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秘密の妙薬

「ではこれが、薬を得るための代金だ……」


 ――いいかね、くれぐれもこのことは内密に。『世界的な大作家』に小さな声で念押しされて、ぼくは大きくうなずいた。


 目の前の美青年は、実ははんしんだ。半分神の血が混じった生き物、もちろん寿命も人間と比べてとんでもなく長い。


 目の前の半神、ボリジ・マーシュマロウはひたすら本を読み、気に入った物語は『文章の勉強』として紙にペンで一言一句(たが)えずにていねいな字で書き写し、生まれて二百年経ったころから自分でも話を書き始め……書き始めて三百年、『世界的に有名な大作家』までのし上がった。


 その作家が、先日「自分は病気なのだ」と弟子のぼくに打ち明けた。詳しく教えてはくれないが、なんでも『作家生命にかかわる重大なやまい』らしい。


 ――ああ、きっと先生は、重いけんしょうえんでいらっしゃる。ひたすらペンを持ち続けた先生の、ペンだこがあり、骨ばっていながら白く長く美しい指が、長年の酷使に今になって大きな悲鳴を上げているんだ。


 でも先生がそんな病気でいらっしゃるなど……そんな弱みは世間に対して見せられない。世の中には大した努力もしないくせに、『努力の末に幸せを勝ち取った』人物をねたむ奴がいる。


 下手に先生が弱みを見せたら「マーシュマロウもオワコンか?」「人外老害、そろそろ身を引いてくれ」とか言い出す馬鹿が湧きかねない。


 先生はさらさらの金髪を苦しげに白い指でかきあげ、そのすきまから宝石のような青い瞳がぼくを見つめる。


「いいかい、ブラックカラント……お前は弟子の内で唯一、僕と同じ人外だ。たいがいの人外は、『人間社会なんかで売れっ子作家』の僕をうとんでいるからな……」


 うなずくぼくに、先生はさっき手渡した金貨の袋ごと、ぼくの手のひらをきゅっと握った。


「お前にしか頼めない。夜中にやっている『例の薬屋』にコウモリに変化して飛んでいって、作りたての薬をもらって、夜の闇を飛んで屋敷に帰ってきてくれ……薬屋の人間が屋敷に出入りしたら、それを誰かに見られたら一発でバレてしまうからな……」

「はい、先生……作りたての薬を秘密裏に手に入れるには、このぼくの……人外の弟子の力が必要なのですね……!」


 先生は青い瞳に熱を込めてうなずいた。ぼくも声もなく目で語り、黙って大きくうなずいて、金貨の入った袋を手にぱっと一羽のコウモリに変化し、開け放った窓から夜の闇へと飛び立った。


 ――重い。すごく重い。飛行能力があるとはいえ非力なコウモリの小さな体、金貨の詰まった袋は岩を首から下げたみたいだ。


 ぼくは首が折れそうな思いをしながらも、やっと小さな洞穴に木の扉を張った店へと行きついた。そこでやっと人型に戻り、声もなく扉をほとほとノックする。


 中に入り、薬屋のおやじに無言のままで金貨の入った袋を手渡し、薬の入った丸缶を受け取り、深々とおじぎして店を出る。


 そしてまたコウモリの姿に変化して、さっきまで金貨の入っていた袋に丸い缶を入れて首からひもを下げ、ぱっと夜空に飛び立った。


 ――重い。ものすごく重い。きっと中身はなんこうだろうが、密度が高いのかさっきの金貨よりずっと重い。ぼくはひいひい言いながら、何度も重みで空中から落下しそうになりながら、やっとのことで開け放たれた窓から屋敷へ帰りついた。


「……た……た……ただいま、戻りました……」

「おお! ありがとうブラックカラント! 酒の飲めないお前のために、キッチンにキンキンに冷えたレモネードを用意してある! くーっとあおって一息ついて、ベッドでゆっくり休んでくれ!」

「は、はい……ありがとうございます……このとおり、腱鞘炎の薬はここに……」

「――腱鞘炎? 何言ってるんだい、僕はそんな病気じゃないよ」

「…………え? それじゃあいったい、先生のご病気は……」

だ」

「ぢ」


 思わずオウム返しに口にして、ぼくの思考が停止する。――痔? あの、お尻の穴が切れたりイボが出来たり血が出たりする?


 先生は固まったぼくに気づかず、嬉しそうに丸缶をでまわしながらにこにこして説明する。


「いやあ、なんぼ半分神とはいっても、寄る年波には勝てなくてね……生まれて五百年長い時間座りっぱなしで読んだり書いたりしていたら、見た目若くても痔持ちになるさ。作家のサガというやつだろうね!」

「ぢ」

「そうだよ、痔! 『作家生命にかかわる重大なやまい』だよ、ブラックカラント! 座れなきゃそもそも書けないからねえ……ぼくは見た目の美麗さでも売ってるし、いくら作家病だって痔はイメージが崩れるからねえ……あ、さっそく薬塗りたいから、ちょっと部屋を出ていてくれる?」


 …………痔ですか。お尻の病気ですか。

 ぼくは先生のお尻の穴を治すために、あれだけ首の折れそうな思いをして、何度も空中から地面に落下しそうになりながら……、


 ――いやいや! これは重大な病気だ、そうして重大な使命なんだ! このぼくは光栄に思わないと、弟子の誰にも言えない悩みを先生に打ち明けてもらったことを!


 無理やりにそう考えて自分を納得させたけど、しっかりしているようでド天然な先生は、この後どえらい『メンタル爆弾』を落としてくれた。


 数か月後「君にあげるよ」と何気なく渡してくれた最新刊は、こういうタイトルだったのだ……『作家と痔』。


 先生、これじゃあ自己申告と一緒ですよ……脱力しながら「ありがとうございます」とお礼を述べて、ぼくは先生の部屋を出た。歩きながら力の抜けきった指で最初のページをめくってみると、そこにはこう記されていた。


『幸いにして私はこれまでえんがないが、痔というものは……』


 ぼくは危うく、先生の御本を全力で床に叩きつけるところだった。いや、しなかったけど。


 しなかったけど、その晩は酒場に行って飲めない酒をぐーっとあおって、ビールをジョッキに二杯目のしょっぱなでひっくり返った。そうして酒場の『ひっくり返ったひと用のベッド』にかつぎ込まれた。


 そんなぼくの頭を冷やしてくれたり、冷たい水を運んでくれたり、ぐわんぐわんの二日酔いで翌朝目覚めたぼくに、酔いざましの『トマトとふわふわ卵のスープ』を作って飲ませてくれたり……、


 全くもって天使みたいに介抱してくれた酒場の娘が、今のぼくの奥さんだから、ほんとにジンセイどう転がるか分からない。


 そうして『酒場の人外の娘』と出逢ってから百年あまり、ぼくもどうやら『人間社会でそこそこの作家』としてやっていけている。


 そうして例の薬屋とは、今や個人的な付き合いがある。


 ――そう。いかな人外といえども、じわじわ忍び寄る年波と、座り続きでやって来る『尻の病』からは逃れられない。


 おや? 今これを読んでいるそこのあなた、横になって読んでいらっしゃる? それともきちんと座って読んでいらっしゃる? 自分でもお書きになる方ですか?


 ――お尻、大丈夫ですか? いくら『筆がノッて』いても、ちょくちょく休憩を挟まないと、いずれはぼくの尻みたいに……。


(了)

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