「百日後に死ぬので僕と結婚してください」(by天使)
まあ、何て斬新なプロポーズ! ……とか感心してる場合じゃないわ、あんまり斬新すぎるだろ!
「――んん? だいぶ話がぶっとんでない、天使のお兄さん? あたしたち今出逢ったばっかよ、何でそういう話になるの?」
「一目惚れです、あなたに」
「いやいやいやいや、急に空から落ちてきた『翼の生えたお兄さん』からのあまりに唐突なプロポーズて! まあ嬉しくないこともないけどね、ちょっと心の準備とかいろいろ……!!」
パニックにおちいるあたしの両手をきゅうっと握り、雪みたいに白い羽持つ生き物は、きらきらした目でがぶり寄る。いやいや近い! 顔近い! そんなに綺麗な顔をここまで近づけられると、体が冗談みたいに熱くなってああもうヤバい!!
「光栄です」
「あ、今の口に出てたの? って分かってんなら顔をも少し遠ざけてー!!」
「聞いてください、僕がどうして天上から落ちてきたのか……それからどうか決めてください、この哀れな天使のプロポーズを受けるか否か……」
「分かった分かった! 分かったからさ、も少し顔を離してよー!!」
あまりの衝撃に視界はうるうる潤んできて、泣き出す寸前のあたしの様子を見てとって、天使はようやくほんのちょっとだけ顔を離す。
……でも両の手は離さないのね、汗ばんでんでしょあたしの手ー!! こんなに熱く男のひとにアタックされたの初めてだから、心臓爆発しそうなのにー!!
「ば、爆発!? それは大変、この手を離せば良いのですか!?」
「……あなた、人の心も読めるの? なんかやだなー、うかつなこと考えられんなぁ……それはともかく、本当に何で空から落ちてきたの?」
「酒に酔って雲から足をすべらせて」
「ひと言で終わった! なあに、あなたお酒に弱いの?」
「いえ、飲むつもりとてなかったのですが……このごろは天上も異常気象、この夏は雲の上も異様に暑く……神様のおわすお城の中でついうっかり壺に入った水を飲んだら、それが神酒だったのです」
「ネクタル?」
聞き慣れない言葉に思わず首をかしげると、つられたみたいにちょこんと小首をかしげながら、天使は綺麗な声で歌うように説明する。
「はい、あれは文字通り『神様しか飲んではいけないお酒』ですから……幸いにここまで落ちても怪我らしいケガはしませんでしたが、この羽で天上に戻っても罰されて悪魔にされるのがオチでしょう」
「……あ、悪魔!? うわー、問題深刻!」
「そうでしょう? しかも天使は天上に棲まう存在、このまま地上に居続ければ、百日後には地上の空気が肌に合わず、溶けて死んでしまうのです」
「……それで、あなたは『あたしと一緒になりたい』と……」
「ええ、どうせ死ぬなら、落ちた先で出逢って一目惚れしたあなたと、今日から百日、甘い蜜月を過ごした後に死にたいと……」
語尾はささやくように小さくかすかに、天使のお兄さんは熱っぽい目であたしを見つめて、その海みたいな青い瞳にあたしの姿が小さく映る。
そばかすだらけの低い鼻、まつ毛も長くない萌黄の瞳、枯草色のおさげ髪……好きになれない自分の姿が、青い瞳に映るとほんの少しだけましに想えて。
あたしは深く長く息をつき、少しうつむいて答えを返す。幼子が母を求めるようにすがる手つきでまた手を握られ、ひきかけた汗がまたにじむ。
「……そんなすぐ、結婚だとか大事なことは決めらんない……けど百日間、一緒に過ごすくらいなら……」
「決まりですか!? 決まりですね! よーし、それじゃあさっそくあなたのお家にまいりましょう!!」
「ちょっ、あなたずいぶん元気じゃん! 本当に百日後には溶けちゃうの!? 何かテキトー言ってない!?」
「心配ご無用、天使は嘘をつきません! さっ、あなたのお家にレッツゴー!!」
天使ははしゃいだ子スズメみたいに羽をぱたぱたさせながら、あたしの手を握ったままで歩き出す。二百メートルもいかないうちにあたしの『家』に行きついて、あたしは気まずくつぶやいた。
「……どう見ても『小屋』でしょ、『あばら屋』でしょ」
「ほう……ここが僕たちの『愛の巣』か……」
「めちゃくちゃポジティブシンキング!! てかまだ結婚するって決めたわけじゃあ……、」
「大丈夫ですよ、百日のあいだには相思相愛になってみせます!!」
「……ほんとに、百日後には、いなくなっちゃうの?」
思わず小声で問いかけて、あたしははっと口を押さえる。天使はしみじみと、愛おしげにあたしの顔を見つめつつ、歌う声音で答えを返す。
「――百日後には、溶けて消えます」
あたしは黙って、握られた手に力を込める。この底抜けに明るい天使のお兄さんを、好きになりかかっている自分に気づき……百日後に来ると分かっているお別れが、もう耐えられないような気がして。
こちらの心を読み取ったのか、天使はそっと顔を近づけ、触れるばかりのキスをした。天使の青年のくちびるは、かすかな花の香りがした。
* * *
一日、三日、五日、十日……彼は『アンブローズ』と名乗り、あたしと一緒に野の花を摘んで売りまわった。
