表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

22/46

髪長族とショートヘア

「俺は、伸ばした方が好きだな」


 しれっと美人に言い放ち、女たらしの美青年はカクテル片手に笑ってみせた。しかも相手は人妻だ、もうじき三回目の結婚記念日を迎えるひとだ。


 あまりにも女好き、あまりにも自分の容姿に自信のある女たらしのジャックは、獲物と見ると容赦はしない。日夜しつこく絡み続け、とうとう「一回だけお酒をつき合ったらもう付きまとわない」という条件つきで、ようやくバーでふたり飲みまでこぎつけたのだ。


 しゃれた会話に笑顔のやり取り、ここまでくれば落ちたも同然、あとは彼女が俺に『の字』の証拠が欲しい。


 彼女は人外……『髪長族』の女性だから、数日もすれば腰のあたりまで美しい髪が伸びると聞く。その数日で彼女の赤毛のショートヘアがロングになれば、これは美味しくいただけるぜ!


 なあに、彼女の夫なんてこの俺様と比べたら! あいつはなかなか整った見た目ながらも、銀縁メガネに清潔なだけの地味な白シャツ……まあ名の知れた美容師でちょっとしたお屋敷に住んでるが、ただそれだけの男だからな!


 さあ奥さんよ! 「そうねえ……」とかつぶやきながらそのショートヘアに手をやって、「久しぶりに伸ばしてみようかしら」とかとろけるような口ぶりで、甘い吐息をつくが良い!


 ――だが、都合の良いジャックの予想とは裏腹に、人妻は笑顔でつっぱねた。


「ごめんなさい。この髪は、全部()()()()だから」

「…………は?」

「確かに、わたしは髪長族……一般に知られた事実と違って、本当は一夜で髪が伸びるの。だけどね、夫のウィリアムは結婚するとき言ったのよ」

「――……何て?」

「『これから永遠に、死がふたりを分かつまで、きみのその髪は僕のものだよ』って……彼ね、一夜で伸びたわたしの赤毛を、一日もらさずきれいにコレクションしてるのよ」


 悪寒が背すじを駆けのぼる。ジャックは無意識に自分の腕をさすりながら、恐るおそるこう訊いた。


「……え……つまり、結婚して三年間、三年分の髪を毎日……」

「そうよ、彼ってばとんだ変態なの! 『君の愛しいいとしい髪は全部がぜんぶ僕のものだ』って手ずから切った髪をまとめて、三年前に大金を払って屋敷にこさえた『四次元の地下室』に、三年分のわたしの髪を全てコレクションしているの!」


 そうしてもちろん、それは一生……わたしか彼かが死ぬその時まで続くでしょうね。


 つぶやくように確かな愛情をにじませて、赤毛の人妻は甘さを含んで微笑んだ。とそのとき、バーの最新式のごつい電話が鳴り響いた。受話器を取ったバーのマスターは、「おおい、ウィリアム夫人! 愛しのだんなからお電話ですよ!」とからかい混じりに声を上げる。


「はいはい、ただいま……あ、ウィル? ええ、いいえ、大丈夫よそんなこと……もう、何を心配しているのやら! あのねウィル、わたしは真実、あなたしか男と思ってないんだからね? はい、はーい、今すぐ帰るわ、待っててね!」


 電話の向こうの男の声まで聴こえるような、とろけるような声音でしゃべり、人妻はすばやく席に戻ってさっさとバッグを取り上げる。


「あ、そういうことでわたしそろそろ……自分の飲んだ分は払うわ、後はおひとりでどうぞごゆっくり!」

「ミックスベリー、きみは……だんなに馬鹿正直に『ここで飲む』って言ってきたのか……?」

「あら、当然よ! うるさいハエにたかられて『これが最後』って飲みに誘われたなんてこと、最愛の夫に言わないで出かけるひとがいると思って?」


 とびっきりの捨てぜりふを放りつけ、美人はショートボブの燃え立つような赤毛を揺らして出て行った。


「やあ、相手が悪かったなあ、『百戦錬磨の女たらし』さん?」


 バーのマスターにからかわれ、他の客たちのにやにや笑いを浴びながら、ジャックは鳥肌の浮いた腕を無意識にさすさすさすっていた。


「――恐ぁあああ!! 何あいつのだんな、マジでてめえの妻の髪、毎日まいにちコレクションしてんの!? ストーカーじゃん、あの女ストーカーと結婚生活送ってんじゃん!! 恐こわコワぁああ、うっかり一線越えんで良かった!! したらあの夫に何されるか分からんからなぁ!!」


 綺麗な青い目に涙を浮かべ、本心からの恐怖に震えあがる女たらしを、周りの客もバーのマスターも、口もとに思わせぶりな()()()をたたえて笑っていた。


* * *


「……で、僕を『絵に描いたようなド変態』に仕立てて逃げ出したわけだね、きみは」

「ええ、そうよ。だって()()でも言ってやらないと、あいつ引きそうになかったんですもの!」

「『最後にバーで一緒にお酒を』も、引き続き絡むための方便だってか……救いようのない女たらしだな、あいつは!」

「ええ、だから……だからってこともないけど、わたしはあなたひとすじよ。あなたはちゃんと綺麗だし、わたしにもわたし以外のひとにも、それは素晴らしく優しいもの!」

「まあ、見た目ばっかりのジャックと比べたら僕はねえ……いや、しかし、それにしたって……」

「ほら、手もとに集中集中! あんまりおしゃべりに気をとられると、大事な髪を切りそこねるわよ!」


 ウィリアムは軽くため息して、気を取り直して妻の髪へと手をかけた。月光を浴びながら帰ってきたミックスベリーのショートヘアは、夜道を歩いた三十分でもう腰までも伸びている。


 ……いくつかに分けて束ねられた燃え立つように赤い毛を、ウィルはていねいな手つきで端から切り取り、乱れぬように並べ出した。ヘアドネーション用の髪だ。


 ヘアドネーション。病気や何かで頭髪をなくしてしまった子どもたちに、カツラ(ウィッグ)として届けるための髪にするのだ。


「……美容師のあなたとつき合い出して、プロポーズでヘアドネーションの話を聞いた時、あたしうっとりしちゃったわ。人間でも人外でも、髪長族の特性を好奇の目で見る男たちしかいなかったのに、なんて素敵なひとだろうって……」

「……で、きみはそういう『素敵なひと』を女たらしに『髪を偏愛するド変態』だと思わせたんだね?」

「えー、もう良いでしょう、その話は! 大丈夫よ、他のみんなはちゃんとほんとうを知ってるんだし……ひとの善行に興味もない女たらしがたったひとり、かん違いしてるだけじゃない!」

「まあ、それはそうだけどさぁ……」


 何となく納得いかない顔をした人外の青年が、切り取った赤毛を白い指先で整える。妻は口を開きかけ、何も言わずに微笑んだ。


 ――ねえ、大好きよ。自分でも持て余していた『髪長族』の特性を、誇れるものに変えてくれた、あなたを本当に愛してる……そう言おうとして、何だかあんまり照れくさいから、黙ってって目を閉じた。


 したたるような月からこぼれる白い光が、窓の外の景色に長く、薄青い影を落としていた。


(了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