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自分のパートナーが他の男と連絡先を交換した、という事実が枢の頭の中をぐちゃぐちゃとかき回す。
どうして?なんで?慧至さんはSubなのに?
なんて、ぐるぐる考えていると陽からそっと頭を撫でられて我に返った。
「あのですね、慧至さんがSubなのは分かってますよね?」
「え、は、はい……」
「で、おれもSubだって分かってますね?」
「はい……」
「だからおれたちはお互いに何もできないって、分かりますね?」
「でも…慧至さんかっこいいし、友達もたくさんいるし、朝霧先生に他のDomを紹介されたら嫌ですもん……」
「……ないですって。今日乙織さんたちにおれたちの関係を話したばっかりですよ?新しいDomがほしくて慧至さんと連絡先を交換したなら、そんな話はしません」
そう言って苦笑する陽を見てなんだか安心した。そうだ、枢をパートナーだと紹介した後に慧至から別のDomを紹介してもらうような人ではない。疑って申し訳ないという気持ちと、陽を信じられていなかったことに枢はため息をついた。自分はなんてダメなDomなんだ。
「慧至さんと連絡先を交換したのは、初めて同性のSubに会ったからです。今まで特別自分をSubだと周りに言ってこなかったから、悩みとかそういうのを打ち明けられる人がいなくて」
「そうだったんですか……」
「それと、慧至さんと乙織さんに話したのは、二人なら信用できると思ったからです。星先生の親族だって分かったから、それも安心する要素でした。でも、二人に話したのはおれの独断なので……星先生に事前に相談しないまま話をしてすみません」
「いえ、それは全然いいんです。どちらかと言えば、朝霧先生が話してくれて嬉しかったし……でも、本当の本当に他のDomを紹介してもらおうとか、そういうつもりはないんですね……?」
「………不安なら、コマンド使ってもいいんですよ?」
コマンドを使えば陽は本音を話さずを得なくなる。すなわち、コマンドを使って確かめてもいいということは、陽の言っていることは偽りではないということだ。枢は陽のように国語の教師ではないけれど、作者の気持ちを汲み取ることができた。
「ヒナ、〈Come〉」
「うん?」
枢のコマンドに従い、ぽんぽん膝を叩くと彼は疑いも抵抗もせずに枢の膝に腰を下ろす。肩に手を置く陽は枢をじっと見つめて、この後「〈Speak〉」と言われると予想しているに違いない。そんな陽の後頭部にするりと手を回した枢が顔を近づけていくと、陽がびくっと体を震わせた。
「ん……っ?」
『Kiss』のコマンドも出していないし、膝の上に乗っただけでご褒美のキスをされると思っていなかったのだろう。驚いて開けてしまった唇の隙間から舌をねじ込まれぐちゃぐちゃに掻き回されている陽は、枢のシャツをぎゅっと握っている。息継ぎの合間にか細い声が漏れて、その甘い声に枢の脳みそはどろどろに溶けていくようだった。
「ぁ、んぅ、ど、し……?」
突然どうしたの、とキスの合間に紡いでいる陽の声にたまらなくなったが、このままソファに押し倒すのを何とか堪えた。『そういうこと』をしたいがために、陽とパートナーになったわけではない。彼をとろとろに甘やかして、そんな陽の姿に満足するのが自分のDomとしての欲求なのだから。本当はこのキスだって、してはいけないことなのに。
「……っすみません。今日はいろいろ、あなたの行動が嬉しくて、調子に乗りました…」
「んん……、乙織さんたちに話したこととかのご褒美、ってことかな?」
「そ、そういうことにしてください……!」
「ふふ、そっか。だからこんなに甘いキスだったんですね」
唾液で濡れている枢の唇をふにふに弄び、陽は小さく笑う。彼の指を柔く食むと、またくすくす笑われた。
「今日、俺が留学してたって話が出たと思うんですけど……」
「留学してたって生徒からも聞いたことあったんですけど、星先生から話を聞けてよかったです」
「それで、あの…前に俺が性的な接触が苦手だっていう話も覚えてますか?」
「……もちろん。あの時は嫌な思いをさせちゃったので」
「あれ、留学してた時のことが原因なんです」
「え?」
今更あの時の話を持ち出すと『陽に触れたい』と宣言しているようなものだけれど、彼にはちゃんとその理由を話すタイミングだと思ったのだ。
「実はアメリカにいる時、Subに襲われそうになったことがあって…」
「……え?Subに、ですか?」
「はい。俺の体格をバカにしてきた友人とバーで飲んでる時に、パートナーがいなくて具合が悪そうなSubを助けたことがあったんです」
「……」
「軽いPlayをしただけだったんですけど、それ以上のことを、要求してくれと言われて……」
あの時のことは正直思い出したくもないし話したくもない。でも正式なパートナーになってくれた陽には、自分の弱い部分も知ってほしいなと初めて思えた。そうやってお互いの話をして、乙織と慧至のようないいパートナーになっていくのだろうから。
「もちろん性的な行為はしてません。ベルトに手をかけられたけど、未遂で終わりました」
たらり、冷や汗が額を伝う。そんな枢の様子に気がついた陽がそっと汗を拭って、顔面蒼白になっている枢を優しく抱きしめた。
「そんな辛いことを話させてすみません。でも、話してくれて嬉しいです」
「……本当ですか?」
「はい。こうやって乙織さんと慧至さんみたいなパートナーになっていくんでしょうね」
陽は枢と同じことを思っていたらしい。たったそれだけのことに枢は胸がぎゅっと締め付けられて、より一層陽のことを好きだなと思えた。それと同時に、やっぱり陽には自分から触れてみたい、という欲求が姿を現す。枢にとって陽はやはり特別な存在らしい。
「また今度、乙織さんや慧至さんと一緒にご飯食べたいです。いいですか?」
「もちろん。朝霧先生が望むなら、いつでも」
「よかった。おれがおれのままでいられて、楽しかったから」
今まで誰にもダイナミクスのことを言えなかったという陽。
そんな彼の特別な居場所になれたなら嬉しいなと、枢は優しく陽を抱きしめた。




