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向日葵は大樹に恋をする

作者: すす
掲載日:2023/11/19

お天道様と名づけられた、神様はどうして私の事をここまで嫌うのだろうか…私が小さな太陽と身分不相応にも呼ばれているせいなのだろうか。

天からの熱が私の体力を奪っていく。呼吸が苦しい…気付けば草と土で構成された地面に膝を付いていた。


私だってね、こんな眩しい名前、好きじゃない。だって私は多分、それとは真逆の世界でないと生きられない。

だからこんな世界から早くさよならしたかった。きっとあの時旅立つのも不可能ではなかったと思う。


けれど、まだここにいられるよって教えてくれたあの人。

あの人はきっと、木の御使いさまなんじゃないかって……えっと、こうやって空想でしか遊ぶことが出来ないんだ、私。


ーーそれは、神に愛された子の、本当に短い夢物語




蝉時雨…上手い言葉を昔の人間は考えたもんだと、土がむき出しの道を歩く男はぼんやりと考えていた。

青々とした空にはソフトクリームのような入道雲、そのまま視界を下にずらしていくと見えてくるのはどの方面も青々とした山、それに何世代もの子供の成長を見守ってきたかのような巨大な木がシンボルのようにあちこちに佇んでいる。

この道に家など無い。10分ほど前に小さな商店の前を通ったのが最後で、それ以降人すら見かけていない…いや、もしかしたら道を囲むように広がる畑にところどころ見つけた影は案山子でなく人だったのかもしれないが…少なくともこの未舗装の道を通った人間は一人もいなかった。

そして一体どこで鳴いているのかと問いたくなるほどの各種のセミの鳴き声…まるでこの世から人が消えてしまったのかの様な錯覚に襲われる。他人によってつくられた畑や、今現在踏みしめている道が、かろうじて人類はまだ絶滅していないのだと安心させてくれる。


「…車で来た方がよかったんじゃないの?少なくともクーラーあるじゃん」


男の隣を歩いていたワンピースにサンダル、まとめ上げた茶髪に麦わら帽子をかぶる女が憮然とした態度で男に話しかけた。道の先には少々木々が密集した涼しそうな山道が見えるが、まだまだ遠い。

男はシャツの袖で汗をぬぐいながら、だから言わんこっちゃない、と女を見た。


「この先は車が通れるほど道も広くないし、自転車は道が凸凹で走れないって言っただろ?…まだ宿に戻る方が楽だぞ」

「絶対行く!!」


男の言わんとしていることを察して女は叫んだ。戻るという選択肢はない。靴擦れで痛む足を切り捨ててでも男についていく。女は真っ直ぐに男を睨んだ。男は溜息をついた。


「……墓参りひとつでどうしてここまで意地になれるんだよ。しかもお前の知らない奴なのに」

「……………君が知ってるから!」


女はまるで子供の様に頬を膨らませる。既に男は溜息しか出ない。

おもむろに肩から斜めにかけたバッグの中を探り、ぶっきらぼうに一組の靴下と水の入ったペットボトルを女に投げた。


「格好悪いかもしれないけど、靴擦れで歩けなくなるよりましだろ」


そう言って男は歩き出した。一瞬目を輝かせた女は慌てて靴下を履き、ペットボトルを肩掛け鞄に入れて男を追いかける。


「ねえ、誰のお墓なの?」


追いつき、男のシャツの裾をくいくいっと引きながら女は男の顔を覗き込む。

男はそれとは目を合わせず


「友達」


それだけ言った。


「だーかーらー。どんな友達なの?って聞いてるの。サッカー馬鹿で愛想なくて意地悪な佐藤先輩がわざわざ夏休みに泊りがけの墓参りするって相当仲良しだったって証拠じゃない?噂大好きなピチピチ女子大生としてはこんなお酒のおつまみになりそうな話聞かないわけにいかないじゃない?」


視線が合わないことは分かりきっていて女はパチンとウィンクをする。

ぼんやりと道の先を眺めていた男はしばらくの沈黙の後、確か小学生の頃だったな…と語り出した。



時は10年ほど遡る…



当時男は小学校高学年の少年だった。

山と畑と田に囲まれてはいたが、当時は今ほど過疎化の進んだ土地ではなかった。

小学校は各学年30人程度生徒がいて、休み時間は校庭で生徒が学年関係なく走り回る……少年も例に漏れなく放課後は暗くなるまでサッカーをして遊んでいた。


あの夏休みの暑い日も朝から仲間と集まり、駆け回っているうちに夕方になって、少年はネットに入れたサッカーボールを蹴りながら舗装のされていない、自宅への道を歩いていた。朱い空からひぐらしの鳴き声が降る日だった。


少年の自宅への道のりには大きなひまわり畑がある。

丁度花が咲き誇る季節であったこともあり、その地帯は一面緑と黄色に埋め尽くされていた。

今でこそ、そのヒマワリ畑に感嘆の声を漏らすこともあり得たかもしれないが、当時は大きな花が全て自分の方を向いていることを不気味に思っていた記憶がある。

そのため、あえて走ることもしなかったが急ぎ足気味に進んでいた。


そこで出会ったのだ。彼と…。


Tシャツに短パン、年の頃は男より少し年下だろうか…少なくともクラスに彼を見たことは無かった。

目深にかぶった黄色いつばの野球帽は通学帽の印象を受けたが、でも全く違う。ごく普通の野球帽、どこかで見たような帽子…それ以上に透明なほどの青白い肌に儚さを覚えたものだった。

いつもならすれ違う子供など気にならなかっただろう。しかし彼は道端に生えた木に向かってサッカーボールを蹴っていた。サッカー少年であった男の興味を引くには十分だった。

もっとも、彼の腕前はボールを蹴ります、転がります、取りに行きます。といった玉蹴りの様なものだったが。


歩く速度を落として彼を観察していると少年がけり損ねたボールが転がって来たため、男はボールを蹴りあげ、トントンと数回リフティングをして、軽くヘディングして相手へと返した……が、ボールは少年の頭で跳ねコロコロと転がっていき、少年はそれを追って走って行った。


そこで少し後ろを歩いてきたクラスメイト数人に声をかけられ、一言二言話をしているうちに少年の姿が見えなくなってしまった。おそらくボールがヒマワリ畑に入って取りに行くために入って行ったのだろう。男はそう解釈してクラスメイトと帰路を歩み始めた。


