37.微睡みの中の幸せ4
あれからまたフィンリーの自室に戻り、クラウディアは何をするでもなく…というか何も出来ずソファに腰掛けていた。
フィンリーも今は執務室で仕事をする必要がないのか、自室で書類を読んでいる。
(私……こんなことしていていいのかしら…)
フィンリーと話をするために王都に来たのに、フィンリーの自室で二人でまったりしているとは、当初の予定と違い過ぎる。
クラウディアが一人悶々と考えていると、扉がノックされた。
「お兄様、アイビーです。」
「!!」
その声に、クラウディアは凍りついた。
その懐かしい声の主は、本来クラウディアにとって愛しくて堪らない存在であり、本当は今すぐ扉を開け抱きしめたいくらいだ。しかし、今は会うのは非常にまずい。
「フィ、フィンリー様っ、私はどうすれば…っ!?」
クラウディアは慌てて小声でフィンリーに尋ねる。
「大丈夫だ。ディアはあちらの部屋に居て。」
落ち着いたフィンリーに促され、クラウディアは急いで隣の部屋に入る。その扉を閉めたと同時に入り口の扉が開かれた。
クラウディアは、扉を背にして息をひそめ、様子を窺う。
「お兄様、いきなり申し訳ありません。どうしても話しておきたいことがありまして…」
「あぁ、構わないよ。話とは?」
「中に入っても?」
「あぁ、どうぞ。」
(いいの!?…まぁ、断るのもおかしいか…)
扉を挟んで兄妹二人の会話を聞きながら、クラウディアはヒヤヒヤしている。
「込み入った話ですので、兄と二人にしてください。皆さんは下がって。話が終わり次第また呼びます。」
「承知しました。」
アイビーはそう言って自分の護衛や侍女を下がらせ、入り口の扉を閉めた。
(込み入った話って……私が聞いてしまっていいのかしら…)
真面目なクラウディアは、万が一にも王族の未公表の情報を聞かないために、今は耳を塞ぐべきかと考えたが、そうしてしまうと何かあった時に対応出来ないので、塞ぐことも出来ずそわそわとしていた。しかし、すぐに会話が始まる気配は無い。
アイビーは先程閉じた入り口の扉の方をしばらく見つめ、ひとつ息を吐いてフィンリーに向き直った。
そして視線のみで部屋をさっと見回すと、ひとこと言った。
「もう、いいでしょう?」
(…?)
何が『もういい』のだろうか。やはり自分が知らない話で、聞くべきでないものなのかとクラウディアは戸惑った。
そんなクラウディアをよそに、兄妹の会話は続く。
「もう誰も居りません。」
「居ないね。」
「ならばいいですよね?」
「何のことかな?」
まだ内容も何もなく、何の話かは分からない。至って落ち着いた声音でフィンリーが返事をしていると、アイビーはじれったそうに「もうっ」と言い、こう続けた。
「…あちらの部屋を見せてください。」
(!?)
アイビーが言う『あちらの部屋』とは、今クラウディアが隠れている部屋だ。
(何故この部屋!?まさか、私に気づいている…!?)
「アイビーが行く必要は無い。」
クラウディアが隠れている部屋に向かって歩き出そうとするアイビーを、フィンリーが穏やかに制止する。クラウディアはこのままフィンリーがうまくやり過ごしてくれるよう祈った。
(お願い……っ!)
「何故?お兄様。」
アイビーは動きは止めたが、怪訝な顔でフィンリーを見る。
(お願いお願いっアイビー様諦めて…っ!!)
クラウディアは組んだ両手を額に当て祈り続けていたが、次にフィンリーから発せられた言葉に耳を疑った。
「何故って、こちらに呼ぶからね。」
(えっ!?)
驚いて思わず顔を上げ、扉越しにフィンリーを振り返ってしまう。クラウディアは聞き間違いかと思ったが、どうやら違うようだ。
「おいで。」
(で、出て行っていいのかしら……!?)
突然のことにクラウディアは混乱する。ここに居るのはクラウディアのみだが、今呼ばれているのも、自分なのかどうかさえはっきりと分からない。
何も動けずにいると、フィンリーから追って声がかかった。
「『大丈夫だ』よ。さっきも言っただろう?」
(おっしゃってたけど…っ、そういうことだったのっ?)
