41.微睡みからの目覚め2
その夜クラウディアは夢を見た。
幸せな、幸せな、夢。
□□□
クラウディアは、パタパタと両親のもとへと走る。
「お父様、お母様!」
「クラウディア、なんだいきなり。」
「そうよ、もうあなた十八歳になったでしょう!ちょっと落ち着きなさい。あら?その方は?」
クラウディアの傍らには、金髪の青年が立っている。
「紹介するわ、フィンリーよ!」
「フィンリー?」
「えぇ、平民で、私の恋人よ!結婚だってするんだから!」
「結婚!?それに平民だって?それはなかなかに他の説得が大変だ…だって私たちは公爵―――あれ?」
「そうね、ディアが選んだ方なら私は良いのだけれど身分が―――あら?」
父親と母親は、言いかけて何かに引っ掛かり言葉を止め、顔を見合せた。
「…いや、私達も平民だった。何も問題ないな。」
「そうね、何を思ったのかしら?」
二人とも自分の言葉に首を傾げている。
「それならディアとフィンリーさんの結婚、いいじゃない!」
「いや!それとこれとは関係ない!いきなり結婚だなんて、お父様は許さないぞ!どんな男かわからない!」
両親が言い合いを始めてしまい、クラウディアは隣の青年を見やる。
「ど、どうしようフィンリー…」
クラウディアが青年に話しかけると、青年は苦笑した。
「…まずは俺がどんな男なのかを知ってもらわないとな。」
そして青年と両親との面談のようなものが始まってしまった。
「フィンリーくんは、何の仕事をしているんだ?」
「商人をしています。」
「そう、フィンリーはすごいのよ!この前だって大きな商談を成功させたんだから!」
「ほぉ、すごいじゃないか。」
「いえ、俺なんかまだまだです。」
クラウディアはこの青年がどんなにすごいのかを説明した。その甲斐あってか、父親の雰囲気は随分やわらかくなっている。
「フィンリーくんのご家族は?」
「両親は商売をしています。」
「じゃあそれを継いでいるのかい?」
「いえ、兄がいるので、継ぐのは兄が。俺は違うところで働いています。」
「へぇ〜」
「フィンリーには妹さんもいるのよ。」
そうしていろいろと話し込むうちに、辺りの空はもう茜色に染まっていた。
「あ、もう日が暮れる…今日の夕飯は私が作るわね。」
「あら、クラウディア、いつの間にそんなことが出来るようになったの?」
「ふふ、たくさん練習したのよ!自信あるわ。」
「それは楽しみだ。」
「フィンリーも食べていってね。」
「俺もいいのか?ありがとう。」
そしてクラウディアが張り切って夕飯の支度をしていると、様子を見に来たらしい母親が声をかけてきた。
「…クラウディア。」
「なに?お母様。」
クラウディアが振り返ると、母親としっかりと目が合った。
「…………」
「……お母様?」
黙っているのを不思議に思ったクラウディアがもう一度呼びかけると、メリッサは少し寂しそうにその目を細め、ぽつりと呟く。
「…二人とも急にいなくなってしまって、ごめんなさいね。」
「――――……」
クラウディアには、メリッサが何のことを言っているのかよく分からなかった。
「何のこと?お母様もお父様もここにいるじゃない。」
「……ふふ、そうね、いつでもここにいるわ。」
しかし優しく笑うメリッサが不意にぼやけた。そしてクラウディアの頬に何かが伝う。
「あれ、私、どうして泣いているの……」
クラウディアの瞳からは、ぼろぼろと涙が溢れだしていた。
「…うぅ、っ、…なんで、止まらない…っ」
悲しくもないのに、涙が止まらない。クラウディアは顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。
「いいのよ、泣いて。おさまるまでお母様がこうしておいてあげるわ。」
メリッサがクラウディアをふわりと抱き締めた。様子に気づいたクロードも側に来て、クラウディアの頭を撫でた。
そしてその光景を、金髪の青年は瑠璃色の瞳を細め、優しく見守っていた。
「もう、フィンリーも見ているのに、恥ずかしい…」
でも、何故だかとても嬉しかった。
クラウディアの涙が落ち着くと、メリッサはそっと身体を離した。
「さぁ、クラウディアのお料理、楽しみだわ!」
「…ふふ、もうすぐ出来るから、待ってて。」
ほどなくして料理が出来上がり、四人で食卓を囲む。
クラウディアは、なんでもないこの光景を見て、なんだかとても幸せな気持ちになった。
そして食事を終えると、メリッサがお茶をいれてくれた。
「…おいしい…」
メリッサのいれてくれたお茶はとてもおいしく、そして無性に懐かしい気持ちになり、クラウディアは思わず呟いた。
そんなクラウディアを見て、メリッサは微笑む。
「お料理、おいしかったわ。クラウディアはどこにお嫁に行っても恥ずかしくないわね。」
「お母様、ふふ、言い過ぎ…」
面と向かって褒められると照れくさく、クラウディアは素直になれず否定する。するとすかさずクロードが口を開いた。
「いや、言い過ぎではなくクラウディアは自慢の娘だ。」
「もう、お父様まで――…」
からかわれたと思い、クラウディアはクロードに勢いよく振り向いたが、クロードのその表情はとても優しく、とても冗談を言っているようには見えなかった。
「昔も、今も、だ。」
「…ありがとう。」
クラウディアは今度は素直にお礼を言うことが出来た。
クロードの言葉に頷いていたメリッサは、瞳が潤んでいた。涙を拭い、メリッサは優しくクラウディアを見つめる。