それが最初の出会いだった。



二度目の出会いも似たようなもので、違うことと言えば一言二言会話をしたという事だ。

少年は、サッカーが好きだが体が弱く、両親に禁止されているのだそうだ。

夏休みに入り、ヒマワリ畑の中にサッカーボールが落ちているのを発見し、夕飯の準備で母親の目が離れるこの時間帯にボールを蹴っている。少年はそう言った。

そして、驚いたことに少年は男の存在を知っていたのだ。教室から校庭を見下ろすといつもサッカーをしている人だと。

ならば見るだけならば毎日校庭でサッカーしているから来てはどうかと誘ったが、気温が高いことを理由に止められているらしい。

一人で遊んでもつまらないよね~…と、俯いて寂しそうな表情をする少年が、何故か気になってしようがなかった。



「……え、友達って男の子だったの?」


素っ頓狂な声をあげる女と、昔話をする男は、道端の木陰に腰を下ろして休憩していた。

男は地面に落ちる木漏れ日を眺めたまま、話を続けた。


「……何人か違う学年の奴に聞いたけど、そいつを知ってる奴はいなかった。基本的に運動馬鹿とばかりつるんでたし、影が薄い奴なんか覚えていなくてもしょうがないかと思って、気にしなかったな。」



それからというもの、男は夕方になるとヒマワリ畑に向かった。必ず少年はボールに遊ばれていた。

10分と無く言葉を交わすだけの間柄だったが、1週間経ったか経たないか、少年のサッカーの練習相手は木から男へと変化し、他愛も無い会話を交わすようになった。

少年の声もいかにも病弱といったか弱い声から、男を見つけた時に手を振りながら声を張るようになった。


「…なあ、お前本当に同じ小学校か?だーれもお前の事知らないぜ?」

「あッ…!う、ぼ…僕はちゃんと雨咲小の生徒だよ…!」

「つってもなー。俺のクラスの5年にお前はいないし、3年もいねえ、2年も1年もいねえ…まさかそのチビのなりで6年とかか?じゃねーよな、4年か。」

「…………。」


少年は頬を膨らませて「うー」と唸り、暫くした後に蚊の泣くような声で「4…」と答える。

男は成程、と背を預けている木の幹に止まる蝉を眺めながら言った。「4年は何か友達いなくて聞けてねーな」と。


「…ッ僕、そろそろ怒られちゃうから帰る」


少年は立ち上がり、脇に置いていたボロボロのサッカーボールを持って立ち上がった。

それを男は「あ!」と止める。少年はボールのように身体を跳ねさせ男へと向き直った。


「いい加減名前教えろよ。呼ぶとき困るんだよ」

「…あ……。」

「あ?」


アオキ、少年はそう答えて小走りで走り出した。

その背中に男は声を張る


「アオキー!レベルあわせてやるからたまには校庭に来いよー!後俺ダイキだぞ!呼び捨てで良いからなー!」


アオキは振り返り、はにかんで手を振りかえし、そのまま走り去って行った。



「…つーかまだ俺に喋らせ続けるのか?」


現代のダイキは隣の女性にうんざりと問いかけるが、女性は「最後まで」とすっぱりいい切る。

山の小道に入って日光から木陰に守られている状態とはいえ、湿度は尋常ではない。

日頃長話をしないダイキは普段以上に体力を消耗していた。


「水返す?」

「まだ持ってるからいらねえ」


鞄から麦茶のペットボトルを出して、男は煽るように飲み下す。正直に言って既に温い。しかし飲まないよりはマシか…

蓋を閉めながら「次、次は?」と催促する女を一瞥しまた歩き出した。



アオキは数日後、夕方、いつもより少々早い時間に校庭の隅からサッカーをしている少年たちを木陰から眺めていた。

あまりにも静かで最初こそ誰も気づかなかったが、黄色い野球帽、登校用の帽子とは明らかに風貌が違うそれは、視界に入れば目立ち、最初はダイキに引っ張り出され、そしてサッカー少年に声をかけられ、おずおずとアオキは校庭の隅を陣取る形になった。

サッカー仲間は「こいつがダイキが言っていた奴か」「病気なんだって?つかちいせー」「確かに知らない奴だ」と興味を持ち、子供特有の明後日な気遣いとして「下手でもいいから試合やろーぜ」と誘った。