確かに、アイビーが訪ねてきた時、フィンリーは焦るクラウディアに『大丈夫だ』と言った。しかしクラウディアは、それは『大丈夫、何とかするから』の意味だと思っていた。まさか『会っても大丈夫だ』とは微塵も思っていなかった。
(…でも、)
会っていいのならば、クラウディアだってアイビーに会いたい。
クラウディアはフィンリーの言葉を信じ、ごくんと唾を飲み込むと、おそるおそる扉を開けた。
「お姉様……っ!!」
「アイビー様…っ」
クラウディアが踏み出すと、すぐにアイビーが飛び込んできた。
「お姉様!会いたかった……っ!!」
アイビーはそう言って、大きな碧い瞳にいっぱい涙をためてクラウディアを見上げた。そんなアイビーを見て、クラウディアも涙が込み上げてくる。
「…私も…です…っ」
二人は涙を流しながら、ぎゅっと抱きしめ合った。
「本当に、本当にっ、お姉様が無事で良かった…!」
「……っ」
「私は何も出来ず…っ、申し訳ありません…っ」
「そんな…っ、アイビー様に謝っていただくことは何一つありません。」
「いいえ……っ」
お互いに謝り合っておさまらない二人を、穏やかに見守っていたフィンリーが口を開く。
「…とりあえず座ろうか。」
フィンリーに言われ、クラウディアとアイビーは謝り合うことを止めお互い顔を上げた。
「…そうですね。せっかく会えたのだしゆっくりお話しましょう。」
そう言いながらアイビーが涙を拭い、クラウディアから離れた。そしてローテーブルを囲んだ三つのソファに、一人ずつ腰掛けた。
「あの…」
クラウディアはどうしても気になったことがあったので、腰を落ち着けた後すぐに口を開いた。
「アイビー様は、わかってらっしゃったのですか?」
そう、アイビーは初めからクラウディアがここに居ると分かっているようだったことが疑問だった。フィンリーは絶対に誰にも言っていないはずだ。なのにアイビーは見計らったかのようなタイミングで現れた。
「…これでも家族だからね。」
アイビーの代わりにフィンリーが眉を下げて答える。それに続いてアイビーが補足した。
「そうですね。お兄様の魔力の揺れから何かしらあると思いました。そして魔力を探るうち、これはもしや…と気づいたのです。ですから、今日は予め人払いもしましたし、この部屋にも防音を施してありますしご安心ください。」
「防音を施したのは私だが。」
「そんなことが出来るのですね…」
すかさずフィンリーが口を挟んでいたが、アイビーもさすが王族だ。持っている魔力量も多いし、それを使いこなす技量も一般とは全く違うということか。
そうクラウディアが感心していると、何故かフィンリーがじとりとした目でアイビーを見ていた。それまで自信気に胸を張っていたアイビーだったが、フィンリーの視線を感じた途端、少し気まずそうな表情になり、仕方ないというふうに口を開いた。
「…あとは、単純に家族だから感じる勘です。………まぁ八割がたこちらです。」
そう白状したアイビーは、「えへへ」と照れたように笑った。
それを見たクラウディアはくすりと笑った。
それでも十分すごいことである。
それからしばらく、近況だったり、クラウディアがヴィレイユで過ごしていたことなどを話した。
「お姉様、しばらく滞在なさるでしょう?」
「えっ、えっと…」
アイビーに当然のように言われたが、それをクラウディアが決めることは出来ない。そもそも本当はここに居てはいけない存在だ。
クラウディアが不安そうにフィンリーを見ると、フィンリーは微笑んだ。
「もちろん居てくれて構わないよ。」
その答えにクラウディアはほっとした。行く宛てもなく、まだフィンリーと何も話せていないので、このまま王宮に居させてもらうことが出来るのならありがたかった。
「…では、ご迷惑おかけしますがお世話になってもよろしいでしょうか…」
「迷惑はかからないし大丈夫だよ。」
それを聞いたアイビーがすかさず身を乗り出す。
「じゃあっ!夜は私の寝室でお休みになってくださいっ!」
「「えっ?」」
アイビーの提案に、クラウディアとフィンリーの声が重なった。アイビーは一瞬目を丸くした後、半目でフィンリーを見る。
「…まさか、お兄様のお部屋でお姉様がお休みになるなんてこと出来ませんよね?」
アイビーの言葉を聞き、クラウディアは一拍遅れてその意味に気づいた。
「あっ、そ、そうですね!そっか、そうですね……」
(そっか…私ったら何も考えてなかった…っ)
当然フィンリーの自室で過ごすものと思っていた自分が恥ずかしくて、クラウディアは真っ赤に染まった顔を両手で包んだ。
「…うぅ、アイビー様がよろしいのならば、お邪魔させていただきます…っ」
「もちろんっ!」
まだ顔の熱さが治まらず、クラウディアはたまらずアイビーの腕に抱きついた。なので、
「俺はそのつもりだったのに……」
とフィンリーがぼそりと言った呟きは、クラウディアには聞こえなかった。「いや、当然部屋は別にするつもりだったけど…」と何やらぼそぼそと言っているなと思い振り向くと、そこには肩を落としたフィンリーが居た。
「?」
そして反対に、何故かアイビーは勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
「いや、待てアイビー。ディアを出歩かせる訳には行かない。おまえの自室まで行けないだろう。」
フィンリーがハッと気付き、それ見ろというようにアイビーを指さす。
しかしアイビーは勝ち誇った笑みを崩さない。
「そんなこと、お兄様の魔法でどうとでもなるでしょう?お姉様を守るために、転移魔法でも空間魔法でも何でも駆使してくださいませっ!」
「っ!?そ…」
言い返そうとするフィンリーを遮り、アイビーが「それに!」と続ける。
「お姉様も私の自室でお休みになる方がいいですよねっ?」
「…えぇ、そうさせていただけると助かります…っ」
「ぐっ…」
クラウディアの意志を勝ち取り高笑いするアイビーの傍ら、フィンリーは再び肩を落とした。
クラウディアの頭の中に何故か闘いの終わりを告げるゴングが聞こえた気がした。
こうして、日中はフィンリーの自室で過ごし、夜はアイビーの自室で休むという、クラウディアの奇妙な王宮生活が始まった。
フィンリーは、アイビーが来ることを分かっていて、敢えて自室で仕事をしていました(´ ꒳ `)
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