あたしは彼にいろいろ話した。あたしは教会の前で捨てられていた子だったと。
きっと貧しい母親が、望みもしない『一夜の間違い』で生まれた子で……だからあたしは教会の孤児院で育ったと。
十五の歳に孤児院を『卒業』し、小さなあばら屋を与えられて、それからひとりで生きてきたと。元手もいらない『野の花を摘んで小さなかごに入れて売る』商売で、一日二食の小さなパンと、野草のスープで生きてきたと。
二十日、三十日、四十日、五十日……アンブローズはとても綺麗で、とても優しくて、あたしのことを何故だか芯から愛してくれて……何日目か覚えていない、あたしたちはあばら屋の中のぼろぼろのベッドで結ばれた。
六十日、七十日、八十日、九十日……『綺麗なひと好き』の、あたしよりずっと美人な人たちがこぞって彼にアタックした。アンブローズはどのお誘いも微笑ってかわして、あたしひとりを愛し続けた。
そして、百日。アンブローズは……死ななかった。百日目の朝、当然のように、あたしにおはようのキスをして、「今日も良い天気だねえ」とのんきに言って微笑みかけた。
あたしは、何も言わなかった。
「だましたの?」も、「生きていてくれてありがとう」も、何ひとつ言葉に出来なかった。ただ、起き抜けの両の目から、言葉もなく涙がこぼれた。
アンブローズは黙って優しくはにかんで、あふれる涙をぬぐってくれた。
* * *
――七十年が経った。あたしの手も、指も、顔も、くちゃくちゃのしわだらけになった。アンブローズはそばにいた。七十年もの長いあいだ、ずっととなりにいてくれた。
「……アンブローズ……天上の百日は、地上の百日とは数える基準が、違うんでしょう……?」
かすむ視界で、アンブローズは困ったように微笑する。ふわふわの金髪、海みたいに青い瞳に、くしゃくしゃになった自分が映る。
「……ねえ、いったいどのくらいなの……? 天上の百日は、地上の時間ではかり直すと……」
ぼろぼろのベッドで訊ねるあたしに、アンブローズはそれは美しい笑みを浮かべて、歌う口ぶりで静かに答えた。
「百年だ」
「……そう……それじゃきっとあたしの方が、もうじき……先にこの世とさよならね……」
アンブローズは泣くような微笑うような顔をして、しわくちゃのあたしの手に口づける。何かをひどくためらって、それからやっと口を開く。
「……ごめんね、マリア……僕は嘘をついていた。僕は天上で、わざと神酒を飲んだんだ。地上のきみにプロポーズしに行くために」
「…………え?」
僕はきみを、落ちる前から知っていた。そうつぶやいたアンブローズは、この七十年……天まで羽ばたかなかった翼を、ひらりひらりと震わせる。
「雲の上からたまたま見下ろしたきみは、ちょうど蛇に出くわして……『教会の人に見つからないうちに、早くお逃げ』って見逃したんだ。神の敵だから、見つけたらすぐに殺すようにって、教会で何より先に教わる蛇を……」
ああ。そんなこともあった、遠いとおい昔……だってかわいそうだったから。蛇も生き物なのだから。
「……僕は、きみに恋をした。本当の優しさを持ったきみに、どうしようもなく恋をした。だから……わざと神様のお城の神酒を飲んで、きみのそばへと落ちてきたんだ……」
あとは、きみも知っての通りだ。懺悔の口ぶりでささやいて、天使はしわくちゃのあたしの手のひらにほおをすりつける。優しく、柔く、『この世にこれほど愛しいものは、他にはない』というふうに。
アンブローズは、ひとつ大きく息を吸い、涙なしに涙するように微笑んだ。それから「これこそ本当に言いたかったこと」と言わんばかりに、潤んだ声で言葉を重ねる。
「……天使はね、本当に愛するひとに巡り逢えたら……愛しいひとが亡くなる時、その瞬間に溶けて消えて……人間に生まれ変わるんだ……」
心臓に命の水をもらったみたいに、もうじき冷えてゆくだろう体が……じんわり熱を持ってゆく。アンブローズは青い目を閉じ、透けるしずくがつうとひとすじ流れて落ちる。
「だから、今度は同じ種族で、またこの世に生まれて、出逢って……」
また、ふたりで恋をしよう。その誓いを耳にしながら、意識がすうっと薄れてくる。握られたままの手のひらが、名残みたいにあたたかい。
最期のさいごに目にしたのは、翼も何も白く散らけて、雪の花が舞い散るように消えてゆく天使の姿だった。
* * *
――雲の上で、神はそのさまを見つめていた。罰する気はない、何も最初から罰する気などなかったのだ。ただ、世界の全てを創りたもうた女神はひとり、誰にも聞かれずつぶやいた。
「……うらやましいな……」
ひとつぽつんとつぶやいて、たったひとつだけ欠けた自分……今のいままで恋を知らない己の胸に手をあてて、神は淋しげな微笑を浮かべる。
神の城の窓の外、なぐさめるようにそよ風に花は揺れ、虹色の花びらをちらちら散らし、小鳥はちりちり歌いさざめく。
神は静かに微笑みながら、言葉もなく水晶玉を見つめている。
『この世の全てを映し出す水晶玉』の向こうには……生まれたての赤子がふたり、泣きながら笑うようにあんあんと声を響かせていた。
(了)