しかしアオキは「迷惑かける」と断る。それに対しダイキは


「あのなーレベルあわせてやるつっただろ」

「どうやって?」


サッカー仲間に突っ込まれてうっと言葉を詰まらせたダイキは仲間に「集合」と声をかけ、校庭の片隅で円陣を組んだ。

そしてその辺に落ちていた木の棒で地面に何かを書きはじめる


「まず走っちゃダメなんだってさ。ボール蹴っ飛ばすのはあり。ノーコンだけど」

「んじゃ試合無理じゃね?パス練習みたくするか?」

「フィールド狭くすればいいんじゃないか?俺らだって11人を2チーム作るほど人いねえじゃん」


ソレだ。と仲間の鶴の一声で地面に書かれたサッカーフィールドを示す四角の中央に線がはいる。


「つかフィールド半分にしたらゴールでかくね?外しようがねーじゃん」

「別にいいんじゃねえか?キーパーの守る範囲は一緒だろ。前には狭くするけど」

「コレじゃテーブルテニスだろ」


テーブルテニス?言い始めた少年に対してなんじゃそりゃと仲間は尋ねる。


「隣町のゲーセンにあったんだよ。棒を動かして相手の陣地にボール押し込むショボゲー」

「ゲーセン行ったのかよ羨ましいなシゲル」

「親戚んちがあってだな…じゃなくて!脱線してんぞ俺達」

「おっと…んじゃ体育館用のサッカーゴール使うか?小さいだろあれなら」

「いいじゃん。するといつもの半分の狭さだろ。1チーム5人でどうよ。」

「そんならアオキにもボール回し易いな。余った奴は審判な」


俺達意外と頭よくね!?と円陣から奇妙なシンクロと熱気が上がる。ソレを後ろから眺めていたアオキはびくりと身体を跳ねさせた。

ここは小学生の集団、その程度の変化には誰も気づかない。

そして立ち上がった少年たちはあるものは体育館にゴールを取りに、あるものは当直の教師に声をかけて石灰を借り、地面に小さなフィールドを創り出す。

出来上がったものは…がさつな少年たちが創ったもの。見事に歪んでいるがそのような事気にしないのが小学生クオリティ。

それでも小さなサッカーフィールドには違いなかった。


「何か予想より小さくないか?」

「ちゃんと俺長さ計ったぞ。大股で78歩だったから半分で34歩!」

「…………………あれ?」


蝉だけがやかましく鳴いていた。暫くして比較的利発そうな少年が一言


「…39歩だろ。」

「なぬ!?何で1のケタが増えてんの!?」

「……ちょっとこれでキーパー除いて4人が動き回るのキツイな。1チーム4人にすっか。1点取った方が勝ちでローテーションだな。」


ダイキは同意を求めるようにアオキに向き直りながら取り決める。

アオキは小さなフィールドをちょこちょこと見て回って「ありがとう!」と嬉しそうに笑った。

するとソレを間近で眺めていた、テーブルテニス発言のシゲルが何故か鼻血を吹く。

全く予期していなかった事態に少年たちはどよめいた。


「どうしたシゲル!?」

「暑さにやられたか!?」

「まさか俺達に隠れてエロイこと考えたのか!?」

「それはずるいぞ!」


シゲルはちげーよバカ!と悪態をつきながら首の後ろを叩いて上を向く。

驚いて固まっていたアオキは再起動を済ませるとその手を止めさせ、ゆっくりとシゲルの頭を下に向けた


「鼻血は上向くと気持ち悪くなるよ。首も叩いちゃだめって先生が言ってた。」


黄色いタオル地のハンカチをポケットから出してシゲルの鼻をつまんだ瞬間…

アオキの体は地面に倒れ込んだ。正面にいたシゲルは血まみれの両手を突きだしている。


ひぐらしが鳴きはじめる。とっさにダイキはアオキを助け起こし「大丈夫か!?」と声をかけた。

幸いにも怪我も発作もない。


「シゲルお前…!」


非難の声を浴びせるが、シゲルは興奮した真っ赤な顔、手で鼻を押さえながら叫んだ


「お前病気うつしただろう!?」

「はあ?」

「そうだろ!?お前が傍に来たら心臓が変だ!変になりすぎて苦しいし熱い!鼻血が出たのもそのせいだ!」


アオキに向けた罵声を止めようとするものが半数、伝染すると信じて二人から距離を置くものが半数…

アオキは両手で帽子の鍔を下げて、震える声で言った


「…うつる病気じゃない」

「嘘つくな!じゃあこれは何なんだよ!?」

「……ごめんなさい。わかんない」


アオキは服に付いた血も気にせず走り去ってしまった。

シゲルへの叱責とアオキの体調への気遣いに数秒迷ったダイキは地面に落ちたハンカチを拾い上げてアオキを追った。


「だ、ダイキ待てよ…!」

「うっせえ!俺が誘っといてアオキがどっかで倒れてたら寝覚めが悪すぎんだろ!シゲルは前に女子に優しくされた時から全く成長してねえ!どーせ惚れたんだろ、ホモか!!」


シゲルを諌めていた少年たちがざっと離れた。


ダイキは後を追うが、向日葵畑に差し掛かったあたりでアオキを見失ってしまった。

声を張り上げても蝉の声にかき消されてしまう。特長である黄色い帽子も向日葵に消されてしまう。

日が落ちて蝉時雨から蛙の合唱に変わるころまで探し回ったが結局見つけ出すことが出来なかった。

そのうちに家の方から彼を呼ぶ声が近づいてきた。それが父親の声だと気づいたころには家で飼っていた柴犬がダイキに飛びかかり、馬乗りになって顔を舐めまわしていた。そうしてダイキの動きを止めているうちに父親のげんこつが降ってくる


「夕飯までには帰って来いと言っただろうバカ息子」

「うっせえ親父…!」


頭をさすりながら飼い犬と共に道の真ん中に座る。

父親は二人の前にしゃがみこんだ。


「誰か探してる風だったな。誰か迷子か?」

「………わかんねえ。家に帰ってるかもしれねえ」

「そんなら家に電話してみろ」

「…電話番号どころか学年も苗字も知らねえ」

「あん?」


ダイキは帰り道すがらアオキと言う心臓の病気を持った少年の話をした。サッカーが好きだがサッカーが出来ないでいる事、今日校庭に現れたが仲間と喧嘩して帰ってしまったこと。病気で倒れてないか心配な事を。


自宅に到着して、犬小屋に飼い犬を繋ぎ始めた父親より先に玄関をくぐる。

出迎えた母親はダイキの衣服に付いた血にぎょっとして叫び声を上げた。父親が慌てて玄関に入り、蛍光灯の下で初めて見た息子の姿に「なんじゃそりゃ!?」と突込みを入れる。

まあ、血の持ち主はシゲルなのだが…


強制的に服を脱がされながらシゲルの鼻血であることを伝えると母親は豪快に笑いだした。


「シゲちゃんかい。あの子は昔から興奮するとすぐに鼻血垂らしてたからねー」


そう言いながら握りしめたままのハンカチを渡すよう促す。すでに茶色くなった染みのついた黄色いタオル地のハンカチを見て母親はおや?と首をかしげた


「こんな気の利いたもん持ってる友達いたっけ?」

「…アオキの。忘れて帰られちまった」

「青木?」

「なんか新しい友達らしいぞ」


居間で夕食を取りながら改めてアオキの事を話す。狭い村だ。大人なら知っているかもしれない。

一縷の望みをかけていたが、両親は難しい顔をして考え込むだけだった。


「走れないほど病弱な子ってこのあたりにいたかしら…」

「……あ、一人いるんじゃないか?向日さんちのめんこい上の娘。」

「馬鹿、男の子じゃないし、そもそもあの子は日の下に出るのも無理なはずだよ。家もこっち方面じゃないし」

「だよな。考えて見りゃあの子今…」

「しっ、その話は今はいいの、アンタ脱線ばっかり」

「ムカイ?」


ダイキは首をかしげる。ソレをみて母親は盛大な溜息を吐いた。


「あんたも本当に興味ない事は知らないんだね。アンタのクラスのひまわりちゃんよ。」

「ああ!ヒマワリか。アイツ苗字ムカイっていうのか。」

「……どうしてこんなバカに育っちまったんだろうねえ…」


頭を抱えた母親は近くのチラシを引き寄せて「向日葵」と書いた。


「あの子は「むかい あおい」ちゃん、ヒマワリって漢字が向日葵と書くから大人たちからひまわりちゃんって呼ばれてたのをアンタたち子供が真似始めたんだよ。覚えてないのかい?」

