宝石製の生首が
――信じがたい。だが目の前の患者は、指先から着々と宝石になっていく。
田舎貴族のこじんまりしたお屋敷の一室、白く清潔なベッドの上で、青白いほおの青年は弱々しく微笑んだ。
「……先生、ぼくは、死ぬのでしょうね……」
「そんなことを考えてはいけません。治ることだけ考えなさい」
「だって、先生……ほらこの通り、ぼくの体は指先からオパールになっていくじゃあないですか……」
私は思わず口ごもる。年若い患者の言うことを、医者の私は否定できない。青年の持ち上げた細い指はまた欠けて、ぽろぽろと虹のきらめきを放って白い布団の上に散らばる。
「ああ、またそんな乱暴な! 不用意に手を動かしてはなりません!」
「……ね、だからそうでしょう? なんだか原因は分からないけど、ぼくは宝石になる奇病にかかった、そのうち腹から胸から全てがオパールの欠片と化して、ぼくはなくなってしまうんだ……」
微笑みながらささやくようにそう言われ、私はまたも口ごもる。正直、私にはお手上げなのだ。こんな奇病……千年昔に遠く海の向こうの国で、二三症例があったらしいが、治療法も分からぬうちに皆宝石の欠片と化して消えたと聞く。
青年は月光を浴びた雪のように青白く、柔らかいほおに微笑をきざす。
「先生……ぼくの欠片は、本物の……しかもかなりグレードの高い、プレシャスオパールなんでしょう……?」
「――ええ。この病については正直何も分かりませんが、これだけは言えます。掛け値なし、本物のオパールです」
「……ああ、良かった……! それじゃあ先生、ぼくの欠片を売り払って、困っている人たちに寄付してください、お願いです……」
「――ええ? いや、そんな……」
「だめですか? 元は人間の一部だったオパールなんぞ、どなたも気味悪がって買い取ってはくれないでしょうか……?」
「い、いや……むしろ好事家が争って手を上げている状況です、『彼のオパールをどんな小さな欠片でも良いから手に入れたい』と……」
「……じゃあ、それなりのお値段でさしあげてください……そうしてその代金を、恵まれない方々に……」
「しかし、それでは……」
――それではまるで童話じゃないか。自分の体を小さく剥がして、青いサファイアの瞳や赤いルビーの剣の飾り、しまいには魂までもなげうった、王子の像みたいな話じゃ……。
声にならないこちらの想いを、青年は全て読み取ったらしい。雪の天使のような真っ白い笑みをほおに浮かべて、悟ったようにささやいた。
「……いいんです……ぼくは、生まれながらに病弱で、何ひとつ良いことも出来なくて、ベッドでぬくぬく過ごしてきたから……」
せめて、こうして死ぬ前に、何か善いことが出来るのなら。
そうつぶやいて、青年はそっと目を閉じた。白く柔らかな寝具の上で、細い指先はもう手の甲までもぱきぱき壊れ、虹色の宝石と化していた。
――私は、彼の『遺言』を遂行しだした。貧者向けの病院や孤児院、道ばたのすみっこで冬の寒さに震えている少年たちに、訳を話してオパールの対価を渡していった。
青年は、腹から胸から虹色の宝石の欠片に変わり、ぱきぱきと壊れて、欠けていき……そうして、なおも死ななかった。
彼はとうとう、切り口が虹色の光を放つ『宝石製の生首』となり、それでもなおも意思を持ち、頭で考えてこの私と会話を交わした。
「……アンブローズ先生……ぼくは、これからどうなるのでしょう……?」
「――残念ながら、あなたの血縁の『若い世代』はあなたおひとり、おそらくこの代で終わりになる……そうなれば医師としての責任を持ち、あなたの身柄は私が引き取る……しかし……」
しかしおそらく、この青年は病のために『人外並みの長い寿命』を得ているだろう。今はまだ若い私が歳をとり、この世を去れば、その時は彼の運命はどう変わるか。
『珍しい』と騒がれて、博物館で厚いガラスの壁に囲まれて見世物になるか、悪趣味な『好事家』の老人の屋敷のコレクションに身を堕とすか……。
言葉が続かずくちびるを噛む私の背後で、こんこんとガラスを叩く音がする。ふり返ると、見覚えのある人たちが穏やかに微笑んでこちらを見ていた。
「……大丈夫です。貴族様、あなた様のお首はわたしたちが……あなた様のオパールに命を救われた、わたしたちが子々孫々までお守りします……!」
貧者向けの病院にいた患者やその家族、孤児院の子どもや職員や、冬の日に道ばたで震えていた少年たち……皆がみんな心から感謝の念をたたえ、開かれた窓から救い主にするように、敬愛を込めてその手のひらをさし出した。
――それから、彼の生首は、どこか小さな白い教会のかたすみで、今も微笑んでいると聞く。むろん私は彼の居場所を知ってはいるが、あえてここには記さない。
奇病の症例ばかりを集めたこの本の、唯一の心休まる話である。
* * *
ぼくは『アンブローズの手掛けた奇病大全』という本を手に、しみじみと深く息をつく。
良い本だった……いつも小説しか読まないけど、昔の医師の書いた著作にもこんなエピソードがあるんだな……余韻に浸るぼくの部屋のドアを、誰かが向こうからノックした。
「よ、本の虫! 何読んでんだ、また小説か?」
気安く手を上げる幼なじみの青年ボリスに、ぼくは興奮気味に手の中の本を見せてやる。
「これだよ、これ! ボリス、お前読んだことあるか? この中の『オパール病』の青年のエピソードは本当に良い話だな!」
「――はは! なにお前、そんなもん読んでんの? 『ほら吹き医者』の代表作じゃん!」
「――……え?」
「馬鹿だなぁ……お前はいつも小説ばっかり読んでるから、別の分野に疎いんだ。アンブローズは、『嘘つきドクター』ってあだ名があるほどのほら吹き医者だ! そいつの著作にまんまとだまされたんだよ、お前は!」
――ま、これにこりたら別の分野も勉強しろな。
ぽんぽんと肩を叩いて軽く笑って、ボリスはふらっと部屋を出て行った。おそらく『けっこうなショックを受けた』ぼくの様子を見てとって、気を使ってそっとしといてくれたんだろう。
……ぼくは手の中の分厚い一冊をしげしげ眺めて、そっと机に置いてみた。
悔しい。悔しかったし、情けなかったし、それからぼくは幼なじみの言う通り、小説以外の本にも好んで手を出すようになった。
けれど、頭のどこかに、今でも残る光景がある。どこか遠くの小さな国の、白い教会のかたすみに……それは穏やかに微笑んでいる、宝石製の生首が。
(了)