「…フィンリーさんと結婚するんでしょう?」
「えぇ、そのつもり。」
「素敵ね。お母様とお父様は、いつでも見守っているわね。」
「?…あ、ありがとう…!」
はっきりと言われた訳ではないが、結婚の許可が出たのだと思ったクラウディアは、青年に笑顔で振り返る。
「フィンリー、良かったわね!」
「あぁ。」
青年も笑顔で頷き返し、微笑ましくまとまったと思いきや、慌ててクロードが割って入る。
「いやいや!それとこれとは話が別だと言っているだろう!見守りはするが、許すとはまだ言っていない!!」
「もう、あなたったら意地っ張りね。」
クロードの叫び声とメリッサの笑い声が響いた。
それは、かつてのウォルトン家の日常のようだった。
□□□
翌朝目覚めた時、クラウディアの頬は濡れていた。
(夢を、見ていた気がする……)
内容は、覚えていない。しかし、幸福に包まれているのに、どうしようもなく切なかった感覚だけは残っている。
だが不思議と、これからもきっと自分は大丈夫だと思えた。
大好きな両親がずっと見守ってくれている気がしたから。
(今日、王宮を出る……)
クラウディアは、久しぶりにドレスではなくワンピースに袖を通す。
これまでの人生で、ドレスを着ていた時間の方が長いのに、今はこちらの方がしっくりときてしまうのだから不思議だ。
クラウディアの準備が整うと、扉がノックされた。
「ディア、準備は出来たかい?」
「はい、フィンリー様。」
もともと荷物もほとんど無いため、準備らしきことはあまりしてはいないのだが。
フィンリーはクラウディアの準備が整っていることを確認すると、これからの手筈の説明を始めた。
「これから、待機させている馬車に転移する。」
「王宮のどこかに待機されているのですか?」
「いや、別の場所だ。万が一にも、王宮から出る馬車の後を誰かにつけられては困るからね。一般の馬車のフリをして、そのまま乗り換え地に行くよ。」
「わかりました。」
乗り換え地は、王都のはずれにあるので、そこまで行けばクラウディアをよく知る人に見られる可能性も少ない。
それに他にもたくさん馬車があるはずだ。クラウディアが乗っていく馬車も紛れるだろうし、人を乗せずに戻る馬車もあるため、乗っていた馬車にその後誰も乗せなくてもおかしく思われない。
「これなら、誰にもディアが王宮に居たと思われることはない。」
「はい、ありがとうございます。」
しかし、この手筈だと、どうしても最初の御者には事情を大まかには説明しておかなければならないということだ。
「ですが、最初の馬車の御者の方は、その、知っておられるのですか…?」
「あぁ。だがすごく信頼しているから大丈夫だよ。」
フィンリーにすごく信頼される御者とはどんな人なのか少し気になったが、王宮務めの人だ。御者だってよほど信用出来る人でないと出来ないのだろう。
「これが最善ですね。」
「そうだね。…いっきにヴィレイユまでディアを転移させることも出来るしそれが安全なのだけど…それだと向こうの皆に説明がつかないからね…」
最近、何度もフィンリーの転移魔法を目にしていて麻痺しがちだが、そもそも転移魔法自体、普通有り得ない魔法なのだ。
転移先で誰にも見られないということは難しい上、見つかれば大騒ぎになる。それを避けてクラウディアの部屋に転移しても、何の気配もなくいきなり部屋に戻っていることもおかしい。
やはり、馬車で普通に帰るのが無難であり、王都でクラウディアを他の人に見られないためにも、馬車の中への転移は最善であろう。
「乗り換え地までは私も一緒に行くよ。じゃあ、行こう。」
フィンリーがクラウディアの手を握る。
二人の身体が光に包まれ、馬車の中へと視界が切り替わった。
二人はどちらともなく馬車の中で向かい合って腰掛ける。
「…出発しようか。」
「はい。」
フィンリーが頷き、御者に声をかける。
「じゃあ、出してくだ――…出してくれ。」
フィンリーの声で、馬車はゆっくりと進み出した。
道中、不思議とクラウディアの心は穏やかだった。
フィンリーとの会話は特に無く、だがそれも苦ではない静かな時間が流れた。
「もうすぐ乗り換え地に着く。」
フィンリーがふと顔を上げ、クラウディアに告げた。
そこに着くと、もう、本当にお別れだ。
「この姿で君に会うことは、もう無いだろう。」
「…そうですね。でも、私はずっとあなたの幸せを願っています。」
「私もだよ。」
二人は眉を下げて微笑み合った。
「――――……」
「フィンリー様?」
急に黙り込んだフィンリーは、クラウディアから声をかけられ視線を一瞬彷徨わせた後、クラウディアをじっと見つめた。
「…ディアは、もう平民として生きていくんだよね?」
「はい。」
「つまり、貴族ではないし、婚約者もいない。」
「?はい…」
「だから、これくらい許してくれるね。」
「え?」
意味が分からずクラウディアがフィンリーを見上げると、フィンリーの手がクラウディアの頬に触れ、
唇が、そっと重ねられた。
「!」
ゆっくりと唇が離れ、瑠璃色の瞳と視線が合う。そしてその瞳がゆるやかに細められた。
「ディア、愛してるよ。」
「っ……」
「どうか幸せで。さようなら。」
フィンリーが光に包まれクラウディアの視界から消えるのと同時に、馬車が乗り換え地に到着した。
クラウディアが最後に見たフィンリーの顔は、大好きな優しい笑顔だった。