「全然…つーか俺が探してんのはアオイじゃなくてアオキだ!あんな髪が長くて幽霊みたいな………大人しい奴じゃなくて男だっつーの」

「分かってるよ。でもアオキくんも聞き覚えが無くてね…」

「…………。」


ダイキは箸をおいて俯いてしまった。せめて安否さえ確認できればこの罪悪感から逃れることが出来るのだが…


「…珍しいな、ダイキがこんなに友達のこと心配するなんて」

「まあでも、毎日向日葵畑にいるんでしょ?それならきっと明日も来るよ。明日向日葵畑の山田さんにその子の事きいてあげるから今日は寝なさい。」


言われるがままに風呂に入り、床に就いた。夕方とはいえ真夏の空の下、何時間も人探しをしたのはかなり体力を消耗したらしい。

ダイキは吸い込まれるように眠りに落ちて行った。


そして目が覚めたのは既に日が高く上った昼付近。その日もうんざりするほど晴れ、やはり蝉はやかましい。

網戸にとまったアブラゼミがジージーと声高く鳴くのを、ダイキは枕を投げつけ追い払った。


「人の耳元でぎゃんぎゃん騒いでんじゃねー!標本にすんぞ!」

「ダイキー!起きたのー?そうめん茹でたから下りてらっしゃい」


階下で母親が声を上げる

ダイキは大あくびをしながら居間へと下り、大きなザルに上げられたそうめんの乗ったテーブルの前に腰を下ろした。

既に父親はざるからそうめんを掬い上げてめんつゆに浸してはすすっている。


「そうそう、朝早くに山田さんに会ったからアオキ君の事聞いてみたのよ。」

「アオキ無事か?」

「と言うよりも、そもそも本当にアオキ君っているの?」


母親の発言に反射的にテーブルを叩いた。父親がそうめんを盛大に咽こむ


「いるっつーの!俺だけじゃなくてシゲルとか他の連中もアオキに会ってるんだぞ!」

「ちょ、ちょっと落ち着いて…。山田さんが言ったことをそのまま言うけど、とりあえずそうめんには当たらないで頂戴。お父さんが咽こんで死んじゃうでしょ」


母親が井戸端会議で向日葵畑の持ち主と話をしたところ、確かにここ1週間強、夕方によくダイキを見かけたらしい。

誰かと話をしている声も聞いている、サッカーボールが跳ねる音も印象に残っている。

しかし見かけたのはダイキのみで、他に子供などいなかったと…山田氏の目にはダイキが独り言を話しながら一人で玉蹴りをしてるように見えていた。

“そういう遊び”なのかと山田氏は特別声をかけたりはしなかったそうだ。


「は…?」

「夢でも見てたんじゃないか?最近問題になってる熱中症とかにかかったか?」


そうめんをすすりながら父親は暢気に言う

ダイキは瞬きも忘れて畳の目をただ眺める。言葉が出ない。だって実際にアオキはいた。友達もアオキと話をして、シゲルに至っては恫喝までしている。でも向日葵畑では”自分は独りだった”?


ダイキは混乱する頭でも居間に置かれている電話に向かった。

そしてシゲルの家の番号をゆっくりと押して応答を待つ。

暫くベルの音が続き、そして「もしもし」と聞きなれた声が電話の向こうに立った。


「シゲルか?俺ダイキ。鼻血は治まったか?」

「あー。あの後家に帰ったら熱があって、医者に熱射病だって言われて今まで寝かされてたよ。今親は畑だけどどうした?」

「いや、聞きたいことがあってさ、昨日俺が連れてきた男子いただろ?」

「は?」


何故か沈黙が流れる。そして暫く唸ったあと、シゲルは答えた


「あー…、えっと、悪い。熱のせいか昨日の事ぼやぼやなんだけど…」

「いただろ!?黄色い帽子かぶったチビ!シゲルが鼻血ぶっかけて突き飛ばした奴!」

「あれ?俺が突き飛ばしたのダイキじゃなかったっけか?…や、本当ごめんな、あんとき絶対頭おかしかった。すっげー頭ぐるぐるして…あん?もしもーし!?」


ダイキは受話器を持ったまま腕をだらんと下げ、そのまま宙に視線を向けている。

頭を殴られたようなショック。彼は電話の向こうで応答を求める友の声に応える事が出来ず、脆くひびが入った石のように硬直していた。

見かねた母親が受話器を取り上げて余所行きの1オクターブ高い声で受話器に声をかける


「ごめんねー。ちょっとダイキ昨日から熱中症でまだ調子悪いみたいなの。…あら、シゲちゃんも熱中症?この時期怖いわねー。御外遊びもいいけどたまには皆日陰で休むのよ?……え?用事?………ええと、ダイキ昨日落し物拾ったんだけど熱でどこで拾ったか覚えてないみたいでねー。落した子も見たらしいんだけど校庭だったか帰り道だったか何処で見たか忘れちゃったから、もしかしたらシゲちゃんと一緒の時かな、って。…そっかーじゃあダイキ寝てる間に記憶がごちゃごちゃになっちゃったのね。ありがとう。お大事にねー」


母親は受話器を置いた。やれやれとため息を吐く。


「…大人ってやーね。嘘がぽんぽん浮かぶわ」

「俺としてはその電話声を結婚前にずっと維持していたお前が”やーね”だ。」

「騙される方が悪いのよ。ダイキ、固まってないでそうめん食べちゃいな。夕飯はあんたの好きなからあげにするから栄養つけなさい。」

「ちっ、ダイキばっかり羨ましい。たまには俺のクサヤ焼いてくれよ」

「お父さんはちょっと空気を読みなさい。」


母親に肩を抱かれながら食卓にダイキは座った。


「……おふくろは、俺、嘘ついてると思う?」


未だに焦点の定まらない瞳で尋ねる。

隣に座って肘をついてダイキを見つめる母親はよどみなく答える


「あんたもお父さんも嘘つくときの癖が分かりやすいからね。嘘ついてるとはこれっぽっちも思ってない。ただアオキ君が居るかは分からないよ。でもアオキ君に中る誰かは間違いなく“いる”。母さんは幽霊とかお化けとか否定しない心情だからね。」


母親は真新しい黄色いハンカチをダイキに渡した。


「次から血が茶色くなる前に持って帰って来なさい。落ちないから似たようなのサッと買って来たから、また会えたら謝って返すのよ?そこからは…うん、もう遊ばなくてもいいし、ちゃんと毎日家に帰って元気にしてられるなら遊んでいい。自分が納得するようにしなさい。」

