50.出発
イルビス家から協力をもぎ取ってきたアレンが計画を説明をしにシエールへやってきた。
「アーガン家には敢えて先触れを出さずに向かう。通してもらえるかは賭けだが、こちらは平民二人だ。奴にとって危険もないし、ディアナの顔を見たら話くらいはしてくれるだろう。もし門前払いをくらったら、日を改めてまた訪問する。それでも駄目なら最悪忍び込んで直接アーガン公爵のところへ行く。」
表向きはクラウディアとアレンだけがアーガン家を訪問し、イルビス家に囲んでもらうようだ。
アーガン側に気づかれないよう、イルビス家に仕えている影がクラウディアとアレンについてくれるという。そして護衛隊が外にバラバラに控え、影の合図によりいっきに突入する算段になっている。
「だから、俺たちがすることは、アーガンと話すこと以外ほぼない。危険があると判断されれば、影が出てきて助けてくれる。ディアナは、アーガンと話すことに集中してくれればいい。」
「…わ、わかったわ…」
クラウディアは呆気にとられていた。今日は協力を得ることができたかどうかの報告のみだと思っていたからだ。それなのに、アレンはイルビス家の協力を得られたことに加え、ここまで詳細を詰めてきていた。
まだ状況の整理をしきれていないクラウディアは、その後もアレンの説明についていくのに精一杯だった。
ひと通り説明を終えたアレンは持っていた手帳をパタンと閉じた。
「流れはこんなもんだ。大丈夫そうか?」
「…えぇ。足を引っ張らないように努めるわ…」
そう答えながらクラウディアはやっと頭も気持ちも追いつくことが出来、息を吐いた。すると不意にアレンと目が合う。アレンは目をそらさずクラウディアをじっと見つめてきた。その意図がわからず、クラウディアが促すように見つめ返すと、アレンは口を開いた。
「何度も聞くが…本当にいいんだな?」
「え?」
「奴と会うこと。」
「……」
「このまま何もせずとも平和に過ごせるんだぞ?」
「…そうね。」
怖くないわけではない。身体も心も危険にさらされる可能性も高い。しかし、もうとっくに決意は固まっている。
「でも行くわ。それに、今の幸せを捨てに行くわけではないでしょう?」
そう言ってクラウディアは肩をすくめて笑ってみせ、それを見たアレンの表情も和らいだ。
「そうだな…必ず、戻ってこよう。」
その後、決行はひと月後だと聞かされた。
「俺はその間王都に滞在予定だから、向こうで合流しよう。場所は…」
アレンが指定した場所を説明していく。
「で、合流はなんとかなるだろう。問題は王都までの道中だが…ディアナが一人になってしまうから、」
「あら、私は平気よ?」
「いや、だから…」
アレンが言いかけたとき、二人の背後から声がかかった。
「あたしが一緒に行くよ。」
その声に振り返ると、マーシャが立っていた。
「マーシャさん…?」
「王都までは、あたしが一緒に行く。」
「え?」
「そう、王都まではマーシャさんと行ってくれ。」
「え…え??」
どうやら決定事項のようで、マーシャとアレンは頷き合っている。クラウディアの知らないところで話が進んでいたようだ。
「で、でも、マーシャさんを巻き込むわけには…」
「何言ってんだい。」
慌てるクラウディアの言葉を遮りながら、マーシャがクラウディアの肩に手を置いた。
「家族だろ。水くさいこと言うんじゃないよ。」
「マーシャさん…」
「そういうことだ。」
マーシャとアレンに優しい笑顔でそう言われ、クラウディアはなんだか照れくさかった。
「じゃあ…甘えようかな……やっぱり一人は心細いので…」
「そうこなくっちゃ!」
クラウディアが素直に同意すると、マーシャはにかっと嬉しそうに笑った。
「だが、マーシャさんには王都に着いたら宿で待機してもらう。」
「そうなの…?」
「そ。あたしは公爵家までついて行ってもいいんだがね、さすがに危険だと。ま、足手まといになっても悪いし。」
「イルビス家の息のかかっている宿だから、安全は保障する。」
「その代わり、くれぐれもディアナを頼んだよ。」
「はい、もちろん。」
二人のやり取りを聞きながら、クラウディアはやはり二人でもう話は済んでいたのだと確信し、例え自分が断ったとしてもどうにもならなかったのだと悟った。
□□□
ひと月の準備期間を経て、クラウディアはマーシャと共に王都へと出発した。
