30.瑠璃色と翡翠色
更新が遅くなりすみません。
30話です。この小説を書き始めた時は、30話くらいで終わるかな〜と思っていましたが、書き続けているうちにどんどん長くなり、まだ終わりそうにありませんっ。
読んでくださっている全ての方に感謝して、書き続けたいと思います。
十八歳。
それは、クラウディアがフィンリーと結婚するはずだった歳である。
きっと、何も無ければ今頃は式に向けて慌ただしくしていた頃だろう。
―――それは、なんて幸せな慌ただしさだっただろうか。
そう思うと何とも言い難い気持ちになる。
クラウディアはそんな気持ちを誤魔化すように、首飾りを見つめる。フィンリーの瞳の色を。
「…本当に綺麗な瑠璃色ですね。」
「……そうだろ?小さいけれど、綺麗に磨かれて光っている。」
首飾りが綺麗だと思うのは本当の気持ちだ。アレンの言う通り、大きさは小さいけれど、その美しさのおかげでしっかりと存在感がある。
「こんな素敵なもの、どこで見つけられたのですか?」
「どこ?…王都の…うーん、」
なんとなくクラウディアが尋ねてみると、予想外にアレンが口ごもった。
「?…アレンさん?」
いつもはっきりしているアレンにしては珍しい反応だ。一瞬だったが目も泳いでいた。言い難いことでもあるのだろうか、とクラウディアが怪訝な顔をしていると、アレンは少し焦った様子で言葉を続ける。
「…あ、いや…、俺もロワーグの王都には初めて行ったし、どう説明したらいいか…」
そう申し訳なさそうに言われ、クラウディアはアレンの反応を深読みしてしまったことを後悔した。ひねくれた考え方しか出来ない自分にも呆れ、心の中でアレンに謝った。
「あ…じゃあ、お店の名前とかは…?」
「…いや、ふらっと入っただけだったから覚えてない。」
「そうですか…」
「すまない…」
アレンはクラウディアに伝えられないことに明らかに気落ちしている。それを見て、クラウディアは急に焦りが込み上げてきた。
「えっ!いえ!そんな、大丈夫ですよっ!?」
クラウディアも絶対に知りたくて尋ねた訳では無いので逆に申し訳なかった。
クラウディアがアレンを宥めていると、賑やかな声が入ってきた。
「わぁ!何持ってるのディアナ!」
今やってきたリリィが気づき、さっそく尋ねてくる。
「これ、首飾り。素敵でしょう?アレンさんから頂いたの。」
「えっ!綺麗!…って、アレンくんから!?二人ついに付き合ったのっ?」
「えっ?」
「えっ?」
両者が驚き返すやり取りを、つい先程もしたなとクラウディアは思いながらも、リリィの発言は聞き流せなかった。
不意な言葉にどきりとしてしまい、鼓動が少し速くなっているのを隠しながら、クラウディアは落ち着いた声でリリィに聞き返した。
「リリィ…どうしてそんな突拍子もないことになるの?」
「?…突拍子もないことないでしょ?」
リリィはクラウディアとアレンを交互に見て、当たり前のようにそう言った。そして「それに、」と続ける。
「異性に装飾品を贈るのって、恋人くらいじゃない?だからついに付き合ったのかな〜って。」
「……………」
「……………」
リリィの言葉をうまく飲み込めずクラウディアとアレンは沈黙する。
(え、そうなの…?)
