44.第二王子の死
読んでいただきありがとうございます!
暗い暗い、永遠の夜の中にいるようだ。
動けない。動けない。動けない。
信じられない。少し前まで、一緒に過ごしていたのに。
(あの時は、確かにお元気で……っ)
フィンリーの訃報を聞いてから、クラウディアは誤報ではないかと、何度も何度も、数え切れないくらい確認した。
しかし、どれだけ調べても、クラウディアが求める情報は出てこない。
(本当に、亡くなってしまったの……っ?)
大切な人の死というのは、いつもなんて呆気ないのだろう。
決して、もう二度と経験したくないことだったのに。
「うぅ……っうっ……」
押さえても押さえても、クラウディアの涙は止まらなかった。
□□□
その日は、ひどい雨だった。
フィンリーは騎士団と共に視察に訪れていた。この地域は悪天候が続き、連絡橋が壊れてしまった場所だ。魔力が豊富で扱いに長けているフィンリーは、こうした急を要する修繕作業に駆り出されることは多い。駆り出されると言っても、フィンリー自ら進んで行っていることである。
最近は特にこうした事例が多かったが、この地域で漸くひと段落つく。連日の激務のためか、フィンリーはひどく疲れた顔をしていた。それでも真剣な目で壊れた橋とその周りを観察していた。
身体を打つ雨にも構わず、ぶつぶつと呟きながらどう修繕するのかを頭の中で組み立てているフィンリーに向かって、同行している騎士が声をかける。
「殿下、もう暫く経つと雨も弱まるようなので、それからにされてはいかがですか?」
「いや、早い方が良い。皆に集めてもらった瓦礫が雨で流れてしまっても困る。」
「しかし……」
「とにかくこの橋の修繕は今からする。ダンは村の人々に伝えて来てくれ。明日にはこの橋を使えるようになると。私も後で向かう。」
「殿下…」
ダンと呼ばれた騎士が何か言いたげにフィンリーを見る。この騎士は、フィンリーと歳も近く、幼い頃からの顔見知りだ。この他にもよく一緒に視察へ言っており、ある程度親しい。
フィンリーが何を言っても聞かないと分かっているダンは、ひとつため息を吐いた。
「では我々は村へ向かいますが、伝令役も兼ねて一人は残します。」
「…いや、残すのは二人にしてくれ。」
「…?」
何故か不思議そうな顔をしたダンに、フィンリーは怪訝な顔を向ける。
「何か?」
「…いえ、我々は殿下のもとに残る人数が多い方が安心ですので。」
ダンは、妥協案で『一人は残す』と言ったつもりだった。いつもなら『誰もいらない』と言う時さえあるフィンリーだからだ。二人残すという指示に少し違和感を覚えたダンだったが、人数が多い方がよりフィンリーの安全を確保出来るため、異議は無い。
「じゃあ…ドルフとコリーに残ってもらおう。」
「はい!」
フィンリーは、適当に中堅騎士と新米騎士を選び、残るよう指示した。新米騎士のコリーは、指名されたことが嬉しいのか、とてもいい笑顔で返事をしていた。
「ダンは私が行くまで村で指揮を頼む。支援物資の整理などもしておいてくれ。」
「承知致しました。くれぐれも無理なさらないように。」
「ははっ、とっくに無理しているよ。」
おかしそうに笑って答えるフィンリーに、ダンは苦笑し、頭を下げ、他の騎士を引き連れ先に村へと向かった。
「…さて。コリー、記録魔法は使えるか?」
ダン達を見送ったフィンリーは、新米騎士に声をかける。『記録魔法』とは、見ているものや聞いたものをそのまま記録として残すことが出来る魔法だ。
後で映像で大勢に共有することが出来るため、仕事の場ではよく使われる。
「はい!……しかし、まだ慣れず…そのまま全てを記録することしか出来ない上、記録を止めるのも上手くいかないのですが…」
記録魔法を初めから使える者は貴族出身の騎士だけだ。
コリーは平民出身の騎士だ。平民は魔法を家事などの日常生活以外で使うことをあまりしていないため、平民出身の騎士の新米騎士達は、練習中の魔法も多い。
