15.準娼館2
「料理が、魔法で…魔法で、料理が…っ!」
初めて見る画期的な光景にクラウディアの瞳は感動で輝いていた。
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シエールに身を置かせてもらうことに決まったが、何もせずただ住まわせてもらうのは気が引けたクラウディアは、何かしたいと申し出た。
マーシャは何もしなくていいと言ってくれたが、クラウディアが頼み込むので、「じゃあ、身体をしっかり休めてから考えよう」と言ってくれた。
落ち着いてから、マーシャはシエールの面々をクラウディアに紹介してくれた。
「マーシャ、えらい別嬪さん拾ったな!」
まずはマーシャの夫であるガルド。がっしりとした体格をしており、とても強そうだ。実際にこの店の用心棒も兼ねているらしい。強面な顔だが、にかっとした気持ちのいい笑顔を向けてくれた。礼儀正しく挨拶するクラウディアに好印象を持ってくれたようだ。
ガルドは見た目に反して甘いものが好きらしく、この店のスイーツは彼が開発しているらしい。どれもこれも客には好評だそうだ。プロ級、いや、作ったものを客に出している以上プロだが、ガルドが作り出しているとは思えない程、シエールのスイーツは繊細で美しかった。人は見かけによらない。少し味見をさせてもらったが、クラウディアが令嬢として以前食べていたようなものと遜色なく、とても美味しかった。
「…ガルドさんは、その、私がいることに反対はなさらないのですか…?」
当たり前に自分のことを受け入れられてしまい、思わず聞いてしまった。
「はははっ!ディアナは良い子そうだし追い払う理由もないさ!」
マーシャに似た豪快な笑い方だった。そして、
「それに俺は、マーシャを信頼してる。愛する奥さんが決めたことには、よっぽどのことがない限り異論は唱えない。」
ガルドは悪戯っぽく笑ってそう言った。強面で、端正な顔立ちとは言えないガルドだが、この時クラウディアは素直にガルドのことを格好良いと思った。
次に、昼過ぎに出勤してきた芸妓を紹介してくれた。
リリィ、ローラ、レベッカという娘三人がいる。リリィは歌、ローラは舞、レベッカはチェスなどの遊戯での勝負ごとが得意だそうだ。
さすが『準娼館』とでも言うべきか、客をとるだけあって三人ともとても容姿が整っていた。
「へぇ!綺麗な子!あたしリリィ!よろしくね!」
リリィは少し赤みがかったふわふわとした金髪で、可愛らしい印象を受ける。人懐っこく、クラウディアに対してもすぐに気さくに話しかけてくれた。
「ローラよ。ディアナっていうのね。よろしくね。」
ローラは艷めく黒髪がさらりと背中を流れ、切れ長の瞳がとても色っぽい。
「わたしはレベッカ。よろしく。」
レベッカは、明るめの茶髪で、肩口でバッサリと髪を切ったヘアスタイルだ。少し吊り目で口数も少ないため、受け入れてもらえないのかと不安になったクラウディアだったが、リリィ曰くレベッカは人見知りなだけなので気にしないでいいそうだ。
三人ともクラウディアのことを珍しがってはいたものの、拒否や嫌悪はされていないようで安心した。
しかし、クラウディアは疑問がひとつ浮かんだ。
「……御三方だけ、ですか…?」
クラウディアは、個人が客をとる商売をしている店にしては、芸妓が少ないように思った。それとも今日はこの三人ということなのだろうか。
「うん、これで全員だよ。ホールの店員は他にもいるけどね。」
「えっ」
まさかのこれで全員だった。
「えっと、失礼ながら、た、大変では…?」
「?べつに大変ってことは無いよ?楽しいし!」
リリィが笑顔で答える。
「え、でも、一日に何人のお客様のお相手をなさるのですか…?」
それとも、失礼だがそれ程賑わっていない店なのだろうか。しかし、外観や内装が綺麗に保たれているところを見ると、それなりに潤っているようには見える。一人あたりの単価が高いのだろうか。
クラウディアが勝手に一人でぐるぐると考えていると、マーシャが答えてくれた。
「うちは昔は個別に客をとってたんだけど、軌道に乗った今は、よっぽどのお得意さんじゃなければ、個別には対応してないんだよ。それぞれの個室はあるが、歌や舞なら何人もが一度に見れるだろう?その分一人あたりの単価は安く出来るし、大勢の人に来て貰えるのさ。あと、純粋に食事を楽しみに来てくれる客もいる。」
「そうなのですね…」