そういえば、クラウディアは家族以外からの贈り物と言えばフィンリーからしかもらったことが無い。
フィンリーからのものは装飾品も多かったため、人から装飾品をもらうことに何の違和感も無かったクラウディアだったが、よく考えるとフィンリーは婚約者だった。
(そうか…そうだったのね…)
そして気づいてしまうと、自分の意思とは関係なく頬が熱くなるのを感じた。
「―――と思ったけど、なんか違うみたい?」
「……………」
「……………」
「…ちょっと、さっきからあたししか喋ってないんだけど。おーい。」
アレンもクラウディアといっしょに首を傾げていたが、首の角度が戻るにつれ、目が見開き顔が赤くなっていく。
ようやくリリィに何を言われているのか理解したようだ。
「え、あ、そうか……そう、だよな、つい…」
アレンが口元を片手で覆いながら慌て出す。
「ディアナさんすまんっ!やっぱりこれ―――――」
そしてアレンは、クラウディアにと買ってきてくれた首飾りを自分に引き寄せた。それを見てクラウディアは咄嗟に手を出す。
「いえっ!受け取ります!!欲しいですっ!!」
首飾りを戻そうとするアレンから、クラウディアは慌ててそれをもぎ取った。
「………いいのか?」
アレンが驚いて聞いてくる。
せっかく自分に向けて選んでくれたものなのに、そんな変な理由で受け取らないのは申し訳なさすぎる。
クラウディアは大きく頷いた。
「もちろんっ!せっかく選んでくださったのに!それに、アレンさんがそういうつもりは一切無いことは分かってますからっ!」
「…………………」
「…………『一切無い』……」
心做しかアレンの顔が半笑いのまま少し引き攣っている。
「…………アレンくん、元気だして。」
そして何故かすかさずリリィに慰められていた。
「……あぁ、そうだな。これに関しては…他意は無かった。」
アレンが困ったように笑ってそう言った。いつの間にか来ていたローラとレベッカも、アレンに同情的な視線を送っている。
一人だけ取り残されたような空気に、クラウディアは再び首を傾げることとなった。
□□□
「そういえば何でアレンくんは私たちのこと『さん』付けなの?年上なのに。」
おしゃべり好きのリリィは、その後もアレンを巻き込み喋り続けている。
あまりアレンを引き止めては悪いとクラウディアは心配したが、アレンは夜までは予定がないそうで、時間に余裕はあるらしく芸妓たち(主にリリィ)のおしゃべりに付き合ってくれている。
そして唐突なリリィからの質問に、アレンは目を丸くした。
「何故か…?………なんとなく。」
言われて初めて気づいたという感じだ。
確かに、貴族社会では敬称を付けることは常識だが、クラウディアはここ一年程平民として暮らしてきて、年下に向かって『さん』という丁寧な部類の敬称は聞いていない。
「…一応客だし?」
「お客さんだけど、もうアレンくんってお客さんじゃないよね。」
「だからなんだそりゃ。マーシャさんも似たようなこと言ってたぞ。」
「それに、口調は普通なのに名前だけ『さん』付けじゃん。慣れたっちゃ慣れたけど、違和感ある。」
「リリィさん?おい、質問を無視するなよ。」
「その感じ!その感じで『リリィさん』とかおかしくないっ?」
リリィにまた質問を無視された上、びしっと指をさされながら指摘され、アレンが口を横棒一本のようにして黙り込む。
「確かにアレンくんに言われるのは慣れたけど、改めて聞くとちょっとゾワッとするわ。」
「でしょーっ?」
ローラも参戦してきて、どんどんアレンが小さくなっている様に見える。
「ちょっと……」
アレンが可哀想になり止めに入ろうとしたクラウディアだったが、アレンが何かを言おうと口を開いたので自分は慌てて口を閉じた。
しかしアレンは言葉を発しきれず、気まずそうに視線を落とす。
「……そもそも女性を名前で呼ぶことに慣れてないんだよ……」
そしてぼそりとこう呟いた。
「……………」
アレンの呟きをしっかりと聞き取っていた芸妓たちはぽかんと口を開け、ホール内が一瞬静寂に包まれたが、すぐにリリィが大笑いしだした。
「あはは!女性!!そうなのっ?アレンくん、そんなことだったのっ?意外〜!!」
「~~~~~っ!!」
リリィに笑われ、アレンは真っ赤になっている。
普段仕事では女性とは客としてしか接しないため、名前を呼んだとしても、呼び捨てで呼ぶ機会がないのだと言う。
そして仕事以外では特に名前で呼び合うようなし女性の知り合いもいないらしい。
(アレンさんは名前で呼び合う人、いないのね……)
クラウディアは、そう聞いて何故かほっとした。そしてほっとした自分に気づき、一人視線を泳がせた。
