まさかの出会い
丁度マドレーヌが焼ける時間になったので、美琴は厨房へ向かった。
窯から取り出したマドレーヌは程良い焼き色が付いている。
バターの香りが鼻奥を掠めた。
美琴は上機嫌に鼻歌を歌いながら焼きたてマドレーヌの味見をする。
蜂蜜のまろやかな甘さとバターのコクが口の中に広がった。
「我ながら上出来ね。丁度おやつの時間だから、お父様とお母様、お兄様達にも食べてもらいましょう」
満足そうに口角を上げる美琴。
マドレーヌを皿に移し、家族の元へ運ぶ。
その途中、庭を通っていた時のこと。
庭の外からドサリと何かが倒れる音がした。
(……なんの音かしら?)
気になった美琴は近くの裏口を開けて外に出る。
するとそこには男性が壁にもたれかかるように倒れていた。
少し乱れた鉄黒の髪。身なりは良いが、服装も少し汚れている。
「あの……大丈夫ですか?」
美琴は恐る恐るしゃがみ、男性の顔を覗き込む。
すると男性は美琴に目を向ける。
吸い込まれそうな漆黒の目。思わず見惚れてしまう程の顔立ちだった。
その時、ぐうっと男性のお腹が鳴った。
「……あの、これ、よろしければ召し上がりますか? マドレーヌという洋菓子ですが」
美琴は恐る恐る男性にマドレーヌを差し出した。
男性はゆっくりと手を伸ばし、皿からマドレーヌを一つ取り、食べる。
すると男性は目を見開いた。
「これ、全て食べても良いか?」
「えっと……はい、どうぞ」
戸惑いつつも頷く美琴。
マドレーヌくらいならまた作れるので、全て男性に譲ることにした。
男性は勢い良くマドレーヌを口にする。
見事な食べっぷりだが、どことなく所作に品があった。
「助かった。君、名を何と言う?」
男性は真っ直ぐ美琴を見ていた。
「えっと、薬研美琴と申します」
美琴は戸惑いながら答える。
「薬研……美琴さん……か……。ありがとう。いずれまた会おう」
男性はそう言い、生き返ったように美琴の元から立ち去った。
「……一体何だったのかしら?」
美琴は男性の後ろ姿を見て不思議そうに呟くのであった。
◇
数日後。
薬研家に激震が走る。
薬研家の屋敷は騒がしくなった。
(……部屋の外が随分と賑やかだけれど、何が起こったのかしら?)
美琴は自室で呑気に本を読んでいた。
すると、ドタバタと足音が聞こえたかと思った瞬間、部屋の襖が勢い良く開いた。
「美琴、大変だ!」
「お父様? そんなに慌てて何があったのです? 部屋の外も何だか賑やかですし」
美琴はきょとんと首を傾げる。
「服装はそのままで良い。今すぐ来なさい」
「え? お父様、どういうことです?」
美琴は怪訝そうな表情になるが、血相を変えた昭夫は答えてくれず、そのまま連れて行かれるのであった。
わけが分からぬまま薬研家の屋敷の客間に連れて来られた美琴。
「初めまして。いや、二度目だね。薬研美琴さん」
何と、客間には数日前に美琴のマドレーヌを全部食べた男性がいた。
少し乱れていた鉄黒の髪は、今は艶やかで整えられている。そして吸い込まれるような漆黒の目に、ハッとする程見惚れてしまう顔立ちである。
「美琴、このお方は赤院宮伊吹様だ」
「赤院宮って……皇族の……!?」
昭夫から紹介され、美琴は驚愕の表情を浮かべた。
桜舞帝国の皇族は頂点に立つ桜華院宮家と、六つの宮家から成る。基本的に帝になる者は桜華院宮家の者だが、桜華院宮家に男児が生まれなかった場合は他の六つの宮家から男児を養子入りさせて帝の位を継がせるのだ。
伊吹の赤院宮家はその中の一つであり、六つの宮家の中の序列は三番目。赤院宮家は攻撃系の異能を持つ者を多く輩出している。
ちなみに、現在桜華院宮家に男児が三人いる。よって現在十九歳の伊吹や他の宮家の男性達に帝位継承権が巡ってくる可能性は極めて低い状況だ。
「薬研美琴さん、改めて先日のお礼と、今後のお願いがあってここに来た」
伊吹は高級感のある小箱を美琴に渡す。
「あの……これは何でしょうか……?」
美琴は恐る恐る小箱を受け取り、首を傾げた。
「先日のマドレーヌのお礼だ。あの時は本当に助かった。ありがとう。是非開けてみてくれ」
皇族らしい、品のある笑みの伊吹。
美琴は言われるがまま、小箱を開ける。
するとそこには美しい桃花色のリボンの髪飾りが入っていた。
「ありがとうございます。ですが、このような高級なもの、いただけません」
美琴は畏れ多いと言うかのようだ。
「いや、美琴さんに受け取ってもらわなば困る。それに、君にはこれから頼みたいこともあるんだ」
「頼みたいこと……? 何でしょう?」
「私が妖魔討伐に行く時には、君の補助異能が込められたお菓子を作って欲しいんだ。私は通常やり方では補助異能を弾き返してしまう体質で困っていたんだ」
「え……?」
補助異能を持っていないとされる美琴は、伊吹が何を言っているのか理解出来なかった。
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