それは決して平民が劣っているという事ではなく、文化の違いとして受け入れられており、騎士の訓練には、魔法もしっかりと組み込まれている。もともと魔法を使うことに慣れている貴族出身の騎士や先輩騎士に教えてもらうことで、絆を深める機会にもなっているのだ。
記録魔法が上達すると、『映像のみ』や『音声のみ』など、記録を限定することが可能だが、コリーはまだそれは出来ず、そこにある出来事をまるごと記録することしか出来ないようだ。
「それで構わない。止め方は私が後で教えよう。」
フィンリーがそう言うのを聞き、ドルフが軽く手を挙げて発言する。
「殿下、私も予備で記録しておきます。止め方も、私の方から伝えますので。」
「わかった、任せた。」
「では、記録、開始します!」
コリーが記録を始めたことを確認したフィンリーは、橋に向き直り深呼吸し、両手をかざした。
騎士たちが出来る限り集めた橋の瓦礫が、宙に浮く。その光景に、ドルフとコリーは息を呑む。
「崩れた橋が、みるみるうちに元に戻っていく…いや、元に戻るどころか、より頑丈に造り替えられているな…」
「はい…すごい…」
コリーは特に、フィンリーの魔法を間近で見るのが初めてなため、目を輝かせて橋が修繕される様子を見ていた。
「すごいだろう、フィンリー殿下は。我々も見習いたいものだが、どう努力しても同じようには出来ないところが悔しいな。」
「そうですね…そもそもの土台が違いすぎます。」
「だからと言って、鍛錬を怠る理由にはならないがな。確かに魔法はどうしても限界があるが、洗練することは出来るしな。さらに言えば剣術や体術はどんどん磨くことが出来る。我々は、こうした活動をしてくださっている殿下や、国民をしっかりとお守りするのが役目なのだから。」
「はい!もっと精進します!」
自分の背後で行われている熱い先輩後輩のやり取りに、橋を修繕しながらフィンリーはくすりと笑う。
「ではその言葉通り、これからもこの国を、国民を、守ってくれ!」
聞かれていると思っていなかった二人は、フィンリーの言葉に驚いて顔を見合せたが、すぐに向き直り即答した。
「「はい!!」」
一時間弱で、橋はフィンリーによりきれいに修繕された。
「…思ったよりかかったな…」
この呟きが、記録をとるために近くにいるコリーに聞こえていたようで、コリーが慌てて否定した。
「え!?いえ、早すぎるくらいですっ!この規模の橋を一時間で修繕するなど信じられません…!」
ちなみに、コリーの感覚が普通である。フィンリーはコリーの必死の否定に目を丸くしつつも笑いがこぼれていた。
「はは…よし、コリー、馬を連れてきてくれ。」
「え、あ…はい!」
急に指示を出され、少し動揺した様子のコリーだが、慌てつつも馬を連れに走った。
雨は先程よりましになっており、今は小雨だった。しかし代わりに気温が高くなり、蒸し暑くなってきている。
フィンリーは、珍しく息を切らしていた。その額には汗も滲んでいる。その様子に気づいたドルフが心配そうに声をかける。
「殿下、やはり体調がよろしくないのでは…」
「いや、大丈夫だ、と思う。」
「我々もすぐに村へ向かいましょう。殿下にも早く休んでいただかないと。」
「そうだな…」
「お待たせしましたー!」
ドルフとそう言っているうちに、コリーが馬を引いて戻ってきた。フィンリーは少しほっとした表情をする。
「殿下、どうぞ。」
「…あぁ。」
フィンリーは鐙に足をかけ、ぐっと力を入れ馬に跨り――
「…っ」
――そのまま反対側に落ちた。
「「殿下っっ!!?」」
騎士たちが慌てて駆け寄る。倒れているフィンリーを助け起こそうと手を伸ばしたが、その手は勢いよく空を切った。
「!?」
フィンリーの身体は光に包まれ、その場から消えていた。
□□□
「エイブリー殿下?」