「……ん。」


ダイキはそうめんを黙って啜り始めた。



空が赤らんできた頃、ダイキはハンカチを握りしめ向日葵畑に向かった。

そしていつもの場所へたどり着き、周囲をうかがう。勿論アオキを探しているのもあるが、一人で騒いでいると思われているならばあまり向日葵畑の山田に見られたくない。


アオキは…まだ来てはいない。いつもならとっくにいる時間なのだが…

ダイキはいつもの木に寄り掛かって地面に座った。夕方の風に木陰が身体を冷ましていく。


向日葵の黄色、木の緑、空の青と赤のグラデーション、そして雲の白…悲しい程色鮮やかで…


「なんか…遠いな。こんなに近いのに」

「ひぎゃッ…!?」


踏みつけられた猫のような声を上げて人影が走り去る。その後ろ姿…黄色い帽子が目に留まった瞬間、反射的にダイキはソレを追いかけた。

彼らは向日葵畑を抜け、木々に囲まれるうっそうとした山道まで走り…


「体育だけは5の俺を舐めんなよ…!」


ようやっと追いついて細い手首をつかむ。観念した黄色い帽子は、呼吸を荒げながらその場にしゃがみ込んで、胸をおさえた


「え!?わ、悪い…!」


発作でも起こしたのかとダイキは手を放す。こういう場合はどうすればいいか分からない。大人を呼ぶべきか、彼を大人のところに連れて行くべきか…


「こ…ん……、な…、走った……の、うま、れて……初めてかも…」


ダイキの心境とは対照的にアオキは青白い頬を薄いピンクに染めて、苦しそうなりに笑っていた。その表情をみたダイキは脱力してしゃがみ込む。


「お前…走れんじゃん…」

「走れないとは…言ってないよ…」


道脇の地面から露出した木の根に腰かけ直してアオキは言った。


「そもそも心臓の病気とも言ってないよ。身体が弱くて体力がない、とは言った」

「へ?」


素っ頓狂な声を上げ、今までの会話を思い出せるだけ思い出してみる。確かに明確に言われたことは無かった。


「あー…、ん?アレ?じゃあ俺何でそんな勘違いを…」

「…………そういう子を知ってるんじゃないかな?」


アオキは膝を抱えて俯く。一瞬…机の上に本を開き、窓から入ってくる風を受けながら窓の外を眺める誰かの後ろ姿が脳裏をよぎった。だが…誰だったか思い出せない。


「ねえ、何であそこで待ってたの?」

「いつもの事だからいると思った。」

「そっか…。お化けに会いに来たの?」


ダイキは目を丸くしてアオキに顔を向ける。その話は、家でしかしていない。


「…このままお化け扱いしてもらおうかな。それなら夏休みが終わるころにはダイキは僕の事を忘れて…」

「…だあああああああああ!!!!」


違う、そうじゃない。しかしアオキを傷つけず伝える適当な言葉が見つからない。

散々頭を掻き毟った挙句、ダイキはアオイの腕を掴み手のひらに乱暴にハンカチを叩きつけた。


「その話の前にこれだ!返すからな!いや、本物は血が落ちなかったけどさ!」


黄色いハンカチ。向日葵色のハンカチ。

アオキが開いてみて初めて気づいた。向日葵の刺繍が入っている。男子が持つには少々恥ずかしい柄だった。


「おふくろ…!」


顔を覆って嘆く。まあ確かに黄色くて男子向けのハンカチなどそう簡単には見つからないだろう。それにしたって何故ヒマワリなのかと…


「何で、わざわざ買ってまで返しに来たの?お化けのものだよ?」


ハンカチを胸に抱いて、正面を向いたままアオキは尋ねる。

お化けと言う単語に神経を刺激されたダイキは吐き捨てるように言った。


「お化けだろうが友達の持ちもん借りパクはだめだろ」

「ともだち…」


ともだち、反芻する。沈黙が訪れるこの空気の中でヒグラシが遠くで音を奏でる。

遠くを眺める正体不明の友人の横顔を眺めていると視界にノイズが走る。今まで無かった事だ。何故――

しかし思考にもノイズが入り込む。分からない、考えようとすればする程、太陽が邪魔をする…。


最中、友の瞳から雫が滑り落ちた。

その光景に瞬時にノイズを振り払ったが、今までの人生、泣く友人を慰めたことなど無い。ましてや、何故泣かれているのかも…


「おま!?俺、なんか変な事…!?」

「……ううん。違う、違うの…ごめんね…」


アオキは膝を抱えて俯き、今しがた返されたハンカチで目を拭う。


「…ともだち、だよね……本当にダイキ君は、優しいね…。」

「何処がだよ…。」


ううん、そういうところだよ。とアオキはハンカチを握りしめ、立ち上がった。

振り返った表情に涙は無かった。


「ダイキ君って、黄色好きだよね!」


唐突に笑いかけたアオキ。

特に好きなわけでは無い、と答えるのも何か違う気がして目を逸らして黙っていると…


「ありがとう。決めた。忘れられちゃうの嫌だし、お化けじゃなくて人間にしとく」


アオキの表情に花が咲く、しかしダイキの心は対称的に曇って行った。

もう、彼は泣いていないのに、何故不安になるのだろうか…


「…そ、そうだ!明後日祭りあるだろ?一緒に夜店行こうぜ。夜なら涼しいから親にも文句は言われないだろ?太鼓も教えてやるから…ほら、昨日のお詫びって事でさ、皆で遊ぼうぜ?な?」


直前まで祭りの事など頭になかったが、口から先に言葉が紡がれた。気持ちがやけに焦る。考えるほどノイズは大きくなるが、邪魔をされるが…痺れる舌でもそれを言わないといけない気がした。

遅れて立ち上がってアオキの腕を掴む。手ごたえは確かにある。白い腕を掴んだ手ごたえは間違いない…


しかし少年は一歩後ろへ下がって首を横に振った。


「……明後日は、駄目。」

「何でだよ…!お化けじゃないなら、大丈夫だろ…?きっと、山田の爺さんはお前が小さくて見えてなくて、シゲルは、本当に暑さにやられてお前の事覚えてないだけなんだろ?じゃあ祭りで大人の前で騒いで、登校日にはアオキが結構元気だって村中の噂にしてやろうぜ?村の子供として有名になるんだよ。だから…」


