世界で最後の怪談師
「結局ね、面白ければ良いのよねえ」
あきらめ混じりのひと言に、僕は何ひとつ返答できない。目の前の『世界最後の怪談師』は、黙って微笑ってお茶をひとくち口に含む。
「何でも良いのよ、恐がれれば……その一瞬鳥肌が立って、『いいね』を押せればそれで良いのね。怪異なんて使い捨てのコンテンツなの、今の世の中ではね……」
自分で自分に言い聞かせるようにそうつぶやいて、老婦人は焼き菓子を上品に口に運ぶ。
『二百年前から生きている』といううわさの怪談師にインタビューする目的で、僕は雑誌の記者として彼女のアパートを訪れている。以前にも二三度、彼女は雑誌のインタビューを受けていた。
現実には存在しない『怪異』を語るそのあまりのリアリティーに、YouTubeで動画を配信していた彼女は数年前から話題になり、いつからか『世界最後の怪談師』という呼び名がついた。
どういう人生を送ってきたのか、家族はいるのか、今はどういう生活を? それら全ての疑問に一切答えようとはせずに、彼女はふんわりとした白髪を品良くセットし、どこかアパートの一室とおぼしき室内から、『怪談動画』をひたすら配信し続けた。
……そうして彼女は、ここ数か月間気まぐれに『雑誌のインタビュー』に答え出した。それは本当にあたり障りのない、絶対に身元の特定できないようなインタビュー……何を想って怪談を語るか、動画を視聴してくれる方に向けてのメッセージなど、実を言えば『言っても言わなくても大差ないこと』ばかりだった。
そして今日……この僕にも『あたり障りのないこと』を答えてくれた老婦人は今この時になって、自分の本音を言おうとしている。でも……なぜ僕に?
遠慮がちにそう訊ねると、怪談師は穏やかに微笑ってこう告げた。
「もうじき消えるのよ、わたし」
あまりにもはっきりとそう言われ、思わず言葉を失った。
――消える? それはどういう意味だろうか。みんなから飽きられて、いわゆる『オワコン』となるということ? それとも……死期が近いと言うこと?
「わたしはね、本物の怪異なの……今の人は『パワースポット』なんて言うわね、そういうところにただよっている魔気が凝って生まれ出た、あやかしというやつなのよ」
うなずいて良いのか、どうなのか……悩む僕の目を見ながら、老婦人は話し続ける。
「今の人の考え方って、面白いくらいシンプルなのね……幽霊が出るようになったのは、昔そこで自殺した人がいたから、火事があって死者が出たから、殺人事件があったから……怪異には必ず原因がある、あれがあったからこれが起きる、それで終わっちゃうものなのね」
老婦人はどこか憐れむような微笑を浮かべて、冷めかけた紅茶に口をつける。ほんのひとくち口を湿して、静かな声でしゃべり続ける。
「だからね、わたしみたいに何となく存在している怪異は、どんどん要らなくなっているのよ。わたしたち自然と生まれ出た怪異は、『人々から存在を信じられなくなったら終わり』なの。本当に存在できなくなって、消えてしまうの、溶けるみたいに……」
妄想だ……そう決めつけるには、目の前の夫人の目の光はあまりにも確かで、はっきりしていて。何も言えない僕に向かって、『世界最後の怪談師』は何ごとかをなつかしむように語り重ねる。
「わたしはね、生まれて百五十年、少女のままの若々しい姿でいたのよ。人々がわたしの存在を信じてくれていたからね……でも今はだめ、いくら動画配信で細々命をつないでいても、みんな本当は信じてなんていないから……小手先の『恐いね、この話』や『いいね』だけじゃあ、このまっ白髪の老婆の姿が関の山……」
僕の脳裏に、ひとひらの美しい姿が浮かぶ。黒髪の少女が、あやかしの少女が、ネットという蜘蛛の網に捕らわれてがんじがらめに、伏し目がちにすすり泣く綺麗な妄想……、
「……だからね、わたしはじきに飽きられて消えるのよ。『世界最後の怪談師』はもうコンテンツとして古くなって、わたしの、怪異の存在なんて、誰も何とも思わなくなる……その時わたしは消えるのよ、日に当てられたつららみたいに……」
そう言って婦人は微笑んだ。しわの寄った口の端から八重歯が……牙が、名残みたいにちらっとのぞく。
『世界最後の怪談師』は、記事にしてくれてもしてくれなくても良いのよ、と言って淋しげにはにかんだ。どうせみんな本気にしてはくれないでしょうし……そうつぶやいて、インタビューを打ち切った。
さびれた古いアパートの一室、僕を見送った夫人の笑顔が、いつまでも脳裏に灼きついていた。
* * *
――僕は結局、婦人の言葉を記事にはしなかった。あまりにもありきたりな、今までの雑誌記事と同じようなインタビューしか載せなかった。けっきょく誰も信じてはくれないだろう、と僕も心底想っていた。
インタビューの載った号の雑誌が発刊されたその日に、『世界最後の怪談師・謎の失踪』のニュースがネットを巡った。それまでは毎日発信されていた動画は一週間前からなしのつぶて、そのことを遊び半分にあおっただけのニュースだった。
……だが僕は、内心ひどく胸が痛んだ。ああ、彼女は消えたんだ。みんなに飽きられて、存在できなくなって霞みたいに消え失せたんだ……。
そう考えてくちびるを噛みしめた瞬間に、つけていたテレビは新たなニュースを映し出す。外国でまたも戦争が勃発したというニュース。
ああ、もうしばらくはきっとこのニュース一色だ。しばらくこの話題でテレビやネットはもちきりで、この戦争が終わらぬ内に今度はどこかであらたな戦争が持ち上がり、繰り返しくり返して、人間の日々はとても危うく続いていく。
――人間の方が。こういう人間の方が、よっぽどおぞましいじゃないか……そう想うと皮肉な笑いが、くちびるを伝ってこぼれ出た。
「ねえ、何を笑っているの?」
唐突に小さく声をかけられて、びくんと肩が跳ね上がる。誰だ、僕は独り暮らしだぞ!? あわてて声のした方を見下ろすと、小さな少女……妖精みたいに小さな少女が、ぼくを見上げてはにかんでいた。
人形みたいな顔立ちに、この前目にした白い牙が、桃色のくちびるの端から小さくちいさくのぞいている。
「――『世界最後の怪談師』!?」
思わず大きな声で叫ぶと、少女は何だか照れくさそうにこっくり可愛くうなずいた。
「……な、なんで? あなたは消えてしまったんじゃ……誰からも存在を信じてもらえずに、この世から消え失せてしまったんじゃ……」
「ええ、でも……」
少女は小さな顔で少し寂しげに、でも誇らしげに微笑んで、
「あなたは、信じてくれるもの」
そうささやいてはにかむ少女に、思わず大きく息をつき、それから訳も分からずに、くしゃくしゃの笑みがこぼれ出る。
「この姿では初めまして……これからしばらく、あなたのところに居ても良い?」
そう言ってうかがうようにこちらを見上げる小さな少女に、僕は右手の小指を伸ばす。
僕ひとりの想いでは小人のように頼りなげな姿しかとれない『最後の怪異』は、にっこり笑って僕の小指を小さな両手で抱きしめた。
――そんなわけで、現在僕は『ふたり暮らし』だ。
どう見ても『ふつうの小人』にしか見えない、おそらく『世界最後の怪異』は、ハチミツ入りのミルクを舐めて、妖精みたいに暮らしている。
たまにふたりで見る『老婦人の怪談師』の動画は、細々と今現在も、YouTube上に存在している……。
(了)