執務室で仕事をしているエイブリーが、ふと手を止め顔を上げた。その様子に気づいた側近が声をかけると、エイブリーは少し眉を寄せた。
「…フィンリー…」
「?」
「フィンリーが自室へと帰ってきている。…今日は橋の修繕をすると言っていたし、まだ視察中のはずだが…」
王族同士で魔力を感知することが出来ることは王宮で働く者には知られているため、エイブリーの言葉にも側近は落ち着いている。
「そうなのですね…何故でしょうか。気になされるのであれば確認させましょうか。」
側近がそう言って手に持っていた書類を机に置いたところで、急に王宮内がバタつき始めた。
エイブリーが執務室の扉を開け顔を出し、ちょうどその場を通った騎士に声をかける。
「何があった?」
「エイブリー殿下!し、視察一行のダンから『フィンリー殿下が消えた』と知らせがきました…!『橋の修繕後、ひどく疲れた様子で、馬に跨りそのまま落馬した』と。その場にいた二人の騎士が応急処置しようとしたところ、消えてしまわれたようです…っ」
「なんと!殿下…っ」
「……」
隣で話を聞いていた側近は顔を青くしたが、エイブリーは冷静に騎士に応える。
「…フィンリーは王宮に居る。私はあいつの自室へ向かう。急ぎ医師も呼んでくれ。」
「えっ、?あ、はい!!」
騎士はバタバタと走っていき、エイブリーはそのまま早足でフィンリーの自室へと向かった。
「エイブリー殿下?どうされ…」
「開けるぞ。」
フィンリーの自室前を警備していた衛兵を通り過ぎ、エイブリーは勢いよく扉を開けた。
「っ……」
しかしエイブリーは急に立ち止まり、それ以上進もうとはしなかった。
エイブリーの様子を不思議に思った衛兵が、そっと顔を覗かせ、そしてその顔を青ざめさせた。
「…えっ、フィンリー殿下っ!?」
開け放たれた扉の間から、倒れているフィンリーが見えたのだ。
「…父と母を呼んできてくれ。あとアイビーも。」
「は、はい!!」
衛兵にそう伝えた後、エイブリーは床に倒れているフィンリーをベッドへと運んだ。何の反応も示さないその身体に、エイブリーは悟ったように悲しく言葉を投げかける。
「…フィンリー…」
程なくして医師が到着した時には、やはりフィンリーはもう息を引き取っていた。
原因は不明だった。
つまり、本当に、突然の死だった。
確かに言えることは、毒を盛られた形跡はなく、持病もなかったということ。
落馬した際の軽い擦り傷以外にどこにも外傷もないため、誰かに殺された可能性は限りなく低い。
現場に残った騎士二人は、もちろん問い詰められた。
しかし、コリーの記録魔法が停止されておらず、そのまま記録され続けており、フィンリーが転移魔法で消えるところまで残っていた。その映像があったため二人に非はなく、応急処置を行うことも不可能な状況であったことがわかり、何も罪には問われることはなかった。
考えられる原因としては、おそらく過労に加え悪天候による急激な気温変化と体温の低下等により、何らかのショックが身体に突然起こったのだろう。
いくら魔法が使えても、突然のショックには対応出来ない。
魔法は、身体を保護することは出来ても、治癒することは出来ないのだ。
「…おそらく、自らの死を悟り、村の者に迷惑をかけないよう自室へと転移したのだろう。あいつなら有り得る。」
「なんと…フィンリー殿下は転移魔法が使えたのですね…想像出来ない程の魔力だ…」
しかしどんなに魔力が強かろうが、人は決して不死身では無いのだ。
「…私たちは、フィンリーに頼り過ぎたのだ。」
エイブリーが苦しそうに呟いた。
ベッドの上で横たわるフィンリーのまわりには、王族や重役が集まっている。
錚々たる顔ぶれだが、皆その顔に表情は無い。
その部屋には、ただただ医師が報告する声だけが響いていた。
――そしてその結果を聞き、誰にも気づかれないように安堵のため息をついた者がいた。