我ながらみっともない、しかしアオキは首を横に振るばかり。


「人間にしとくから、駄目。無理。」

「意味わからねえよ!分かる様に言ってくれよ…」

「……多分明後日とか、明々後日には分かるよ。」

「今がいい。」


ダイキは俯いた。背伸びをしたいこの年頃、駄々などこねたくないのに…独りで夜を過ごすような不安が独り歩きしている。

その姿を見て、おそらくアオキは困っていただろう。言葉を選ぶかのように返答がワンテンポ遅れている。


「…ごめんね。私から言いたいけど、きっと僕も上手く話せないから…だから……、その…これしか言えない。私もう、いかなくちゃ」

「………。」


結局はぐらかされたか…増大する不安を押し込めてダイキは小さな少年と距離を取る。

これ以上、みっともない姿は見せたくない、見せちゃいけない。


「……明日また畑に来るか?」

「………言えない。」

「もうお前と遊べないって事か?」

「…………う、ん。」


ダイキは目頭を乱暴に拭って、ネットに入ったサッカーボールを突きだした。


「お前のボールはボロすぎてまっすぐ飛ばないんだよ!だからこれで練習しろ!上手になったら返せ!」

「返せないかもしれないよ?」

「そんならそれでいい。新しいの買ってもらうからな!」


ふん、と鼻を鳴らして去勢を張る。その姿を見たアオキは柔らかく微笑んで


「ありがとう。」


ボールを受け取る。

それを確認したダイキはくるりと自宅の方へと踵を返した。


「これ以上一緒にいると聞きたいことが増えちまう。どっちにしろお前帰る時間だろ。」

「うん、もう、いかなくちゃ。」


再び沈黙、そして、あの、とアオキは紡いだ。


「これだけは言わなくちゃいけないと思う。」

「…言わなくていいぞ。」


ふてくされた声でダイキは振り返らず吐き捨てる。それでも、黄色い帽子を被った子は…言の葉を送る


「さよなら。」

「ま、た、な!」


振り返れば…もう居なかった。風に隠されたのか…いや、向日葵に隠された。と言うのが正しいだろう。

それが、アオキに会えた最期の日だった。


翌日は、待てども暮らせども彼は現れなかった。ダイキの母親もアオキと言う子供かそれに近い存在を近所の人間にそれとなく尋ねるが、誰も彼を知らない。

更に翌日…ダイキは布団から体を起こし、祭囃子を遠くに聞きながらあの言葉を思い出す。「多分明後日か明々後日には分かるよ」と。

今日が「明後日」だ。

目を擦りながら階段を下りて居間へと入ると、ハッピを着て手拭いを巻いた父親と、いつもの格好の母親がちゃぶ台を挟んで座っていた。

…だが、雰囲気がいつものソレでも、祭りのソレでも無く…


「何かあったのか?」


子供でもそんな言葉を滑らせるような重苦しい空気だった。

我が子の声を聞いて母親は振り返る。その目には…11年生きていて一度も見たことがない、涙が溜まっていた。

心臓が奇妙な拍動をしたのを覚えている。

しかし母は…


「おはよう。なんでもないよ。アンタのハッピ出してくるからね」


席を立とうとした。

我に返ったダイキは脇をすり抜けようとした母親のエプロンの腰紐を捕まえ


「何でも無くないよな!?なんで…」


―--明後日は、駄目。


同時進行で映画でも見ているかのようにあの日の記憶が再生される。


―---お化けじゃなくて、人間にしとく。


思わせぶりな、意味の分からない言葉を並べていたアイツの態度…それが今の母親の態度と重なって…


「何で俺ばっかり除け者なんだ!!!」


恐らく不要なほどに大声で叫んだだろう。ハッピを着ている父は沈痛な面持ちで頭を抱えている。

全く、今日という日に会わない空気…これは壊して赦されるものではない。


「…そうだね、子供だからって黙ってるのもダイキに悪いね。」


母親はゆっくりと言葉を紡いだ。ダイキに視線を合わせ、いつもの肝の座った声はどこへやら、小さく震える声で


「母さんね、アオキ君が誰か分かっちゃった。」


その言葉にどれだけ心臓が跳ねたかは筆舌に尽くしがたい。

しかしダイキがどれだけ教えてほしいとせがんでも母親は答えなかった。

業を煮やして母親の肩を揺さぶる。ソレでも母親は俯いて…


「…そう、アオキ君が誰か分かったけど、母さんもウン十年前は女の子だったから…あの子の気持ちを考えると、ダイキには自分で思い出してほしいの。」

「思い出すって…俺はアイツとは会った事無くて…」

「ある。」


母親はぴしゃりと言い切り、居間の隅にいつの間にか置かれていた何かを、ダイキに手渡した。


それは、野球帽だった。黄色い野球帽…そう、ここ数週間、夕方には毎日のように見ていた…


「アオキの帽子…!?」

「いや、アンタのだよ。」


そう言われ、促されて帽子を観察する。帽子の裏にはつたない字で「4年 さとう だいき」と書かれていた。

そうだ。去年はこの帽子を自分が被っていたんだ。確か街に行った時にどこかの店で買ってもらって…すぐに失くして―-

いや、失くしたんじゃない。誰かに貸したか、あげた…ああ、そうだ。あの時は確か―---


―---ダイキ君、黄色好きなの?


そう”あの時も”言われた。神社の参道脇石造りのベンチに横たわる少女に…青白い肌に黒い髪がこの世のものでは無いのかと錯覚する美しさのあの子に…


「あ、ああああああああ!!!!!!!」


ダイキは全てを思い出し、帽子で顔を覆って蹲った。

最初から知っていたんだ。この帽子も、あの白さも、笑顔も、横顔も…隠されていたのは、いや、誤魔化されていたのは声と性別だけだった―-!


「あの神社に…!」


そう、この帽子をあげた神社に…と考えて思いとどまる。

何故、これがうちにあるんだ?だって、何も無ければ彼女が持っているはずだろう?


「ッ―-ヒマワリの家に行ってくる!親父チャリ貸してくれ!」

「後悔するぞ」

「多分行かない方が後悔する!」


ダイキは鉄砲玉のように走り出していった。

残された夫婦はその名残を見送っている。


自転車で村を駆け抜けた道のりは覚えていない。何度も小石に躓き転びかけたのは覚えている。今思えば自転車ごと空を跳んでもおかしくないバランスの崩し方もした。それなのに転ばなかったのは…本当に不思議としか言いようがない。


そして、村の建物にしては新しい一軒家にたどり着いた。向日という表札を確認して、震える手でインターホンを押す。

家の者が出てくるまでの間…黄色い帽子を握りしめて息を整える。

玄関が開いた。出迎えてくれたのは…ヒマワリに何となく似た黒服の女性…ヒマワリの母親だった。


「どちら様…?」


沈み込んだ声が問いかける。

ダイキは息を呑み、そして一息に言った。


「ヒマワリのクラスメイトのダイキです!えっと…コレ、返しに来ました!」


黄色い帽子を突きつける。その帽子を見てはっとしたような表情をした女性は、ダイキを家に招き入れた。

冷房の空気だろうか。玄関を入ってすぐの廊下はなんとなくひんやりとした空気が流れていた。


「君が…アオイの言っていた“木の御使いさま”ね」

「みつかい?」

「……その帽子、荷物の整理をしていたら見つけたの。貴方の名前があったからお母様に返したんだけど…お母様からどこまで聞いているかしら…」

「親父は…ここに来たら後悔するって言ってた。この帽子が帰ってきて、おふくろが泣いてた…アオキはもう逝かなくちゃって……だから、多分、そういう事なんだろうって思って来ました」

「賢い子なのね…それならアオイに会ってあげて。眠っちゃってるけど、写真はあるから…。」


通されたのは和室の一室。

いつかの学校行事で撮ったであろうヒマワリの写真が黒額縁の写真立てに入れられ、飾られている。

その周りには花や缶詰、果物、人形何かが雑多に飾られていた。

そして、手前には白い長方形の箱…両脇に蝋燭が灯っていた…

かなり昔に自分の祖母が亡くなった時の光景に類似している。やっぱり、予想通りだった。意味とか理屈とかそう言ったもの抜きに、この風景を見るような気がしていた。


涙が頬を伝う。


「病気が…悪くなったんですか?」

「ええ、夏休みに入ってすぐ入院して…あの子も頑張ってたのよ。けど、一昨日の夕方あたりに『満足できた』って眠り始めて…昨日の夜中に……」

「だから一緒に祭に行けなかったんだな…あの、」


涙を拭って、帽子を母親に差し出す。


「これ、去年ひまわり…アオイにあげたものなんです。だから返します」

「ありがとう…コレお棺に入れてもいいかしら?」

「うん、俺よりアオイの方が似合うから…。」


帽子を受け取ったヒマワリの母は静かに棺の蓋を開ける。

アオイ、良かったわね。と中でねむる彼女を撫で、帽子を胸の上に置いた。その様をダイキは後ろから眺める。

彼女はいつ髪を切ったのか、アオキのようにショートヘアになっていた。それで、途端に現実味が増したのか、彼はしゃがみ込んで泣き出してしまった。声をあげて、息がつまる程に―-


暫く母親と共に泣き、落ち付いたところでリビングに通された。

氷の入ったオレンジジュースを出され、どうぞと促される。


「…良かったらあの帽子をあげた時の話をしてくれないかしら。ここ数週間すごく不思議なことが有ったのは知ってるの。それも、出来れば……」

「……去年の暑い日、確か登校日だったと思う。俺は夏休みに買ってもらった帽子を自慢したくて学校に被っていって、帰りは家に帰らず遊びに向かって…。それでどっかの道でしゃがみ込んでるヒマワリをみつけました。」


