何をやっても失敗続きの『マッドサイエンティスト』が「もうこんな世の中ぶっ壊してやる!!」とヤケになって純粋培養した『悪魔っ娘』はまるで天使。
やってられない、やってられない、やってられない!
いくら僕が『あんまり頭の出来が良くない科学者』だからって、こんなのはもううんざりだ!
何なんだよ、僕は『善い発明』で世の中に貢献したいだけなのに! 断崖絶壁を爪を剝がしながら登って、やっと手に入れた薬草で薬を調合したら、何故か猛毒になっちゃうし!
みんなを楽しませようと『チェス指しロボット』を半年のあいだ寝る目も寝ずに造りあげたら、『あたりかまわずチェス盤を振りかざして走り回って、チェス盤のカドで思いっきり人の頭をぶん殴ろうとする凶器』が出来るし!
あれもこれも、何を造っても裏目裏目になっちまう! しまいにゃ僕は、この辺じゃ超有名な『マッドサイエンティスト』呼ばわりだ!!
ああもうちくしょう……こうなりゃヤケだ! 十日で造ったこの虹色の『悪魔の卵』! こいつを孵化させて生まれた悪魔と悪事ざんまい、本当のマッドサイエンティストになってやる!!
……と、思ったけどやめとこうかな……今までは今まで、やっぱり日々こつこつ努力していけば、いつかは本当にすごく善い役に立つ発明を……、
「――って、わぁあああ! 予想に反してもう卵にヒビが入った! 孵化しかかってるー! ちょっとタンマタンマ! やっぱこの研究はなしー!! 生まれんでくれー!!」
ヤケを起こしかかったが気の弱い科学者は、きゃーきゃー悲鳴を上げながら卵のヒビをおさえ込む。しかし! 虹色の卵には情け容赦なくヒビが広がり、中からは悪魔の赤ちゃんが!!
「……え、なにこの子可愛い……」
中から姿を見せたのは、天使みたいな赤ちゃんだった。なるほど、ピンク髪の頭にはちょこんとふたつ金の角、背中には黒いコウモリの羽、おしりからはぴろんと尖ったしっぽが生えて……、
だが可愛い。圧倒的に可愛い。浮かべる表情も天使のごとく、ほにゃほにゃと柔らかく笑っている。
「……や、なに嘘だろ……あ、あはは……僕また『失敗』しちゃったかあ……!」
一気に肩から力が抜けて、科学者の青年は芯からほっとして笑い出す。ひきかえに赤ちゃんはふにゃっと表情を崩して泣き出して、青年はあわてて悪魔の赤ちゃんを抱き上げる。
「あわわ、どうしたどうした!? ――そうか、ミルクが欲しいんだな! ちょっと待っててな、一緒に牧場の奥さんとこに頼みに行こう!!」
抱っこしたまま近所の牧場の奥さんのところに駆け込むと、奥さんは「あら、例のマッドサイエンティスト」と言わんばかりに顔をしかめて……その目が彼の胸もとでとまり、意外そうに目を見張る。
「あらぁ可愛い! センセ、この子はどうしたの? あんたの隠し子?」
「ととと、とんでもない! この子は悪魔の……あ、」
「悪魔だって? この子がかい? あらまあ、よく見りゃたしかにちっちゃい角に羽にしっぽ……センセ、またマッドサイエンティストらしいことを……!」
奥さんはそう言ってしげしげと悪魔の子を見つめ、なかばうっとりとひとりごちる。
「……でもねえ、えらいこと可愛いねえ……悪魔というより天使みたい!」
「いやいや、それよりこの子にミルクを……牛乳を少し分けていただけないでしょうか?」
「あらまあセンセ、だめだよこんな生まれたての赤ちゃんに牛乳なんて! おなか壊したらどうするんだい! そうだね、うちの赤ちゃんの粉ミルク缶、予備があるから分けてあげるよ……でもね、その代わりと言っちゃあなんだが……」
そう言ってもったいぶる奥さんに、科学者はごくりとのどを鳴らす。照れ笑いした奥さんが、ちょいちょいと悪魔の赤ちゃんに指でちょっかいをかけながら、口ごもりつつこう言った。
「……あのねえ、これからちょくちょくセンセの研究所にお邪魔しても? この子がこれからもっと可愛く成長してくの、あたしも見たくなってねえ……!」
「――は、はい! いつでもどうぞ!!」
そうしてその後、すぐさま奥さんに抱かれながら溶いたミルクを飲ませてもらって、赤ちゃんはご機嫌でふにゃふにゃ笑い出した。その笑顔は本当に、天使みたいに可愛かった。
何かが、なにかが変わる気がして……科学者の青年はくしゃくしゃの髪をかき上げてはにかんだ。
* * *
それからは今までが嘘みたいに、全てが良い方向に転がり出した。
エンジェルとデヴィルを混ぜて『エンヴィー』と名づけた赤ちゃんはみるみるうちに成長し、可愛い少女へ変化をとげた。エンヴィーは科学者の青年を『ドク』と呼び、娘みたいになついてくれた。
エンヴィーに「ドク、がんばれー!」とにこにこ顔で見つめられると、前までは猛毒と化していた薬は見事『万能薬』となり、チェス指しロボットはちょっとした執事の役もつとめられるようなジェントルマンの人格を持ち……ドクは今や、身近な人から『素晴らしい科学者』と褒めたたえられるようになった。
