髪長族とショートヘア
「俺は、伸ばした方が好きだな」
しれっと美人に言い放ち、女たらしの美青年はカクテル片手に笑ってみせた。しかも相手は人妻だ、もうじき三回目の結婚記念日を迎える女だ。
あまりにも女好き、あまりにも自分の容姿に自信のある女たらしのジャックは、獲物と見ると容赦はしない。日夜しつこく絡み続け、とうとう「一回だけお酒をつき合ったらもう付きまとわない」という条件つきで、ようやくバーでふたり飲みまでこぎつけたのだ。
しゃれた会話に笑顔のやり取り、ここまでくれば落ちたも同然、あとは彼女が俺に『惚の字』の証拠が欲しい。
彼女は人外……『髪長族』の女性だから、数日もすれば腰のあたりまで美しい髪が伸びると聞く。その数日で彼女の赤毛のショートヘアがロングになれば、これは美味しくいただけるぜ!
なあに、彼女の夫なんてこの俺様と比べたら! あいつはなかなか整った見た目ながらも、銀縁メガネに清潔なだけの地味な白シャツ……まあ名の知れた美容師でちょっとしたお屋敷に住んでるが、ただそれだけの男だからな!
さあ奥さんよ! 「そうねえ……」とかつぶやきながらそのショートヘアに手をやって、「久しぶりに伸ばしてみようかしら」とかとろけるような口ぶりで、甘い吐息をつくが良い!
――だが、都合の良いジャックの予想とは裏腹に、人妻は笑顔でつっぱねた。
「ごめんなさい。この髪は、全部夫のものだから」
「…………は?」
「確かに、わたしは髪長族……一般に知られた事実と違って、本当は一夜で髪が伸びるの。だけどね、夫のウィリアムは結婚するとき言ったのよ」
「――……何て?」
「『これから永遠に、死がふたりを分かつまで、きみのその髪は僕のものだよ』って……彼ね、一夜で伸びたわたしの赤毛を、一日もらさずきれいにコレクションしてるのよ」
悪寒が背すじを駆けのぼる。ジャックは無意識に自分の腕をさすりながら、恐るおそるこう訊いた。
「……え……つまり、結婚して三年間、三年分の髪を毎日……」
「そうよ、彼ってばとんだ変態なの! 『君の愛しいいとしい髪は全部がぜんぶ僕のものだ』って手ずから切った髪をまとめて、三年前に大金を払って屋敷にこさえた『四次元の地下室』に、三年分のわたしの髪を全てコレクションしているの!」
そうしてもちろん、それは一生……わたしか彼かが死ぬその時まで続くでしょうね。
つぶやくように確かな愛情をにじませて、赤毛の人妻は甘さを含んで微笑んだ。とそのとき、バーの最新式のごつい電話が鳴り響いた。受話器を取ったバーのマスターは、「おおい、ウィリアム夫人! 愛しのだんなからお電話ですよ!」とからかい混じりに声を上げる。
「はいはい、ただいま……あ、ウィル? ええ、いいえ、大丈夫よそんなこと……もう、何を心配しているのやら! あのねウィル、わたしは真実、あなたしか男と思ってないんだからね? はい、はーい、今すぐ帰るわ、待っててね!」
電話の向こうの男の声まで聴こえるような、とろけるような声音でしゃべり、人妻はすばやく席に戻ってさっさとバッグを取り上げる。
「あ、そういうことでわたしそろそろ……自分の飲んだ分は払うわ、後はおひとりでどうぞごゆっくり!」
「ミックスベリー、きみは……だんなに馬鹿正直に『ここで飲む』って言ってきたのか……?」
「あら、当然よ! うるさいハエにたかられて『これが最後』って飲みに誘われたなんてこと、最愛の夫に言わないで出かける女がいると思って?」
とびっきりの捨てぜりふを放りつけ、美人はショートボブの燃え立つような赤毛を揺らして出て行った。
「やあ、相手が悪かったなあ、『百戦錬磨の女たらし』さん?」
バーのマスターにからかわれ、他の客たちのにやにや笑いを浴びながら、ジャックは鳥肌の浮いた腕を無意識にさすさすさすっていた。
「――恐ぁあああ!! 何あいつのだんな、マジでてめえの妻の髪、毎日まいにちコレクションしてんの!? ストーカーじゃん、あの女ストーカーと結婚生活送ってんじゃん!! 恐こわコワぁああ、うっかり一線越えんで良かった!! したらあの夫に何されるか分からんからなぁ!!」
綺麗な青い目に涙を浮かべ、本心からの恐怖に震えあがる女たらしを、周りの客もバーのマスターも、口もとに思わせぶりなひねりをたたえて笑っていた。
* * *
「……で、僕を『絵に描いたようなド変態』に仕立てて逃げ出したわけだね、きみは」
「ええ、そうよ。だってそうでも言ってやらないと、あいつ引きそうになかったんですもの!」
「『最後にバーで一緒にお酒を』も、引き続き絡むための方便だってか……救いようのない女たらしだな、あいつは!」
「ええ、だから……だからってこともないけど、わたしはあなたひとすじよ。あなたはちゃんと綺麗だし、わたしにもわたし以外のひとにも、それは素晴らしく優しいもの!」
「まあ、見た目ばっかりのジャックと比べたら僕はねえ……いや、しかし、それにしたって……」
「ほら、手もとに集中集中! あんまりおしゃべりに気をとられると、大事な髪を切りそこねるわよ!」
ウィリアムは軽くため息して、気を取り直して妻の髪へと手をかけた。月光を浴びながら帰ってきたミックスベリーのショートヘアは、夜道を歩いた三十分でもう腰までも伸びている。
……いくつかに分けて束ねられた燃え立つように赤い毛を、ウィルはていねいな手つきで端から切り取り、乱れぬように並べ出した。ヘアドネーション用の髪だ。
ヘアドネーション。病気や何かで頭髪をなくしてしまった子どもたちに、カツラとして届けるための髪にするのだ。
「……美容師のあなたとつき合い出して、プロポーズでヘアドネーションの話を聞いた時、あたしうっとりしちゃったわ。人間でも人外でも、髪長族の特性を好奇の目で見る男たちしかいなかったのに、なんて素敵なひとだろうって……」
「……で、きみはそういう『素敵なひと』を女たらしに『髪を偏愛するド変態』だと思わせたんだね?」
「えー、もう良いでしょう、その話は! 大丈夫よ、他のみんなはちゃんと真実を知ってるんだし……ひとの善行に興味もない女たらしがたったひとり、かん違いしてるだけじゃない!」
「まあ、それはそうだけどさぁ……」
何となく納得いかない顔をした人外の青年が、切り取った赤毛を白い指先で整える。妻は口を開きかけ、何も言わずに微笑んだ。
――ねえ、大好きよ。自分でも持て余していた『髪長族』の特性を、誇れるものに変えてくれた、あなたを本当に愛してる……そう言おうとして、何だかあんまり照れくさいから、黙って微笑って目を閉じた。
滴るような月からこぼれる白い光が、窓の外の景色に長く、薄青い影を落としていた。
(了)




