43.平穏
クラウディアがヴィレイユに戻った翌日の昼下がり、芸妓の三人にも再会した。
「ディアーー!!帰ったんだね!無事に帰ったんだね!!」
リリィには苦しい程抱き締められた。ほかの二人も行動には出さないものの、とても心配してくれていたことが分かる表情をしていた。
「…心配かけてごめんね。」
「もうっ!ほんとだよ!あたしたちに何も言わずにさ!びっくりしたんだから!」
「…ごめん。急に思い立ったものだから…もともと帰るつもりではいたのよ…?」
「急にしては随分と長いことかかったわね。」
「遅すぎる。」
クラウディアの苦しい言い訳に、芸妓たちはズバズバと言い返して来た。
この遠慮しない感じが、なんだか懐かしくて心地よかった。
「ディア、帰ってきたところだし、数日は休むかい?」
「いえ、体調もどこも悪くないし、働きたいです!」
「…そう言うと思ったよ。」
即答したクラウディアに、マーシャは腰に手を当て軽いため息を吐く。そしてクラウディアの頭にぽんと手を置いた。
「でも長旅だったんだし今日までは休んどきな。皆にはディアナが帰ってきたってことは知らせとくよ。」
「ありがとう…」
以前のクラウディアなら、休んでいいと言われても休まなかっただろう。しかし今は、素直に甘えることが出来る。
それに昨日から、クラウディアはマーシャに対して口調が砕けることが多くなった。『娘同然』だと言ってもらえ、マーシャとの間にあった、取り払えていなかった僅かな壁が取り払われたのだ。
マーシャの言葉に従い、クラウディアは自分の部屋に戻りひと息つくことにした。
いざ休んでみると、やはり長旅で体力は消耗しているようだ。
それもそのはずだ。王都からヴィレイユまで移動するには約五日間かかる上、クラウディアはその道中、ほぼずっと涙を流していたのだ。
最初の乗り合いの馬車の中の時から違和感があり、でもなんとか我慢していたが、それ以降では、息をするように、自分では止められない涙が溢れていたのである。乗り継いだ馬車や道行く人、泊まった宿でも色々な目を向けられたので、クラウディアは恥ずかしくてなるべく顔が目立たないように帽子を深く被っていた。
心の整理はついたつもりだったが、身体の方が間に合っていないとでも言っているようで、どうすることも出来なかった。
ならばせめてと魔法も使い目元を冷やしていたので腫れずにすんでいるが、それをしていなかったら、とんでもない顔になっていたことは間違いない。
止めようとしても涙は止まらないので、ヴィレイユに着く前夜、最後に泊まった宿の部屋で、クラウディアは防音の膜を張り、もう涙の出るまま声をあげて思い切り泣くことにした。
子どものようにわんわんと泣いて、身体の中に溜まっていた感情を、涙で全部押し流した。
そうしたことで、その翌朝にやっと涙は止まり、とてもすっきりした気分になっていたのだ。
クラウディアはベッドにぽすんと倒れ込んだ。
(帰ってきたんだ…)
改めてそう感じた安心からか、今度は眠気がいっきに押し寄せ、クラウディアはそのまま朝まで深い眠りについた。
しっかり休めたので、クラウディアは予定通り仕事に復帰することにした。
(私、元気だ…)
今のところ普通に家事をこなせている。それに、王都から戻って来て、案外普通に過ごせている自分に驚きつつも安堵した。やはり、涙と共に感情を出し切ったからだろう。
ただ、指に巻いているシロツメクサは、外せずにいる。
(フィンリー様との、大切な思い出…)
最後に見た笑顔や、触れた唇の感触はまだ残っている。
フィンリーへの想いは、完全に吹っ切れた訳では無く、今でもクラウディアはフィンリーのことは大切で愛しい存在だ。
この未練は、おそらく一生消えないだろうとクラウディアは思う。しかし、前を向くきっかけをくれたのもまたフィンリーだ。
(この気持ちを無理に消そうとせず、前向きに生きていこう。)
思い切り泣いたおかげで、自然とそう思えた。欲を言えば、これから先クラウディアが抱いている気持ちごと、包み込んでくれる人がいれば幸いだ。
そして、そうでありそうな人物、いや、クラウディアにとってそうであって欲しい人物の顔がふと浮かぶ。
(いつか、全て打ち明けてみようかしら…)
クラウディアが漠然とそんなことを考えていた時だった。
「ディアナ。」
まさに思い描いていた人物が、クラウディアの目の前に現れた。
「アレンさん!?」
「帰ってきたって聞いたから。思わず店に来てしまったら、マーシャさんが入れてくれた。」
そう、まだ開店の時間ではない。クラウディアは休憩のためシエールのホールでぼーっとしていただけだ。
