鎮魂歌(レクイエム)の星
まるで呪いのような歌……人をとりこにし、魅了して魂をとろかすような歌声だった。
甘く切なく耳に染み、心に沁み、魂の芯のしんまで浸みとおり……訳も分からず涙のあふれてくるような、天使の子守唄のような。
だが、誰も『歌姫』の正体を知らない。今はもういささか時代遅れのCDや、電子データでの販売、もちろんネットでの新曲配信……今や全世界、彼女の歌を耳にしない人間などいないという世の中で、彼女の姿を誰も知らない。
たまに開催される大々的なライヴでも、彼女は決して姿を見せない。まるでステージの真ん中にいるかのように、美しい歌声は母が子を抱くようにあたたかく会場全てをつつみ込み……だがディーヴァの姿はどこにも見えず、観客は不思議な感覚に身をまかせ、理由も分からぬ涙でほおを濡らすのだ。
ディーヴァに魂を奪われた者は数知れないが、ここにひとりの青年がいた。名をアルヴィンといい、母に捨てられた少年だった。
父親も仕事で忙しく、アルヴィンは子守唄がわりに、ひとりぼっちの家の中でディーヴァの歌の流れる環境で育ってきた。そのためにアルヴィンの中で、見も知らぬディーヴァは母のイメージと結びつき、やがてそれは当然のごとく病的な恋情へと化していった。
アルヴィンはネット越しにディーヴァに再三アタックをかけ、初めはあっさりかわされていたが、そのアタックは表面上はあくまで紳士に、三年間毎日続いた。
青年自身も頭のどこかで『ストーカーだろうか、この行為は』と思っていたが、自分でもどうにも止められなかった。
――そんな三年が過ぎたころ、ディーヴァは『そこまでお慕いくださるのなら、今度ふたりでお逢いしましょう。ふたりきりで』と返信をくれた。
アルヴィンは舞い上がらんばかりだった。ただ、指定された場所は……この国でも有名な断崖絶壁の上だった。
待ち合わせの当日、青年は『例の場所』で一時間前から待っていた。崖の下は白波逆巻く冬の海、まるで出来の悪いミステリーで『犯人が話し合いに選んだ場所』だ。これほどの崖から突き落とされたら、誰ひとり無事では済まないだろう。
――彼女、ぼくを殺す気なのかな? 『ストーカーに刺し殺される前に、わたしが先にこの崖から突き落とせば』……このぼくは、そこまで危険視されている?
いや、まさか。彼女は他の人に姿を見られたくないだけだ。このぼく以外には、正体を知られたくないから、誰も登ってこないだろうこんな断崖絶壁を面会の場所に選んだんだ……でも、まさか? まさか……、
「――アルヴィンさん」
「っは、はぃいいっ!?」
急に背後から声をかけられ、青年はびょんと飛び上がる。そのさまがおかしかったらしく、くすくす微笑う声が聞こえる。
アルヴィンはきょろきょろあたりを見回し、不思議そうに空に訊ねる。
「……あの、ディーヴァさん? どこに、どこにいらっしゃるんです?」
「目の前におります……わたしの姿は見えないでしょう。わたしは『言霊』なんですから」
わたしをお慕いくださるあなたに、あなただけに、全ての訳を話しましょう……そう言って『声だけの存在』は、歌う口ぶりで打ち明け始めた。
「わたしの名は、エコーと言います。どこかの神話にそんな名の精霊、悲劇のヒロインの声だけの存在がいましたが、わたしはそれとは違います。わたしは『世界を創造した唯一神』が、一番初めに創った『知的生命体』でした」
ファンタジーのキャラクターのような『声だけの存在』が、美しい声で語る話はそれこそどこかの神話のようで、アルヴィンは芯からとまどいながらも懸命に耳をかたむける。
「……神は初めはわたしをそれは可愛がってくれました。けれどもその後で創った天使や人間たちが、神よりもわたしの方に親しみを持ち、愛してくれるようになると……神は激しい嫉妬を覚え、乙女の外見をしていたわたしの姿を奪い去り、声だけの存在にしたのです……」
