大天使ミカエルは、双子の兄のルシフェルのことが好きすぎる
一閃二閃、また三閃――刃がひらめく血が奔る、赤いアネモネの花びらが散る、白い羽根が舞い散る踊る。
天界の双子、ルシフェルとミカエルが剣を手に争い合っている。かすめる刃、奔る鮮血、ふたりはそれでも口もとにうっすら笑みさえたたえ、激しく剣をひらめかす。
羽を斬り落とす勢いでルシフェルの剣、ミカエルの背に襲いかかり――刹那、兄はさっと身を引いた。
「……勝負あり、だな」
不敵に笑って兄は剣を鞘に収め、弟のミカエルは悔しそうに一瞬くちびるを噛んだ後、ころころ無邪気に笑い出す。
「――はは! やっぱどうしても勝てないねえ! よっ! さっすが兄さん、天界一の剣のウデ!」
「はは、そうほめちぎることもない……わたしがじきに地獄に行けば、お前が真実『天界一』だ」
冗談めかしてそう言うと、弟は急にしゅんとした。機嫌良さげに広げられていた六枚の翼も、雨に濡れそぼつ犬さながらにぺちゃんと力なくしなだれる。
ルシフェルがあわてて近寄ると、ミカエルはうなだれた顔をほんの少し持ち上げて、兄の目を見て問いかける。
「……ほんとに行くの? 地獄なんか」
「ああ、まあしょうがないだろう。地獄は罪人でいっぱいいっぱい、出張した『元天使である悪魔』たちもオーバーワーク、それでも人手が足らんらしいから……」
「……長いよ、『最後の審判』までなんて」
泣き声でぼやくミカエルに、双子の兄はなだめるように微笑いかける。
最後の審判……世の終わりが訪れ、人間の魂が全て裁かれ、『天界に住まう者』と『地獄で永遠に罰を受ける者』に分けられる。そこまで魔王を務めるのは重荷だが、まあ次代の神となる自分のことだ、魂も何とか保ってくれるだろう。
その旨を柔い口調で伝えると、ミカエルはくちびるを尖らして必死になって言いつのる。
「――でも、兄さんの奥さんのガブリエルは? 小さい息子のミヒャエルは? 兄さん、ふたりと別れるのが淋しくないの?」
「……まあ、しょうがあるまいよ。人間にもよくある……ほら、『単身赴任』てやつだ」
「そんなお軽く例えていいの? 地獄で永いこと『魔王』やんなきゃいけないんだよ?」
「……ミカエル、お前本当はわたしと離れるのが辛いだけだろ。それとも、お前も一緒に来るか?」
「行く!!」
「いやいやいやいや、そこは断るところだろ!!」
「えー、なんで?」
「何でじゃないの!! 『天界の上級天使双子』がふたりとも地獄に行っちゃったら、今度は天界が回らなくなるだろう!!」
「それでも良いー! ぼくはー! 兄さんとー! 一緒にいたいー!!」
「――あ、わたし早めに地獄に堕ちるわ。これ以上お前の駄々を聞いてるとほんとに収拾つかなくなる」
言いざまルシフェルがさっと右手をひらめかす、刹那に天界の地がぱっくり黒く切り裂けて――白く小さく翼をたたみ、双子の兄が落ちていく、地の底までも堕ちていく。
「――ああ! 兄さん!!」
思わず思いきり手を伸ばす――その手を疎ましく振りきるように、亀裂は瞬時にぴったり閉じる。その後にはまるで何事もなかったように、赤いアネモネが風にひらひら揺れているだけ……。
「……行っちゃいましたか」
「…………ああ、行っちゃった。行っちゃったなあ、ミヒャエル」
いったいいつからそばにいたのか、ルシフェルの妻のガブリエルと幼い息子が、亀裂の名残のかすかなひび割れを淋しそうにのぞき込む。ミカエルは淋しさと悲しみを押し殺し、ミヒャエルの手をとって微笑いかける。
「……ミカエル様、実はわたくしどもの館に、巨きな鏡があるのです。壁一面の巨きな鏡……」
「……鏡?」
「ええ。その鏡に映るのは、地獄に行った我が夫、ルシフェル……神様が『出張中にさぞかし淋しいことだろう』と、地獄と通信する術を……」
「えぇぇえええ!? 見たい逢いたい話したいー!! 連れてって今すぐガブリエル!!」
――言わなきゃ良かった。
秘密を明かした当日に、ガブリエルは思い知った。ミカエルが館の鏡に入りびたって、出て行こうとしないのだ。
「兄さん、その金色の角を生やしてコウモリみたいな黒い羽を十二枚生やした姿もイイね!! カッコ良いよマジ兄さん!!」
「……ミカエル、そろそろ通信を打ち切ってもいいか? 地獄での仕事が詰まっているんだが……」
「兄さん兄さん兄さん兄さんにいさんにいさん」
「え、何恐ぁ……」
「ママ―、ミカエルお兄ちゃんいつになったら帰るのー?」
「しっ。そういうこと言っちゃいけません」
「えー。だってー」
「――ああもう! いい加減解放してくれミカエル!! これでは全然仕事にならん!!」
「兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さんにいさんにいさ」
……かくして、地獄では魔王の仕事が出来ず、天界もミカエルがいろいろとわやになって全く回らず……、
ほどなく魔王ルシファーは、意味のなかった『単身赴任』を早々に切り上げ、天界に戻ってきたのだった。
「まったく! あの兄ちゃん好きめ、おかげで地獄はてんやわんやだ!! 呪われよ、ミカエル!!」
地獄でめっちゃ恨まれてるのも知らぬ顔、ミカエルは今でも双子の兄にべたべたひっつき、毎日『真剣勝負』を挑んでいる。
(――こいつ正直マジ恐いから、事故のふりしてやっちゃおうかな……)
恐怖にかられたルシフェルが内心想いつつ毎日剣を振るっているのを、狂愛の弟は幸福にも全く知らない。
かすめる刃、奔る鮮血、天界の双子の兄弟は激しく剣をひらめかす。踏みしだかれた赤いアネモネが、血のように赤い体液をふたりの足もとでにじませた。
(了)




