39.微睡みの中の幸せ6
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それから、クラウディアの忠告が少し効いたようで、フィンリーは毎日少しだけ自室で休憩を取るようになった。そしてその時はクラウディアと、今度こそ仕事の話ではなく、他愛もない話をした。
なんでもないことで、笑い合った。
毎日フィンリーの自室で二人で話していると、かつての幸せな時間が戻ってきたように錯覚してしまう。
ずっとこのまま一緒に居れたらどんなにいいだろうか。そんな甘い考えも浮かんでしまう。
しかしクラウディアは首を振った。
この幸せは現実では無い。微睡みの中で見る夢のようなもので、いつかは醒めてしまうものなのだと自分に言い聞かせた。
そして、いくら幸せだと錯覚しても、今のクラウディアに自由はない。
フィンリーかアイビーと会っている時間以外は、誰とも会うことなく、フィンリーの自室で一人で過ごしている。もちろん、誰にも見つからない為だ。
特にフィンリーは忙しく、一日一回休憩はとっているものの、ゆっくり話す時間は短い。それ以外の間は、本を読んだり、窓から庭を眺めたりしているが、庭と言っても、人通りは無く、毎日特に変わり映えはしない。
正直、つまらない日々でもある。時々、自分はいったい何をしているのだろうと思ってしまう程には。
何をする訳でもなく今日も一日を終え、クラウディアはベッドに横になり、目を閉じた。
ふと、賑やかなヴィレイユでの日々を思い出す。
(マーシャさん、心配しているかしら…)
明るく、暖かい笑顔が浮かぶ。クラウディアが王都に来てから、早くもひと月と半分程が経っている。シエールの芸妓たち、そして、アレンにもきっと心配をかけていることだろう。
皆の顔を思い出すと、急に懐かしさと恋しさが込み上げてきた。
(…帰らないと……)
自分の居場所はここではない。
そう考えていると、隣のベッドから声がかかる。
「おやすみなさい、お姉様。」
アイビーが上掛けからひょこりと顔を出しこちらを向いていた。
クラウディアが来たのは急にも関わらず、アイビーの寝室に立派なベッドを用意してもらっている。アイビーの自室にも、いくつか部屋があるので、別部屋の方がいいかと思ったが、アイビーが、「お姉様さえいいのなら」と同室を希望したので、ベッドを隣に寄せて眠ることになったのだ。
「おやすみなさい、アイビー様。」
クラウディアにとってアイビーと一緒に眠る日々もまた、姉妹になったようで確かに幸せだった。
しかし、いつまでもこのままでは居られない。終わりにしないといけない時が来るのだ。
(もう、…明日こそ、フィンリー様ときちんとお話しないと……時間、とっていただけるかしら…)
そう思いながらクラウディアは眠りに着いた。
□□□
クラウディアが眠ったことを確認し、アイビーはそっと寝室を抜け、ある扉を開く。
フィンリーが、クラウディアの行き来のために作った、フィンリーの自室に繋がる扉だ。
「…アイビー?」
妹の気配に、起きていたフィンリーはすぐに気が付いた。
「お兄様、夜分にすみません……」
「うん、どうした?」
話を聞く姿勢のフィンリーは、アイビーをソファに掛けるよう促す。
「……あの、」
ソファに掛けたアイビーは一度深呼吸して言葉を続けた。
「お姉様は、数日以内に出て行くつもりでいらっしゃいます。」
「……そうだろうね。」
クラウディアは、真面目な娘だ。今の自分の立場をよく分かっているし、いつまでもここに居てはいけないと思っている。いつも何かを話し出そうとして躊躇っている様子を、フィンリーは目にしていた。
それに、フィンリーとて、いつまでもクラウディアにこの箱庭の中のような自由のない生活をさせたくない。ずっと閉じ込めている訳にはいかないことはわかっている。
そろそろ本当に話をしないといけないとは思っていたので、クラウディアが王宮を出るつもりだと聞いてもさほど驚くことはない。
しかしアイビーの用事はそれだけではないようだ。
「お姉様が、ここを、出ると……」
言葉に詰まったアイビーは沈痛な面持ちをしており、その手は震えている。その様子は、”クラウディアと離れる”だけの動揺には見えない。
「アイビー?」
フィンリーに声をかけられ、アイビーは絞り出すように話し出す。
「…お兄様のお考えは、もう、決まっているのですか…?」
「…!」
アイビーは深く俯き、震える手を握っている。フィンリーはそれを見ながら静かに答える。
「…あぁ。もう決めている。」
「っ、どうにか!ならないのですかっ」
フィンリーの言葉を聞き、アイビーが勢いよく顔を上げる。その瞳からは、堪え切れない涙が溢れ出てきてきた。
「今の、ままでは…いけませんか……?」
「駄目だ。」
アイビーの提案をフィンリーは即座に否定した。
「…私たちだけが良くても駄目なんだ。ディアを閉じ込めている訳にはいかないし…。それに、私は兄上のために、一つの不信も残したくない。」
「っ……そう、ですね…」
フィンリーの言っていることを理解したようで、アイビーはまたしゅんと俯いてしまう。
「アイビー…すまないね…」
フィンリーはアイビーの頭をそっと撫でる。
「自分勝手な兄で、すまない。」
フィンリーに謝られ、アイビーは立ち上がった。
「いいえ、いいえっ…お兄様は、充分頑張ってくださいましたから…っ、幸せにならないといけませんっ」
首をブンブンと振り、兄の非を思い切り否定した。
「もう、泣きませんっ、…いえ、泣いてしまうかもしれませんが…っ」
フィンリーは膝に手をつき、少し屈んで下からアイビーを覗き込む。泣かないと言いつつ、また瞳が潤んでいる。
「…ありがとう、優しい私の妹。」
フィンリーはそう言って眉を下げた。
「明日、ディアとも話をしようと思う。」
「…はい。」
「アイビー…今日はもう寝ておいで。」
「…そうします。」
アイビーは、自室へ繋がる扉の方へ歩き出した。しかし、扉に手をかける直前、フィンリーを振り返った。
「…お姉様がいなくなってしまったら……いえ、いなくなってしまっても、こうしてお兄様のところへ来てもいいですか…?」
「!」
アイビーのお願いに、フィンリーは目を丸くしたが、すぐにその瞳を優しく細めた。
「あぁ、いいよ。その扉はしばらく繋げておこう。」
「!ありがとうございます…っ」
アイビーは、潤んだ瞳のまま顔を綻ばせ、クラウディアの眠る自室へと戻って行った。
「…………」
閉まった扉を、フィンリーは静かに見つめる。
これから自分がしようとすることは、果たして本当に正しいのだろうかと、フィンリーは一人眉を寄せ、目を閉じる。
「…でも、もう、後戻りはしない。」
再び開いたその瑠璃色の瞳は、もう揺れていなかった。
もう、決めたのだから。
最後には皆がきっと幸せになれるように。
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