それが何でか、今なら分かる。エンヴィーと出逢うまでは、失敗を恐れすぎていたのだ。『間違いを犯したらどうしよう』と震える指で、素晴らしい発明が出来るはずもない。
ドクにとって、今や彼女は天使そのもの、この世で何より愛しい相手で……それ以上の感情を、科学者の青年は『娘』に対して抱いていた。
エンヴィーはそんなことも知らぬげに、背中の黒いコウモリの羽もつやつやと、みるみるうちに美しい少女に育っていく。ある時、エンヴィーに何気なくくちびるへキスされて、ドクは思わずその細い肩を押し戻した。
「――どうしたの、ドク? あたし、何か悪いことした?」
「いや、何も悪いことなんか……でもエンヴィー、きみはずいぶん大きくなった。大きくなったし、綺麗になった。だからもう僕には、そういうことはしちゃいけない」
「……なんで? あたし、ドクが好きよ。好きなのに、なんで?」
「エンヴィー……きみはもう大人なんだ。大人の女性は、そういう……キスとかそういうことは、将来を誓い合うようなひととしかしないんだ」
「――あたし、ドクが好きよ。そういう意味で、大好きよ……」
思考が止まる。言葉もなく自分を見つめる『愛しいひと』に、天使のような悪魔の娘は、優しく甘く微笑みかける。
「愛してるわ……ウォルター」
初めて耳もとで名前を呼ばれ、ドクの……ウォルターの理性が溶け落ちる。恐るおそる白い肩へと手をまわして、それからがむしゃらに抱きしめて……ふたつの影が、ろうそくの明かりの下で、ひとつになった。
――生きながら天国に召されたような、夢のような一夜だった。
* * *
それから十か月あまりが経過して……。産婆さんもすぐそばに控えているというのに、ウォルターは絵に描いたように取り乱して、がっつり頭をかかえている。
「もう……もっと喜んでくれないの? あたしとあなたの子どもが、もうじき産まれるのよ、ウォルター」
「――エンヴィー……僕は恐いんだ……『マッドサイエンティスト』だったころの僕自身が……僕らの子どもは、ちゃんと可愛い赤ちゃんだろうか? それとも、昔の僕の『忌まわしい手腕』が今になって発現して……ぼ、僕らの赤ちゃんは……」
「そういうことはな! 産まれてから考えるがよろし!!」
「――そりゃもっともだ」
産婆さんの一喝に素直なウォルターがはたと手を打ち、思わず吹き出すエンヴィーのおなかははちきれそうに大きくて……産婆さんが「ほれほれ、もうじきじゃ。役に立たない男子は外に出てった、出てった!」とウォルターを産室から追い出しにかかる。
「ああ、エンヴィー!! がんばって!!」
「はーい、がんばるわ、あなた!」
ころころ笑いながら手をふるエンヴィーの背中では、ひらひらと大きく手をふるように、黒い翼が揺れていた。
それから生きた心地もしない時間を過ごし……やきもきと部屋の外で手をこまねいていたウォルターを、愛妻の声がか細く呼んだ。
部屋の扉をけ破る勢いで駆け込んで来たウォルターは、マシュマロみたいな真っ白な赤ん坊を見て、涙しながら笑い出す。
「……白い、しろいなあ……雪みたいに真っ白な髪、白い肌に水晶みたいな透ける瞳……天使みたいだ、まるきり天使……」
言いさして急にはっとして、ウォルターは愛妻に小声で訊ねる。
「……角としっぽはないみたいだけど……は、羽はあるのかい……?」
「――あるわ。自分で見てみてごらんなさい」
ああ、やっぱりか……戦慄しながら元『マッドサイエンティスト』は、こわごわ幼い息子の背中をのぞき見る。
確かに、ふたつの羽があった。生まれたての背中にちょこんとふたつ、コウモリのような白い羽――、
「……これは、いったいどういうことだ……?」
「分からんかね、若造どもよ」
産婆さんが後ろからしゃがれた声をかける。ふっとふり向いた若いパパとママに向かって、老婦人は迷いもない声音で断じた。
「神の御業じゃ」
――若夫婦はついつり込まれてうなずいた。何の説明にもなってない。『科学的根拠』なんてあったもんじゃないのだが……いったいどれほど出産の手助けをしてきたのか、こういう人に言われると、妙に説得力がある。
「母は黒い羽、子は白い羽……このぶんだと、孫は天使になるじゃろう」
予言みたいに宣言する産婆さんの手を、ウォルターは感激のあまりひしっときつく握りしめる。
「――そうですよね! それじゃあエンヴィー、僕らの未来の天使のために、この子にいっぱいきょうだい作ろう! 何なら今すぐにでも……!」
舞い上がるウォルターの手を振りほどき、産婆さんがツッコミの一撃をばしーんと脳天にくれる。思わず吹き出したエンヴィーが、何かに気づいて窓の外を指さした。
「……ねえ、見て、雪よ……綺麗な雪が降ってきたわ……!」
妻に言われて目を上げると、まるで祝福みたいにして、ちらちらひらひら、今年初めての雪が舞い降り、風に吹かれて舞い上がり……、
それを目にしてきゃあきゃあはしゃぐ、赤ちゃんの背中で白い羽がちらちら揺れる。
……生まれたてのちっちゃな背中に、初雪が咲いたみたいだった。
(了)