王都までの道のりは、以前一人で居たときとは違い、楽しむことができた。もちろん、これから先に起こすことを思うと、ただ楽しんではいられないのだが、一人だとずっと緊張続きで、肝心なときには疲れ切ってしまっていただろう。
マーシャが一緒に居てくれて良かったと心から思うクラウディアだった。
道中、クラウディアとマーシャはいろいろな話をした。
これまでの楽しかった話や笑い話、クラウディアがシエールに来て間もなかった時の話。そしてこれからのこと。
「ディアナは帰ったら何をしたい?」
「そうね…まずはマーシャさんのご飯とガルドさんのケーキを食べたい。」
「ははっ、とびきり美味しいのを作ってあげるよ。」
「あとは、リリィとローラとレベッカと、思いっきり買い物をしたいわ。皆でうんとお洒落して。」
「それは言い考えだ!それなら帰ってもシエールの臨時休業はもう少し引き伸ばそう。四人で旅行にでも行っておいで。」
「いいの?」
「いいさ、うちのお客様たちは、少し店を休んだくらいで離れて行く薄情な人じゃない。しっかり休んた後に、思い切り感謝を込めてもてなそう。」
「ふふ、楽しみになってきたわ。」
それはそれは幸せな時間だった。
ヴィレイユから王都までの長い旅を経て指定された宿に到着し、二人はそこで一泊した。事が終わるまで、マーシャはここに滞在することとなる。そして翌朝にアレンがそこへ訪ねてきた。
部屋に入り、改めて今からすることを確認した。三人の間の緊張感が高まる。
「あたしはもう、今からはどうすることもできないけど…」
マーシャがぽつりと呟く。不安なのだろう。マーシャには珍しく、俯いている。
少し震えているマーシャの手を、クラウディアがそっと両手で包み込む。
「マーシャさん、私は大丈夫。こう見えて元公爵家の娘、言葉の応酬では負けないわ。それに防御も出来るの、知ってるでしょう?」
クラウディアの気丈な言葉に、マーシャの震えが治まる。
「マーシャさん、この長い道中ディアナと一緒にいて、守ってくださってありがとうございました。後は任せてください。」
そして次いだアレンの力強い言葉に、マーシャは顔を上げた。
「そうだね…アレンくん、もう一度言うけど、くれぐれも、ディアナをよろしく頼むよ…!」
「はい。ディアナは、必ず守ります。」
「…ディア、気をつけてね。」
「えぇ、帰ってくるから待っていてね。」
アレンとマーシャは固く握手を交わし、クラウディアとマーシャはあたたかいハグを交わした。
□□□
「ディアナ。」
宿を出たところで、クラウディアはアレンに呼び止められた。
「何?」
「今日だけはこれを着けてくれ。」
クラウディアの手に、何かが握らされた。そっと手を開くと、そこには黒い石がつけられた小ぶりな耳飾りがあった。
「これは…?」
「見たとおり耳飾りだが、俺が魔法を発動したら、その時から周りの音を記録することが出来る。」
さらっとアレンは言ったが、クラウディアは耳飾りを取り落としそうになる。こんなもの、普通は作れない。
「こんなものまで作れるの…」
「…ほんとはそっちを外したくないだろうが…」
アレンはクラウディアの耳に視線を移す。そこには、フィンリーから贈られた瑠璃色の耳飾りが着いている。
「…その、これは緊急で、一時のものだから…」
そう言い訳じみた言葉を続けるアレンの声は、どこか切なげだった。
「大丈夫よ。ありがとう、つけかえるわ。」
「…しっかりつけておいてくれ。」
馬車に乗り込み、クラウディアは改めて記録機能付きの耳飾りについて考える。
本当にアレンは何者なのだろうか。記録魔法自体はそう珍しくないが、それを物に込めて発動をコントロールできるようにしたものなど聞いたことがない。どこかから購入したものだとしたら、平民の財力では厳しい値段であるだろう。しかし自分で作ったものだとしたら、相当な魔力量を持っていることになる。
(買ったのか、作ったのか…)
クラウディアは自分の手元へ視線を落とす。左手の薬指には、綺麗な指輪が今もはめてある。以前、アレンがシロツメクサの葉を加工してくれたものだ。それより前にも栞を自分で作っていたし、この耳飾りも自分で作った可能性が高い。ということは、アレンは相当な魔力量の持ち主なのだろう。思い返すと、実家の手伝いと言って里帰りが長引いていたこともあったし、実は貴族だったりするのだろうか…。
そうクラウディアが考えているうちにもどんどん馬車は進む。
「…もうすぐだ。」
アレンの呟きに、クラウディアの思考は一気に現実へと戻された。
アーガン公爵邸が目の前に迫っていた。