クリームシチューとナッツチョコ
腹の底からしみじみと、チーズの香りの吐息をついて。
……夢魔の青年は、クリームシチューのパングラタンを味わいながら、さも満足げに微笑する。
「……やっぱり詩の女神は料理がうまい……嫁にしたい……」
思わず知らず声に出して、グラナードがはっとしたように口をつぐむ。彼の目の前で虹色の目を大きく見張り、聞かなかったふりをして、女神のイーリスがえらくぎこちなく目をそらす。
そのほおに紅葉を散らしたように真っ赤に血がのぼってきて、まんざらでもないのかな、と夢魔の青年はひとりごちる。女神はじわじわ目線を戻し、あまりにわざとらしく話題を変える。
「――ああ、そうだ! 時にグラナード、お前はこのごろ夢をむさぼっておらんようじゃが……栄養失調になってはおらんか?」
「はぁ、何をおっしゃいますか……! 女神イーリス様のお手作りのお料理をこうして食べられてんですよ? 栄養たっぷり、神力たっぷりのメニューを腹いっぱいいただけて、前より健康なくらいです!」
毎朝おれのためにみそ汁を作ってくれないか、とか、そういうプロポーズの文句が異国にあったよな……さすがにもう時代遅れか?
なんて内心で考えていると、いささかそれが顔に出たのか、女神は黙って夢魔のほっぺをぐいいと強く押してくる。照れ隠しが見え見えだから、グラナードはフォローめかして、わざと可愛くないことを言ってみる。
「あーあ、メシも良いけどこの上にデザートでもつけば、何にも言うことないんだがなあ……!」
「……ゆうべ作っておいたミックスナッツチョコでも良ければ……」
「え、マジですか? やべえマジで嫁にしたい」
「いい加減にしろそのネタは!」
まるっきり熟したリンゴみたいなほおになって、ますますぐいぐい女神が夢魔のほっぺを押して……あだだだだ、とか言いながら、イーリスのなめらかな手のひらの感触が愛おしい。
そんな思考にも感づいたのか、ぱっと女神が手のひらを夢魔から遠ざけてひらっと身をひるがえす。
「あ、イーリス様……! いったいどこへ?」
「デザートをキッチンからとって来る! シナモンスティックを漬け込んだブランデーを少し垂らして、上等の紅茶も淹れてこよう!」
「ああ、ボク愛されてるなあ……」
「思い上がるな夢魔ふぜいが!」
突っ込む声が可愛らしく裏返り、夢魔は思わず吹き出した。ああ、可愛い……何だろう、ボク夢魔人生で今が一番幸せかも!
うっかり口に出そうとして、女神に照れのあまり今度は本気でどつかれそうで、だからやっぱり口をつぐんで。ほどなく運ばれたデザートをぽりぽりつまみつつ、イーリスと優雅に食後のティータイム……。
「……こんな一時が、わらわの人生に訪れようとは……」
「ん? 何です、妙にしみじみして……こんな美しい女神のことだ、お茶する相手なんてそれこそ不自由しないでしょうに……」
「何を言うか! 生まれながらに詩の女神の我が身、それこそ詩人や作家に崇められにあがめられ、持ち上げられては敬われ、敬語まみれの敬意まみれ! 気安く口をきいてくれる相手など、気の遠くなるほど生きてきて真実お前が初めてだ!」
「はあ、なるほど……」
じゃあ、こうやって女神お手作りの料理を一緒に味わえるのは、やっぱりボクが初めてなのか。そうか、じゃあこれからもいろんな初めてを、イーリスと一緒に味わいたいな……!
「……お前今、なんか変なこと考えとるじゃろ」
「変だなんてとんでもない! んじゃあ正直に言いますね……今この時、ボクは今までの夢魔人生で一番幸せなんですよ……」
「――調子の良いことぬかしおって! やらしいこと百戦錬磨のお前の言うこと、わらわが本気にすると思うかっ!」
真っ赤になって拒まれて、再びこっそり吐息をついて。あきらめの手つきでつまむミックスナッツチョコは、ほろ苦く甘く舌にとろけて……、
ぐっと、のど奥が甘味を押し戻す。胸の中から熱く灼けつき、夢魔の青年は胸元をかきむしるように押さえつけ、その場でぐっとかがみこみ、女神があわててすがり寄る。
「ど……っどうした!?」
「いえ……何でも、なんでも、な……」
言いざまいっそう身をこわばらせ、丸めにまるめた半裸の背から白い羽が花ひらく、雪のように咲きみるみる内にぱあっと散らける。
……一瞬の夢みたいだった。羽のなごりがちらちら散り舞う空間で、イーリスが声もなく夢魔の背中に恐るおそる手を触れて、癒す手つきでしずしず撫ぜる。
「……このごろ、よくこうなるのか」
「いえ……羽の生えたのは初めてで……」
せえせえ荒く息をしながら、夢魔の青年が精いっぱいに笑みを浮かべる。
「……大丈夫ですよ……どうも夢魔の体に神力はちょっと相性が悪いみたいで、体が変わっているような感覚が時おりするだけで……普段は前よりずっと健康……」
「……食べるのを、やめるか? わらわの料理を……」
「――何を言うんです、とんでもない! こんな美味いもんが食えるなら、夢魔の体のひとつやふたつ、全く惜しくはないですよ!」
「……体がふたつもあるのか、お前は?」
「いやないですけど! あなた様のお手作りの料理のためなら、ちょっとしんどくなるくらい!」
見るからに本心から言い放つ夢魔の青年に、詩の女神はどこか泣き出しそうな笑顔を見せる。
「……お前は頭が悪いのう」
甘い響きを内に秘めた悪口に、グラナードはまだ少しあえぎながらも、くすぐったそうにはにかんだ。
「……さて、それではこのわらわもまた、『物語を味わうおなか』を満たすとしようか……」
どこか何かをあきらめたような、悟ったようなつぶやきで、イーリスが本に手を伸ばす。夢魔の紡いだ幻想的なタイトルを、指でなぞって読み出した……、
――『宝石製の生首が』。