急いで来たのか、アレンは少し息が切れている。
「昨日、バートンさんに連絡しといたんだよ。」
そう言うマーシャをクラウディアが振り返ると、手をひらひらと振りながらホールを出て行ってしまった。
クラウディアはとりあえずアレンを隣の椅子へ促し、飲み物を出す。
「…良かった、ちゃんと帰ってて。」
椅子にかけたアレンが、ほっとしたように呟いた。
やはりアレンにも心配をかけてしまっていたようだ。
「心配かけてすみません…」
「いや、無事なら良いんだ。」
アレンは目を細めて微笑んだ。その笑顔を見て、クラウディアは胸がきゅっと締まったのを感じた。
そして、今の自分が家事をするための気を使っていない格好なことに気づく。会えると分かっていたのなら、もう少し身だしなみを整えていたのに、とクラウディアは慌てて意味もなく髪を手櫛で梳いた。
「…それは。」
すると、アレンがクラウディアの指に巻きついているシロツメクサに目を留めた。
「あ、これは…えっと…大切な方からいただいたんです…」
「へぇ……葉っぱに見えるが?」
アレンが目を丸くした。確かに、見た目どころか、本当にただのシロツメクサの葉っぱである。
「でも、大切なんです…」
「…そっか。」
かと言って、ずっとこのシロツメクサを指につけておく訳にはいかない。
保存の魔法はかけてあるが、その効果も永久ではない。定期的に魔法をかけ直すことは出来るが、この葉っぱの状態から何かに変えることはクラウディアには出来ない。
「なので、指に着けておくのは諦めて、押し花のようにでもしようかと…」
そうすれば一応はきれいに形に残すことは出来る。
するとアレンが顎に指を当てながらクラウディアの指のシロツメクサをじっと見つめていた。
「……少し、形が変わってしまってもいいか?」
「え?」
「魔法で加工できるが、残そうと思ったらその葉っぱの形状じゃなくなる。それでもいいか?」
「あ、はい。…え、いいのですか…?」
とっさに返事してしまったが、アレンが言っているのは、このシロツメクサをわざわざアレンが魔法を使って加工してくれるということだ。クラウディアは慌てて確認したが、アレンは当たり前のように頷いた。
形が変わるも何も、もとよりそのまま残せるとは思っていない。アレンは以前、栞を作っていたし、物を作るのは得意なのかもしれない。このシロツメクサも栞のようにして貰えるならありがたいと思い、クラウディアは改めてお願いした。
「じゃあ。」
そう言ったアレンは、シロツメクサが結ばれたままのクラウディアの手を取った。
「…?」
そして、アレンがシロツメクサを覆うように手をかざす。
てっきりシロツメクサをはずされると思っていたクラウディアは首を傾げつつ見守る。
十数秒程してアレンが手を離すと、シロツメクサは綺麗な指輪になっていた。
「え、」
銀のシンプルな指輪に、シロツメクサの茎が巻きついたように、緑の線が入っている。そして、四つ葉を型どった控えめの飾りが埋まっていた。
想像以上のことが起こり、クラウディアはただただ目を丸くしてアレンを見る。
こんな高度な魔法を何故使えるのか。クラウディアは、すでにある物の形を魔法で変えることは出来るが、今アレンは葉っぱ以外何も無いところから指輪を作り出した。
驚いて何も言えないクラウディアを見てアレンは穏やかな笑みを浮かべながら、立てた人差し指を自身の口元に当てる。
「実は物を作るのは得意なんだ。小さい頃からずっと練習してたらうまくなった。内緒な。」
「そう、なんですね…?」
(いや、練習したからと言って、こうも精度が磨かれるものかしら…?)
そうだとしたら、クラウディアも色々な物を作り出せるくらいには過去に練習量を重ねていたつもりだ。
それよりも遥かに多い練習量だったのか、実はアレンの魔力量は相当あるのではないかと思ったところで、アレンが話を続けたため、クラウディアの思考は中断された。
「大切な人からの贈り物なんだろ?」
「あ……はい…」
「だから、他のものにしないで指輪のまま残した方がいいと思ったんだが…これで良かったか?」
嫌なら葉っぱに戻すとアレンは言ってくれたが、ちゃんと指輪として残るのならクラウディアも嬉しいし、何よりこの指輪自体が綺麗で可愛い。
「いいえ、このままで…ありがとうございます。」
フィンリーからもらったものを、アレンが残せるようにしてくれた。不思議と複雑な気持ちにはならず、嬉しさが込み上げた。
クラウディアが微笑むと、アレンもほっとした様な笑みを浮かべた。
それにしてもこの指輪は出来が良すぎる。
(商人よりも、こちらを仕事にした方が余程稼げるのでは…?)
