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香水か何かが漂っているのかというくらい、芳醇な香りが鼻をくすぐるのは気のせいだろうか。リビングから寝室に移動して、ベッドの上でもうどのくらいの時間が経ったのか分からない。
「ん、かなめ……」
「なに?」
「〈More〉」
「なにを?」
「キス……」
「それ、コマンドになってないよ、ヒナ」
DomになってもSubに対して『キスをして』とコマンドを出す自分は、やっぱり枢の言うようにM気質なのだろうか。でも、自分の言ったコマンドを枢が実行してくれることに、胸がいっぱいになる。もっともっと、この小さな胸を枢でいっぱいにしてほしい。でも彼の心も陽でいっぱいになってくれないと、満たされない。
「ヒナの言うとおりにできてたら、褒めて。まだ一回も褒められてない」
「うん…〈Good Boy〉、枢……」
コマンドを実行できたご褒美として陽が枢にねだったのはキスだったが、彼は頭を撫でられるのがいいらしい。陽が震える手で枢を撫でると、彼はうっとりした瞳の中に赤色のハートを宿していた。そんな瞳を見ると、支配欲が満たされていく。今の枢は自分のSubなのだなと、ほっとしたのだ。
「〈Kiss〉…ほしい、かなめ……」
「……そんなにキスが好きなの?」
「うん……ずっと枢としたかった、から…」
「いつから?」
「高校生のとき、から……」
「え?」
陽がなぜSwicthをできるのか、お互いに愛してると言い合ったのに詳細な話もしないまま、息を奪うような枢からのキスを皮切りにPlayが始まってしまったのだ。だからいつから陽が枢を好きだったとか、まだ枢が聞きたい真白のことなどがあるかもしれないのに、枢から与えられる久しぶりの熱に思うように話せないでいる。
「ぶつかった時から、枢がDomだっていうのが分かってた……」
「でも、あの時はまだダイナミクスの診断はしてなかったのに…」
「目が…星が浮かんでるような夜の瞳を見た時に、そうなのかもって本能的に思ってたから……」
「そうだったんだ……」
「……それからずっと、おれは枢のことを好きだった」
ずっと言えなかったこの言葉。
パートナーとして枢と関係を持つときに、パートナーになったら自動的に恋人になるのか、と聞いた彼の言葉を否定したのは陽自身だった。あの時は枢の負担になりたくなくてそう言ったのだが、最初にきちんと話をしていたら、ここまでこじれなかったかもしれない。
でも、怖かったのだ。
Swicthをできる体質だと話すのも、真白とPlayをしたことがあると話すのも、話したこともない高校時代に一度ぶつかっただけの枢をずっと好きだったと知られることも。
『好き』だと口にして、もしもこのパートナー関係に終わりがきてしまったら、また夜明けが来ない深い夜を彷徨う日々に逆戻りしてしまうと恐れたのだ。でもそんな陽の暗い夜に、きらりと輝く星が現れた。こっちだよと道を教えてくれるような、綺麗な星。それが枢だったのだ。道に迷ったら星を目印に進めばいいと言われているけれど、枢との関係が終わってしまったら自分の歩く道が分からなくなると感じた。
でも怖がっているだけではダメなのだと、言わないと進めない道もあるのだと、枢が真夜と一緒にいるのを見て思ったのである。




