
「……肥料?」
「そうだ、ぼくは『聖女の花』の種をひとつぶ持っている。この種は文字通り聖女の『死にたてほやほやの亡骸』を苗床にして育つんだそうだ……」
その言葉を耳にしても、聖女はまったく動じない。かえって口もとに微笑を含んで、柔らかく挑むようにアンブローズをまっすぐ見つめる。
「その花はそれは美しい、虹を花にしたような七色の花びらを風に揺らし、世にも妙なる甘い香りをふわふわあたりに振りまくそうだ……なあ聖女よ、きみはその花の苗床になるんだよ」
言いながら青年が銀のナイフを振りかざしても、聖女の笑みは揺らがない。かえってその刃を待ち受けるように、白いドレスの胸を細い手でいっぱいに大きくはだけて微笑いかける。
――刃がひらめき、白い胸もとに突き刺さり、目に痛いほど鮮やかな生き血があたりいっぱいに飛沫いて舞い散り、聖女はその場に倒れ伏した。
アンブローズは美しい口もとに醜い笑みを浮かべながら、小さな種を聖女の……聖女の亡骸の胸もとにそっとまく。まかれた種は見る間に芽吹き、小さな銀色のハート形の葉っぱをつけてみるみるうちにつるを伸ばし、淡い虹色のつぼみをいくつもいくつもつけては開き、花開き……、
またたく間に『素晴らしい悪夢』のように悪人の屋敷は虹色の花でいっぱいになり、聖女の花はつるを伸ばしに伸ばして窓のガラスを打ち破り、屋敷は花の渦になる。
アンブローズは心からの笑い声をあげ、うっとりと虹色の花々に手を伸ばし……その口から、かっと真紅の血を吐いた。屋敷じゅうに広がった甘いにおいに、ほんのわずか饐えたようなにおいを嗅ぎつけ、青年はのどを押さえてのたうち回る。
「……こ、このにおい……ど、毒……」
屋敷じゅうの人間のうち、いくらかはそのにおいに血を吐いてはのたうち回り、その他は驚き戸惑ってその惨劇をあっけにとられて見守るばかり、血を吐かぬ人々の鼻には香りはただただ甘いばかり。
やがて虹色の花々は甘くうごめき見る間にはびこり、死屍累々の景色の中で生き残った人々の背中には、いつしか白い羽が生え……、
――いつか起き上がった『聖女』が、胸から虹色の花を咲かせて微笑んだ。
「……なにもかも、何もかもうまくいったな。神本人が聖女の姿を借りて、この世に生を受けたとは、悪人は最期まで気づかんかった……」
よみがえった聖女は……否、女神は妖しく清らに微笑んで、背中に羽を生やした『善なる者』たちにたおやかにその手を広げて言いかける。
「さあ、新たな天使たちよ……少しうがった『最後の審判』は終わりを告げた。聖女の花の香にやられ、悪人たちは死に絶えた。今ごろやつらの魂は地獄に堕ちて、永遠の罰を受けている……」
黄金の髪をふわりふわりと風になびかせ、崩れ落ちた屋敷のがれきを踏みつけながら、女神はくるりと優美にターンする。ひらひらと白い両手を広げ、歌う口ぶりでこう告げる。
「今ここからは、この地上が新たな永遠の楽園だ。みなみな聖女の花からしたたる蜜を吸い、豊かに実る虹色の実を食し、清らに幸福に生きていこうぞ……!」
言うなり虹色の花々はちらちらと次々花びらを散らし、虹色のカカオの実のような果実を実らせる。その実に歓声をあげては飛びついて、『善い者』たちは背中の羽を歓喜に揺らし、オパールのような果汁のしたたる果実にじゅくりじゅくりとかじりつく。
アンブローズが生きていたなら、どれだけ悦んだことだろう。
この世のものとも思われぬ、あまりに美しい光景を……アンブローズの亡骸が、見開いたうつろな青い目に映していた。
(了)