つややかな黒髪は背後から見ても彼女と分かるそれで、声をかけたら眩暈がして胸が苦しいと言う。周りに大人はいない。

どうすればいいのか狼狽しながら尋ねると「あっちで休む」と進行方向を指さした。

それならばととりあえず日よけに自分の帽子を被せて、背負って行った先が、名も無き神社だった。

鬱蒼と木々が生い茂り、中天の日が射すその時でも太陽を遮り、風は冷たく、石で造られたベンチは外界の熱を祓うような、およそ夏から断絶された世界。

その石のベンチに彼女をおろすと、しんなりと枯れた草のようにベンチに倒れ込んだ。

それがひんやりして気持ちがいいんだろう。荒い呼吸をしながらも目を閉じ、覇気のない声で「ありがとう」と言った。

その後は一人置いて帰るわけにもいかず、神主も見当たらず大人に頼ることもできず…。

境内裏の湧水を水筒のコップに汲んで来てひまわりに渡して、以降はただ、傍にいた。


「ダイキ君、黄色好きなの?」


幾分気力が戻ってきたのだろうか、目をうっすらと開いて唐突に尋ねた。

恐らく自分に被せられた帽子を見て思ったのだろう。

正直黄色が好きで買ってもらったわけでは無い。売り文句が「幸せを呼ぶ」だったからだ


「……幸せを呼んで元気が出る色なんだってさ。」

「元気…。いいなあ…元気。」


少し、同情したことを覚えている。こいつは日の下で走り回ることもできないんだと。

だからではないが…


「じゃあ、ソレやるよ。一応お守りみたいな事書いてあったし」

「……でも、コレお出かけの思い出、でしょ?」

「いいんだよ。俺は物をよく失くすから。そういう事にしとく。」

「やさしいね…ここの木みたい…」


そこまで言ってヒマワリは再び目を閉じた。あいかわらず青白い顔色だが安らかに呼吸をしている。

急に眠り始めてしまったことで動揺したが、タイミングよく神主が帰宅、ここでよく眠っていることを伝えて後を神主に任せ、その場を去ったのだった。



「…そっか、アオイも急にあの帽子を持ち帰って来て、どうしたのって聞いても『木の御使いさんがくれたの』って…自分の病気を理解してから何でも神様に繋げるようになっちゃったから、情けないことにあまり分からなかったけど…そうなのね。日陰に連れて行ってくれてありがとう。」

「でも俺忘れてて…結局、アオキに会っても気づけなかった」


ヒマワリの母は優しく首を横に振って、黄色い可愛らしいノートを差し出した。


「あの子が入院してから書いたものなの。最期に『御使いさんが来たら答え合わせに見せてあげて』って」


御使いってなんだ…と首をかしげつつページを開く。


7月○日

今日から入院することになりました。心臓の具合がちょっと悪いんだって。

自由研究は入院日記にすることにしました。かんごふさんに色々聞いてみたいと思います


最初の数ページは病院食、点滴、他の治療、自分の病気について聞いたことが書かれていた。

毛色が変わったのは8月に入ってからだ


8月1日

聞いちゃった。先生とお母さんが話してるの聞いちゃった。

長くないんだって。死ぬって事かな…


8月2日

かんごふさんも何も言わない。

物知りなかんごふさんなら聞いたら答えてくれるかな?死んだらどうなるの?今付けてるさんそもいらないの?

歩いたら苦しくなるのも無くなるのかな。


8月3日

聞いてみた。すごく困った顔をされた。

うーん。どうなるか分からないとこわいよ…本なら書いてあるかな?


8月4日

図書室で本をさがしたけど、天国に行くとかしか書いてなかった。

行き先は知ってるよ。でも、もうお母さんとお父さんとヤヨイに会えなくなるのはさみしいな。

いつでも会えるのかな?でもおじいちゃんもおばあちちゃんも会いたい時に会えないね。

死にたくないな。けど神様に嫌われた体もヤダな。


あ、私が嫌われてるから天国にもいけないのかな…わたし、どんなわるい事したんだろう。


8月5日

神様って言う人がゆめに出てきた。「じゅんすいむくなたましいよ、われにつかえよ」って言ってたけどいみが分からなかった。

むずかしいって言ったら「私は君を嫌っていない。私の御使いになりなさい。御使いになれば家族にも友にもいつでも会えるし話ができる」って

私を嫌いじゃないって本当に神様かあやしくて、その声に聞いちゃったんだ。

そしたら「ならば、つかのまの君の夢を叶えてやろう」って言った。おねがいを考えてるうちに目がさめた。

もし、本当に神様なら、外であそびたいな。叶えてくれるかな。


8月6日

凄くびっくりしたの!

夕方におひるねしたら、気が付いたら神社にいたの!

跳ねても苦しくないし、走っても目が回らないの!

けどね、空き地であそんでたみっちゃんに「入れてー!」って言ったらかおが真っ青になってた。

トメおばあちゃんもお化けを見たみたいなかおをしてた。

「アオイちゃんは入院してて動けないのにあんたはダレだい!?」って。アオイだよって言っても信じてもらえなかった。

けっきょくあそべなかった…私のままじゃあそべないんだね。ヤヨイとお父さんに会いに行くゆうきは出なかったよ


8月7日

今日もおひるねしたら神社に行けた。また苦しくない。

でもこのままじゃあそべないよってお空に向かって言ったの。そしたら空から御使いさんから貰った帽子がふってきたの。

「お守りをわたそう」って声が…ふってきた?ふってきたっておかしいよね。でもおちてきたの。

かぶってみたらね、ふしぎなの。声が私の声じゃないし、小さいころにしゅじゅつしたあとも消えちゃった。なんか、男の子になったみたい。

何で男の子になったの?って聞いたら「男子へのあこがれがあるようだったから」って言われた。

たしかに、みんな元気にこうていで走り回ってるからうらやましいって思ってたけど、このかっこうで、ゴムとびとか、なわとびとか入れてって言っていいのかな?


それからね、昨日私が村にいたことはみーんな忘れてるの。ゆめだから?

ゆめだけどおひるねからおきたら帽子がまくらもとにあったんだ。変なの。


8月8日

今日は村中をさんぽした。

暑かったけど苦しくないってやっぱりステキだと思う。

そういえば私、外であそんでる友だちが何してるのか知らなかった。だからいっぱい見て回ったよ。

だがしやさんもお金がなかったから外から見ただけだったけど、おいしそうなおかしが、たくさんあった!

あの小さいカップラーメン、しょっぱいから食べちゃダメって言われてたけど、このゆめの中ならいいかな?

お金持って行けないかな?