指輪を見つめながらそんなことを考えたクラウディアを見て、アレンはおかしそうに笑う。
「くっ…、変な顔してるぞ。」
「なっ!」
「…俺は今の仕事が好きなんだ。」
「…?」
「たくさんの人と関われるし、世の中の流れが見えるからな。…職人じゃこうはいかないだろ。建物に閉じこもってちゃ何も見えない。」
だから、アレンは敢えて今の仕事に就き、そして心からこの仕事が好きなのだと言った。
「それに、今も結構稼いでるんだぞ?」
「!ふふっそれは良かった。」
アレンはクラウディアの指におさまっている指輪を見つめる。
「その指輪、葉の部分がディアの瞳の色みたいだな。…俺は、ディアの瞳の色が、好きだ。」
不意打ちで『好きだ』という単語を言われ、意味が違うと分かっていても顔が熱くなるのを感じ、クラウディアはそれを隠すようにぱっと俯いた。
「…、でも、アレンさんも同じ色ですよ?」
そして、そう言って茶化して誤魔化した。
アレンは不意をつかれたように一瞬目を丸くしたが、思考が追いついたのかふと笑った。
「…はは、そうだな……同じ色だ。」
そして少し沈黙した後、重そうに口を開いた。
「……ディアナ、せっかく会えたんだが…」
「…?」
アレンの視線が悲しげに下がる。
「…少し、これから仕事が忙しくなる。しばらく来れないと思う。」
「あら、バーレイ商会が?」
確かに、王都に店を出すなら忙しくなるだろう。しかし、アレンは首を振った。
「いや、まぁ商会も忙しいんだが…ちょっと実家の方が今忙しくて、しばらくそっちを手伝うんだ。」
「ご実家が…」
アレンの口から実家の話が出たのは初めてだった。現実味が無くクラウディアがぽかんとしていると、アレンがそれに気づき、補足してくれた。
「兄貴がいるから普段は兄貴が全部やってるんだ。俺は何もしていないから、話すことも無かったんだが…」
「そうだったのですね…」
アレンに兄がいたことも初めて知った。アレンの知らなかった部分が見え、なんだかそわそわしてしまうクラウディアだった。
しかし、初めて聞いたはずなのに、何故か知っていたような、不思議な気分にもなったのだった。
「今だけどうしても忙しくて、数ヶ月は手伝うことになりそうだ。」
大変な仕事内容なのか、アレンの表情は心做しか曇っている。
しかし、アレンが避けることを選ばない以上、クラウディアには応援することしか出来ない。
「それは…長いですね…頑張ってくださいね。」
「……あぁ、ありがとう。」
やはり歯切れの悪いアレンを不思議に思いつつも、クラウディアはアレンを励ました。
それからは、シエールの開店準備に入るまで、バーレイ商会の進捗などを軽く話した。他愛もない話で久しぶりに笑ったクラウディアだった。
そして開店準備に入る直前にアレンは帰っていった。
「…戻ってまた必ず会いに来るよ。」
しかし帰り際、アレンは念を押すようにこう言ったのだ。
(実家の手伝いに行くだけなのに…?)
アレンらしからぬ別れ方に、一抹の不安を感じたクラウディアだった。
言っていた通りアレンはシエールに来なくなった。
アレンに会えない寂しさはあるが、日々は目まぐるしくすぎて行き、気づけばクラウディアが王都からヴィレイユに帰ってきてもう三ヶ月程が経っていた。
クラウディアは、自分の生い立ちを王都から帰ってきた時にマーシャや芸妓たちに話していた。
マーシャは知っていたのでそれ程驚くことは無かったが、芸妓の三人は、うすうす気づきながらもいざ本当のことを聞かされるととても驚いていた。
しかし、事実を聞いても以前と変わらない態度で接してくれている。
平穏な日々だった。
クラウディアは家事も芸妓もこなしつつ、すっかり以前の生活に戻っていた時のことだった。
ロワーグ王国全土に第二王子の訃報が駆け巡った。