声は語る、語り続ける、歌うように、泣くように……それはそれは美しい、天使の子守唄のように。
「わたしは永く、ひとりきりで『生きて』いました。変化が起きたのは十年前……森の中である音楽プロデューサーに出逢ってから、わたしは『歌姫』として人間の社会にデビューして……今、たった今、こうしてあなたと話しているの……」
語尾がかすかに甘えるようにとろけたことに、アルヴィンの胸がきゅうっと切ない音を立てる。エコーは青年の周囲を語りながらゆっくりまわり、彼の心を酔わせていく。
「ねえ、あなた、歌がお上手な方でしょう……? ううん、分かるの、聞けば分かるの、あなたのお声と話し方……ねえ、良かったら、もし良かったら……あなたがいずれお歳を召して、老いた肉体とその魂が離れたら……わたしと同じ『エコー』になって、一緒に歌を歌ってくれない……?」
「――そんなに待つこともないさ」
アルヴィンはうっとりとつぶやいて、迷いもなく崖のはしから踏み出した。きゃっと芯からエコーが叫び……落ちて、落ちて、落ちて。白波がざぶんと大きく波立って、後はそれっきり、何も浮かんでこなかった。
* * *
『歌姫』の歌声に、いつからかバックコーラスが入るようになった。それは美しい男声で、ディーヴァの後ろでひかえめに歌い……彼女の美声を引き立てつつ、全く邪魔にならなかった。
美しい歌は全世界に広がって、美しい歌を耳にしながら、人々は戦争を止めなかった。大国のトップどうしはそれぞれの国で『ディーヴァ&ナイト』の歌を聴きながら、互いに最終兵器のボタンを押した。
最終兵器と最終兵器は偶然にも全く同じタイミングで発動し、どちらか一方ならかろうじて死滅しなかっただろう人類は、またたく間に赤黒いミンチになって死に絶えた。
エコーとアルヴィンの魂ばかり、死の星となった地球で『生き残った』……幸いにも死滅せず、兵器の毒の影響で奇形になった生き物のあふれる荒野でふたり、声ばかりでささやき交わす。
「……どうしよう、これから……」
「悩むまでもないわ、今まで通り歌えば良いのよ。観客は人間じゃなくても良い、生き残って『進化』した三つ目のリスや五つ足のシカたちに聴かせれば良い、一緒に歌えば良いだけよ……」
そうしてふたりは歌い出した。奇形のリスやシカや、『進化』して発声機能を得た蝶やトンボたちと、声高らかに歌い出した。その声はおぞけの立つほど空恐ろしく美しく、まるで死の星そのものが歌っているかのように、この世ならぬメロディーでとぎれながらも続いて、続いて……、
『――やあ、いつ聴いても素晴らしいな、「死の星の鎮魂歌」は』
『しかし不思議だ、誰が歌っているんだろうな? メインヴォーカルはオスとメスのつがいのようだが、明らかにある種の言語で発声している。あの星の知的生命体は、全員死滅したらしいが……』
『そこはあれさ、いわゆる幽霊というやつじゃないか?』
『これはまた、ずいぶんと非科学的なことを言う……宇宙に知的生命体が何種存在するかは知らんが、幽霊なんて存在は……』
『ほら、受信音波の状態が悪い、またチューンを合わせないと……どちらにしてもあの歌を待っている者たちがいろんな星にいるんだからな、ぼくらもきっちり仕事をせんと』
『全く……技術が進歩したこの時代に手作業だからな、電波でなく微細な音波だよりとは……』
『文句を言うな、シュミシュミカー……考えてみろ、ぼくらが一番あの星の近くで歌を聴けるんだぜ? 役得、やくとく……』
何だかんだ言いながら、『鎮魂歌の星』の上の空高く、宇宙船の中の十本足の生き物たちは、美しい歌に聴き惚れていた。
(了)