8月9日

売店でおりがみを買ったおつりをもってねむってみた。そしたらお金持ってこれたよ。

ラーメンとか酢イカとかメロンの形をしたアイスを買った。凄くおいしかった!でも酢イカはあんまり…

しょっぱいっておいしいんだね。お母さんも、病院のごはんの先生も、しょっぱくないおいしいご飯作ってくれてるよ。

でもしょっぱいのおいしかった。

おきたら持ってたお金がへってたのはざんねん。


8月10日

男の子の私のことも次の日になったらみんな忘れてるみたい。さみしい。

散歩してたらだいっきらいなヒマワリ畑に着いた。でも今は私はヒマワリじゃないからかな?きれいだと思ったよ。

そしたらね、すみっこにサッカーボールが落ちてたの。

ためしにけってみたけど、まっすぐとばないし変なとこに跳ねて行っちゃう。むずかしいんだね、サッカーって。

木をねらってける練習してたら御使いさんがいてびっくりしちゃった。

いつもサッカーしてる御使いさんはポンポンポンってカッコよく私にボールを返してくれた。

でもうまく受け取れなくてボールを追いかけてるうちに目がさめちゃった。お友だちになれないかな?でも明日にはわすれちゃうよね


8月11日

ヒマワリ畑までの道が分からなくて、着いたの夕方になっちゃった。

昨日拾おうとしたボールを拾って、おぼえてないんだろうなって思いながら待ってみた。

帰り道なんだって。会えたんだよ。しかも私のことおぼえてたの!

うれしくて、うれしくて、いっぱいお話しようと思ったんだけど、うれしすぎたのかな。目がさめちゃった。

そばにいたお母さんが「いいゆめでも見た?」って言うぐらいニコニコしてたんだと思う。御使いさんとお話が出来たって答えたら「良かったね」って言ってくれた。

夜のゆめでも村に行ければいいのにね。


8月12日

「またいるじゃん。」って声かけてくれた。

今日は起きないようによろこびすぎないように気を付けたよ。

あと、私がアオイってばれるのが何かはずかしくて、がんばって男の子のマネしてしゃべった。

サッカー好き?って聞かれて、ずっと教室から見ててきょうみがあったからウンって頷いたの。

男の子のマネってむずかしいよ。あんまり私の方からおしゃべりはできなかった。


8月13日

さいきんねてることがふえたねってお母さんに聞かれた。

だってここにいるより村にいる方が楽しいんだもん。

何してるの?ってきかれたからサッカーって言った。そういえばきがついたらサッカーボールが部屋にあったんだよね。

空気ぬけててベコベコなの。でも空気の入れ方わかんないや。


8月14日

また来てくれた。

こうていに来ればいいのにって御使いさんは言うけど、皆は私のこと忘れちゃうよ。だから行けないの。

でもなんで御使いさんは覚えてるのかな?すっごくうれしいよ。うれしいけど分かんない。

御使いさんだからって思ったけど、私がそう思ってるだけで本当の御使いさんじゃないもんね。大樹君って漢字、覚えたんだ。

大きな木って意味だって。神社に連れて行ってくれた時はこもれ日でキラキラしてた。名前がステキだから木の神様に愛されてるんだろうなって、思ったんだ。

私の名前は、名前負けって言うの?お日様みたいに明るく元気になりますようにって付けてくれたんだけど、おねがいとどかなかったよ。ごめんね。


8月15日

名前聞かれちゃった…。学校に男の子の私が見つからないって。ウソついちゃった…蒼樹が自分の名前ってことにした。

蒼は草みたいな色。樹は…かりちゃった。ごめんね。でもヒミツ。



8月16日

校庭に行ってみた。男子が楽しそうにサッカーしてたよ。

みんなであそべると思ったのに、シゲル君に「うつるびょうき」って言われちゃった。うつんないよ。でもなんでシゲル君の具合が悪くなったのかな。御使さんって、人を具合悪くする仕事なのかな。そんなのお化けだよ。

神様は「そうじゃない」って言ってくれたけど、「夢のような存在だから誰とでも会えるしどこにでも行ける」って言ってた。

そっか、わたしが夢になっちゃうって事なんだね。


8月17日

おひるねがこわかったけど、苦しくてうごけなくて、お薬もらったらねちゃった。

ダイキ君が待っててすごくびっくりして逃げちゃった。すぐに追いつかれちゃった。

友だちって言ってくれた。初めて一緒に遊んだ友だちができた。うれしい。

忘れられちゃうのいやだ。たぶん、御使さんになったら今日のことも忘れられちゃう。今日の思い出で、一人で天国にいくのも怖くないよ。

神様に伝えたら、「ざんねん」って言ってたけどなんだか嬉しそうだった。


8月18日

お母さんにはもう満足だから大丈夫だよって言ったけど、ぜーたくなんだけど、アオキはわたしだよって伝えたかったな…きづいてくれるかな。

すごくねむいけどもう夢見られそうにない


だんだん筆跡が震え崩れていった日記。最後のページは字は薄く、末尾は読み取れなかった

つまりは少年は、一人の少女の夢を叶える事ができたらしい。


「最期はいつの間にかあった…貴方がくれたボールを抱えて逝ったの。ちょっとそう言うわけだから…ごめんね、返せなくて」

「…いい。俺は物をよく失くすから。でもヒマワリとの思い出は忘れないようにするって、決めた」


ヒマワリの母は深く頭を下げて、肩を震わせている。嗚咽まじりにありがとうと呟いた。


「…あの子に最高の思い出をありがとう」




よくある石造りの墓に花を添え、線香を炊いて語りは終わる。


「…ねえ、そのヒマワリちゃんの事、好きだったの?」


蝉時雨を縫う風が女のスカートを揺らす。

木々が茂った山の中の墓地はいくらか夏の暑さから遠ざけられていた。

男は苦笑…と言うよりも失笑する。


「…この話聞いて俺の正気疑う前にソレか」

「いいから、いいからー!どうだったのよ?初恋だったんじゃないのー?」


男の傍に蹲み込んで顔を覗き込む。無表情に近いソレの瞳が僅かに泳ぐ。


「……アイツは女子の中でも俺から一番遠い位置にいたんだぞ。…まあ、よく目が合うな、とは思ってた」

「お互いよく見てたって事ね」


クスクスと女は笑う。居心地の悪くなった男は墓の前から立ち上がり、バケツやら線香の屑やらの片付けを始めた。

女は爽やかな風に吹かれながら、向日家ノ墓を眺めている。


「…初恋成就してたんじゃん。良かったね。姿が変わってても気付いてくれるって、もはや愛じゃん、愛」

「おい、もう帰るぞ、ヤヨイ。」

「いやーまさか日記の内容までしっかり覚えてて気付かないなんて、眼中にないことは本当に鈍いわ。落とせるかしら…。」


やれやれと立ち上がり、小走りで男を追いかけると、ふと、胸ぐらいの背の高さの

子供が元気よく走って追い抜いたような、そんな陽炎をみたような気分になった。

女は腰に手を当て、やれやれと笑う。


「お盆だもんね。お帰り、お姉ちゃん」


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