その後ろでローラがクラウディアのそんな様子を見て微笑んでいることには気づかなかった。
「別にあたし達のことなんか気にせず呼び捨てでいいのに!貴族みたいに身分がある訳でも無いし。」
リリィは時々、こうしてしっかりと理由付けたことを言う。そう、身分のない平民は、仕事でなければ皆、早い段階で気軽に名前を呼んでいるのだ。
貴族であっても、親しくなれば名前で呼び合うが、さらに男性が女性に敬称をつけなくなることは、よほど気を許す間柄にならないと無い。
そう思うと、確かにアレンが、ある程度親しくしている芸妓たちに敬称をつけて呼ぶのは少し違和感があった。女性の名前を呼ぶことに慣れていないのならば仕方のないことなのだろうが。
クラウディアは長年敬称をつけて呼ばれることに慣れていたため、リリィが指摘するまで特に違和感を感じてはいなかったのだ。また新たな発見があり、クラウディアは一人感心していた。
「…それに、もう友達でしょ?普通に親しみを込めて呼んで欲しいな。」
リリィが笑顔でそう言った。先程のようなからかう雰囲気では無く、とても優しい笑顔だった。
「友達……そうか…」
アレンも『友達』がすとんと腑に落ちたようで、表情がすっきりしている。しかしすぐにリリィがにやりと笑い、爽やかでくすぐったい雰囲気を崩す。
「しかもレベッカなんか四つも下じゃん!」
「勝手にわたしを引き合いに出さないで。」
「えー呼び捨て嫌なの?」
「それはどっちでもいい。」
「ふっ、いいのねっ…。」
レベッカの、彼女らしい反応にローラは思わずといった様子で笑っていた。
「ディアは?」
「え?」
突然リリィに話を振られクラウディアは驚く。
「だから、ディアナは賛成?名前のことっ」
「えっもちろん……私はディアナでもディアでも…」
「良かったぁ〜!!」
もちろん自分も含まれていると思って話を聞いていたので、クラウディアはすぐに返事をした。しかし何故自分だけ改めて聞かれたのかと疑問に思っていると、
「ディアナはあんまり慣れてないかと思ったから良かった!」
リリィがそう言うのを聞き、クラウディアは合点がいった。クラウディアが元貴族だろうと分かっているリリィが気をつかってくれたのだと。
リリィは何も考えていないようで、細かい気遣いをしてくれる女の子だ。クラウディアは自然と笑みがこぼれた。
しかしリリィがアレンに親指を立てて過剰に目配せをしていたので、もしかしたらそれだけが理由ではないのかもしれない。
「あぁーもうっ、呼ぶからっ!」
そうすると、何かに耐えきれなくなったアレンが声をあげる。
「呼ぶから……リリィ、もういろいろやめてくれ。」
「あ!呼んだ!でもなんか不本意!でも不思議と馴染む!」
「リリィはそもそも『さん』を付けてもらえるような人間じゃない。」
「レベッカ、聞こえてるんだけど?」
続いてアレンは、ローラとレベッカのことも名前で呼び、二人とも笑顔で頷いた。
「やっぱりしっくりくるわね。」
「うん。『ちゃん』とかつけられてもアレンくんの性格的に違うし。」
「…そりゃ良かった。」
アレンがレベッカに苦笑いを返しつつ、そして次は、とクラウディアの方へ顔を向ける。
「……ディアナ?」
「…はいっ」
そして少し照れくさそうにクラウディアのことをそう呼んでくれた。アレンともっと親しくなれた気がして、クラウディアはなんだか嬉しくなり笑顔で返事をした。
「それとも……」
しかしそれで終わらず、アレンは何か考えるように、曲げた人差し指を唇に当て、上を見上げる。そして指を離し、その翡翠色の瞳をクラウディアの同じ色に合わせた。
「『ディア』?」
「!」
アレンに愛称で呼ばれた途端、『ディアナ』と呼ばれた時には感じなかった何かがクラウディアの中に込み上げ、胸を締めつけた。
クラウディアがディアナになってからも、周りからは度々『ディア』と呼ばれてきた。親しい者から、かつて家族からも呼ばれていた愛称で呼んでもらえることを、密かに嬉しく思っていたりした。
そう、これまでは、家族を思い出すほんの少しの寂しさはあれど、嬉しく温かい気持ちが大きく、胸を締めつけられることなどなかった。
―――――『ディア。』
頭の中に、フィンリーの声が聞こえる。
クラウディアがその声を忘れたことは無い。
そして今、フィンリーではなくアレンに、フィンリーとは違う声で、フィンリーとは違う瞳の色でこちらを見て、同じ名前を呼ばれている。
――――それが、全く嫌ではないのだ。
その事実が、クラウディアの胸を締めつけていた。
読んでいただきありがとうございました。
次話は、今回よりも早くお届け出来ると思います。
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