47.変わっていく
その日、クラウディアのもとにアレンが訪ねてきていた。アレンが王都で仕入れた情報を話してくれているのだ。
直接王都で聞く情報は、ここヴィレイユまで流れてくる情報よりも信憑性がいくらか高い。王都からヴィレイユまでは、距離がありすぎる。
ヴィレイユは、物の流行などの情報は早いが、政治に関しては本当に遅い。
さすがに第二王子の死という国を揺るがす出来事は早かったが、その後無事にフィンリーの送棺の儀が行われたということは、つい最近街に出た時に聞いたのだ。
送棺の儀は、その人が亡くなってからひと月後に行うのが一般的だ。フィンリーが亡くなってからはもう数ヶ月経つというのに、一向に送棺の儀の情報が流れてこないため、クラウディアは送棺の儀が行えないほどの事情があったのかと気が気でなかったのだ。
やっと入ってきた情報の中に、その時の王女の様子がおかしかったという少し心配な噂もあったが、細かい情報が人づてに聞いているうちに少しずつ内容が変わっていてもなんら不思議ではないので、真偽は定かではない。その後のアイビーの情報もないため、本人のことを知っているクラウディアとしては、きっと兄の死に取り乱してしまっただけだろうと考えている。
(アイビー様はどうしているかしら…)
フィンリーのことが大好きだったアイビーは、兄がいなくなりとても悲しんでいるだろう。大きな瞳にたくさん涙を浮かべては流したに違いない。
(エイブリー殿下も…)
クラウディアはいつも気丈な態度しか見たことがないので、エイブリーが涙を流す姿の想像は難しいが、心が温かい人だということは知っている。
クラウディアにとってフィンリーの死と同等に、大切な人達が悲しむことも辛かった。
(本当にフィンリー様は亡くなったのかしら…)
そんなあり得ないことを考えてしまうくらいには、フィンリーの死は突然過ぎる出来事だった。
だからクラウディアは、フィンリーの死について少しでも確かな情報を知りたかった。アレンが仕事で王都へ出入りすることはわかっていたので、何かわかることがあれば教えてほしいとお願いしたら、アレンは律儀に情報を仕入れてくれたのだ。
「第二王子殿下が亡くなった原因は、はっきり言って『不明』らしい。だが不明と言っても、はっきりしないだけで突然の身体の不調によるものだそうで、誰かに殺された可能性は無いそうだ。不慮の事故だとも言われているが、身体の不調の線が強い。だから街にはほぼ『病死』で伝わっている。」
「そうなんですね…」
「ただ、詳しい死因は、さすがに情報を伏せられているようで街では耳にしなかった。」
「…それはそうでしょうね。」
王族の死因を事細かく大っぴらに国民に知らせることはまず無い。
「だが、暗殺の可能性は無いという情報は確かだと思う。」
アレンが曇りのない瞳で言い切る。アレンがそう言うと、なぜだかそれが真実のような気がするから不思議だ。クラウディアの信じたいという気持ちもあるだろうが。
(それにしても…)
アレンがここまで情報を掴んでいること自体驚くべきことだ。この情報は貴族なら知っているかもしれないが、平民にまで拡がっているものなのだろうか。信憑性を疑う訳では無いが、どうやって仕入れた情報なのか少し心配になってしまう。
アレンは、商売の才や技術者としての才だけでなく諜報の才も持っているのではとぼんやり考えたクラウディアだった。
フィンリーが亡くなったことは、今でも受け入れ難いくらい悲しい。しかし、フィンリーが他者に苦しめられて命を落としたのではないことを知ることができ、クラウディアは安堵した。
(どうか安らかに…)
クラウディアが静かにフィンリーに思いを馳せていると、不意にアレンに名を呼ばれた。
「ディアナ。」
「なんですか?」
クラウディアと同じ翡翠色の瞳が、気遣わしげにこちらを見つめている。
「辛くなったら、いつでも泣いていい。」
「…っ」
アレンにそう言われ、クラウディアは鼻の奥が熱くなった。
「…あー…ほら、俺も、王都関連の仕事でずっとこの国にいる、から…いつでも来れるし…」
どんどん小さくなる語尾は決して格好いいものではないが、その不器用な優しさに、クラウディアは込み上げた涙と共に、自然と笑みがこぼれた。
「ふふ、ありがとうございます。」
「…………」
アレンが手を伸ばし、クラウディアの涙を親指で掬い取る。
「俺が、いる。」
クラウディアと同じ翡翠色の真剣な瞳が、クラウディアの胸の奥を締め付ける。
そのまっすぐな視線に捕えられ、逸らせない。だが不思議と嫌だとは感じないのだ。
「は、い……」
クラウディアはなんとか返事を絞り出した。
「…あと、」
続けて何か言いかけたアレンは、何故かふいとクラウディアから視線を逸らした。
「?」
「…その、もう俺にも敬語をやめてくれないか…?」
「!」
クラウディアが目を丸くしてアレンを見たが、アレンは隣に座っているクラウディアを見ることはせず、正面を向いたままだ。こころなしかその頬には赤みがさしている。
言われてみれば、クラウディアはアレン以外の親しい人、マーシャやガルド、芸妓たちには敬語を使っていない。その人たちと同等に親しいアレンにだけ敬語というのもおかしな話だ。
(そうね、私も平民として生きているのだし、自然なことよね…)
「そうで…そうね。じゃあこれからアレンさんに対しても敬語はやめるわ。」
そう言ってクラウディアが微笑むと、アレンも目を細めた。
「アレンさんは…」
「アレン。」
「…?」
クラウディアは話の続きをしようとしたのだが、何故か呼んだ名前を返されてしまい、わけがわからなかった。
しかしアレンの表情から言い間違いや聞き間違いではないようだ。
ますますわからず、クラウディアが思わず怪訝な顔をアレンに向けると、アレンが口を開いた。
「『アレン』でいい。」
「……、!」
一拍おいてアレンの言葉の意味を理解したクラウディアは、じんわりと頬が熱くなるのを感じた。つまり、アレンのことを呼び捨てで呼んで欲しいということだ。
「えっと、…」
急に敬称なしで呼ぶとなると、何故か敬語うんぬんよりも壁が高い気がして戸惑っているクラウディアを見て、アレンが眉を下げた。
「…呼びづらいか?」
「い、いえ、呼びづらいということはないです…あ、」
動揺して敬語になってしまったクラウディアにアレンはくすりと笑う。そして頬杖をつき、名前を呼ぶことを促すようにクラウディアを見上げてきた。
その表情がなんとも言えず、クラウディアは胸の奥を鷲掴みされたような気分だった。
「ア…」
「うん?」
「……アレン、は…、」
「うん。」
口に出してみると何とも気恥ずかしかったが、アレンの嬉しそうな顔を見るとクラウディアも嬉しくなった。
その後慣れるまで時間はかかったものの、クラウディアはなんとかアレンに対してぎこちない話し方をすることはなくなった。
それまでクラウディアが敬語になる度、敬称をつける度にアレンに指摘され言い直させられていたことは、時々様子を覗きに来ていたマーシャとガルドにも知られていて、アレンが帰ってからも二人に生温かい目で見られたクラウディアは、恥ずかしさからその日は布団を頭から被ってさっさと寝た。