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枢への気持ちがあるまま、違う人とPlayをしようとしている陽は頭の中がぐちゃぐちゃで、いつの間にか瞳から涙が零れ落ちていた。そんな陽の涙を真白は親指で掬って「大丈夫だから」と言いながら背中を撫でてくれる。
真白とは生まれた病院が同じで、もともと家が隣だったのと、二人の母親が入院中に同室だったこともあり親同士がもっと仲がよくなったのだ。陽と真白の誕生日は一日違いで、ほとんど双子のようなもの。本当の兄弟のように育ってきて、陽は真白には自分のダメなところも少し抜けているところも見せられるような仲なのは本当だ。
でも、中学生以降、真白の前で泣いたことはない。
なんとなく周りから『完璧』を求められ『期待』されているような圧が分かり始めてから、陽はあまり素を見せなくなった気がする。だからきっと、自分のSubとしての欲求が『甘やかされたい』なのは、そういう圧の反動からなのだろう。
「……泣くほどそいつのことが好きなら、目隠ししよう」
「え?」
「俺をその人だと思えば耐えられるだろ?」
「いや、でも……」
「ごめん、正直俺が……ヒナの顔を見てPlayするのは、きついかも」
陽がSubであることを真白が受け入れてくれたと思っていたのは、勘違いだったのかもしれない。陽の顔を見ながらPlayをするのはきつい、と言われて『それは当然のことだよな』と思う自分と『やっぱりおれがSubなのは気持ち悪いのかな』と思ってしまった気持ちと、また頭の中がぐちゃぐちゃになってしまう。でも真白に無理なお願いをしているのは陽なので、真白の気持ちを考えて目隠しをしてPlayをすることにした。
就活用に買ったネクタイで視界を塞ぎ、目の前に誰がいるのか分からなくなる若干の不安を抱えながら、真白からのコマンドを待つ。初めてのPlayに陽の心臓は今までに経験したことがないくらいドキドキと脈打っていて、握りしめた手のひらには汗をかいてきた。
「陽、〈Come〉」
初めてのコマンドに、ぶるりと体が震えた。
自分の中の何かが変わっていく感覚が怖くて、不安で、何とも言えない焦りを感じる。でも心の奥底では『やっとコマンドをもらえた』と喜んでいる自分がいて、恐ろしくなった。コマンドに反応する自分はやっぱり、正真正銘のSubなんだと初めて自覚した。
「そこでストップ。〈Kneel〉」
真白の声に誘導され、初めてコマンドを出されるのにすんなり受け入れてしまう自分が怖い。コマンドというのは本当に特殊で、初めてのPlayだとしてもそれをコマンドだときちんと認識できるのは、やはり自分がSubだからなのだなと妙に納得した。
「〈Good Boy〉、陽。えーっと、とりあえずご褒美」
そう言って真白が頭を撫でてくれる。Playを始める前に泣き始めた陽を落ち着かせようと背中を撫でてくれたり、抱きしめてくれた時とは違う感覚にぞわりとした。あの時はただ『優しいな』と思っていただけなのに、ご褒美だと言われて撫でられると何とも言えない幸福感が胸いっぱいに広がる。
ここ数日感じていた不安や恐怖が一気に引いていく感じがした。真白が出してくれたコマンドは基本中の基本でPlayの中でも簡単なものだろうけれど、Play自体が初めての陽にとっては十分すぎるほど満たされてしまった。
ただ、それと同時に思い出してしまった。
枢の声を、思い出してしまったのだ。
「じゃあ次は…〈Come〉とか?」
「あ、ま、待って真白……」
「陽?どうした?」
あの声にコマンドを出されて、あの手にご褒美を与えられて、いま目の前にいるのが『星枢』だったら、どれだけ幸せだっただろう。ネクタイで視界を奪われている分、目の前にもし彼がいたらと想像してしまう。叶いもしない願いが、今まで考えてこないようにしてきた願いが一気に溢れてきた。
「ごめ、ごめん真白、もうむり……っ!」
「おい、陽!落ち着け!」
「〈レッド〉、〈レッド〉、〈レッド〉……!おれやっぱり無理、できない、ごめん…っ」
真白は陽を気遣ってPlayをしてくれただけなのに、わがままを言ったのは自分なのに、枢のことを思い出してサブドロップに陥ってしまった。自分の相手は真白ではないと本能が彼を拒否してしまったのだ。
真白とのPlayのおかげで翌日少しは頭がすっきりしていたけれど、何とも言えない罪悪感と、真白との間にできた深い溝。溝を作ってしまったのは陽本人で、真白を避け始めたのは陽からだ。後に『恋人ができた』という報告をもらってからはずっと、真白とは疎遠になっていた。
そんな思い出したくない記憶が、真白との再会で蘇ってきたのである。




