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童話作家のダグラスと

 トーマスは本が好きでした。物語が好きでした。いつか自分も本を書く人になりたいと、心からそう想っていました。


 トーマスはいつだって自分の部屋にこもりきり、本を読んだり音読したり……はては『文章の勉強に』と、自分の絵本や児童書をノートにペンでかりかり書き写すしまつでした。


 しかも彼の好きなのは『泣ける良い話』が多いので、書き写すのもそういう話が多いのです。だからトーマスは書くためにひととおり読み返して泣き、ノートにペンで書き写しながら泣き、写し終えた文章にもう一度目を通しては泣き……十歳の男の子の目はいつだって赤くはれぼったく、としには似合わぬ深い()()ができていました。


 七歳の弟のダグラスは、そんな兄を「変な兄さんだ」と思っていました。ダグラスは兄とは対照的にわんぱくで、学校の授業でも体育が一番好きで、休み時間にもクラスメートの先頭きってサッカーボールを追いかけている子どもでした。


 ……でもダグラスは、産まれて七歳と半年でボールを追わなくなりました。ボールを追えなくなりました。それどころか走ることも歩くことも、まるでできなくなりました。


 ――ダグラスは、右足のひざから下を失ったのです。半世紀前に終わった戦争で、土に埋まったまま行方知れずになっていた、地雷を踏んでそれが爆発したのです。


 この国では、珍しいことではありません。他にもおおぜいそんな子はいます。けれどダグラス本人にとっては『珍しくない』どころの話ではありません。


 七歳と半の少年は、足を無くしたその時から目に光を失って、ベッドの中でただうつろな目を開いていました。お医者以外会ってはならない、深刻な時期が三日で過ぎて……ひとりで寝ているダグラスの目から、音もなく涙があふれこぼれて。


 ふと気がつくと、部屋の中に、ベッドのそばに兄のトーマスが座っていました。トーマスは弟が気がついたのに気がつくと、かすかにって穏やかに口を開きました。


 ……トーマスの口から、物語がこぼれてきます。それはトーマス自身が作り上げた話でした。はちみつ色のぬくい日ざしと、色とりどりの花々と、揺れては朝露をちらちらこぼす緑の草と……、


 ダグラスの目に、少しずつすこしずつ光が戻って、七歳と半の少年は涙しながら微笑みました。青い海のような瞳に、うるうる潤んだ兄の姿を映しながら。


「――兄さん、にいさんはずっと部屋にこもって、物語せかいを作っていたんだね……」


 その青い目に光は戻り、けれども右足は戻らずに……ダグラスは足の怪我がもとで、七歳と半と、足して半月で眠るように世を去りました。


 トーマスは、物語を書き続けました。お話をこしらえ、毎日まいにち泣きながらも、いろいろな有名なお話をノートにペンで書き写すのも忘れずに……、


 そうしてやがて、トーマスは大人になって、童話作家になりました。ペンネームは『ダグラス』です。


 ダグラスという名の作家は、小さな男の子をよくお話に書きました。海のような青い瞳の、元気いっぱいの男の子です。


 その男の子はわんぱくで、体育の授業が何より好きで、休み時間にはクラスメートの先頭きって、サッカーボールを追いかけ追いかけ、絵本のスペースをはみ出して行ってしまうような子で……、


 作家は八十八まで長生きして、お歳のために世を去りました。眠るように亡くなる刹那、ふっと一瞬かすむ目を開き、「ダグラス……」とつぶやいて微笑んで、そのまま静かに目を閉じました。


 その時はもう、昔を知る者はベッドのそばにはいなかったので、みんなは作家が『ペンネームをつぶやいたのだ』と思いました。


 ダグラスの……老いたトーマスの深く閉じられた瞳から、ひとすじの涙がつうとしたたり落ちました。


 作家のお墓には、遺言で『サッカーボールの形をした大きな石』が据えられました。墓石には、遺された者たちの想いでこう刻んでありました。


『生前、売り上げの大部分を「地雷の撤去費用」に寄付した作家、ここに眠る』


 亡くなって五十年経った今でも、この国の子どもたちの本棚に、寝室のベッドサイドテーブルに、トーマスの書いた本は置かれて……、


 その本の中では今でも、サッカーボールを追いかけ追いかけ、元気いっぱいの男の子が、走り回ってはしゃいでいます。


(了)

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