だから個人の客は少なく、数人で訪れる人が多いようだ。お得意様の場合はたいてい予約してくれるので対応も問題ないそうだ。ちなみにレベッカは、個室に入らず食事の席で、余興のようにチェスで勝負をすることが多いらしい。
「ディアナはシエールの芸妓になるのっ?」
「えっ、えっと…」
リリィに聞かれ、クラウディアは戸惑う。ここに置かせてもらう以上、働いた方がいいに決まっているが、クラウディアはこの店のことがよく分かっていない以上、『準娼館』という名前にどうしても抵抗を覚えてしまうのだ。
クラウディアは焦りながらちらりとマーシャを見た。マーシャは穏やかな笑顔浮かべ、ひとつ息を吐いた。
「いや、ディアナは芸妓じゃないよ。手伝いはしてもらうかもしれないが、とりあえずはうちの家事をしてもらう感じかな。」
「!!っはい!何でもやります!」
「芸妓じゃないんだぁ」
「ま、興味持ってくれたらいつでも客とってもらったらいいんだけどね!」
「ディアナ美人だし絶対お客さんつくよね〜!」
和やかな空気にほっとする。芸妓として働くのはまだ抵抗があるクラウディアの気持ちを汲んで、さらにただの居候にならないように配慮してくれたマーシャには感謝しかない。
とりあえず今日はこれから店の準備があり、皆忙しいらしい。クラウディアは案内された部屋でゆっくり休むよう言われ、部屋のあれこれや風呂などの使い方を教えてもらい、その他は明日から教えてもらうことになった。
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そして翌朝、クラウディアは厨房に居た。
「今から朝食を作るけど、見るかい?」とマーシャに誘われ、クラウディアは「是非!」と見学に来た。
公爵令嬢だった時、厨房に入ったことくらいはあるが、全く料理はしたことが無かったし、調理過程もしっかりと見たことは無かった。見る必要と機会が無かったのだが、美味しい料理がどのように作られているのか興味が無いわけではなかった。
少しわくわくしながらマーシャに着いて行き厨房へ入ると、マーシャがふとクラウディアを振り返った。
「…昨日は、すまなかったね。『身体を休めてからゆっくり考えよう』って言ってたくせに、勝手にここで手伝いをしてもらうことに決めてしまって。」
マーシャは昨日、リリィに聞かれとっさに答えたは良いものの、クラウディアの気持ちを聞かず勝手に決めてしまい負い目を感じていたらしい。
「いえ!そんなこと!むしろ…」
むしろいろいろ気遣ってくれて感謝しているのだと必死に伝えると、マーシャは目を細めクラウディアの頭をぽんぽんと撫でた。
「可愛いね、ディアナ。」
そう言ってにこりと笑い、マーシャは気持ちを切り替えたようだった。
「じゃ、まずはしっかりと見てもらわないとね!ディアナ、あんた家事したことないだろ?」
「…はい、お恥ずかしながら…」
一日を通してどのような家事があるのかは分かっているつもりだが、それらのやり方は全く分からない。
食事の用意も食器の片付けも部屋の掃除(整頓はクラウディアもしていたが)も洗濯も、全て使用人の仕事だった。
「ま、貴族令嬢ならそれが普通だろ。逆にやってる方がびっくりするよ。」
またも何も出来ないことを恥ずかしいと思ったクラウディアを他所に、マーシャはなんて事ないように言う。
「前向きに覚えようとしてくれてること自体が嬉しいよ、あたしは。」
クラウディアとしては、教えてくれること自体が嬉しい。お手伝いとしてすぐには使い物にならないクラウディアに、わざわざ時間を割いてくれているのだから。
「少しでも、早く覚えるよう努力します。」
少しでも早く、マーシャの役に立ちたいと思った。
「朝食だから、店で出すものとは違って簡単な物だけだけど…ここが、火を使うところ。材料は、こっちで切る。調理器具はここに置いてるよ。」
マーシャの説明を聞きながらしっかりと頭に入れる。そしてマーシャが手際良く材料を切り分ける。包丁の扱いすらクラウディアには新鮮だった。今日は見るだけだが、いずれ自分もやることだと、しっかりと見る。
(野菜って、こうやって切るのね…)
密かに感動していたクラウディアであった。
材料を切り終え鍋に入れると、マーシャがおもむろに魔法で火をつけた。
「えっ魔法!?」
ここで魔法を使うと思っていなかったクラウディアが驚きの声を上げると、マーシャもクラウディアの反応に驚いていた。
「え?魔法に馴染みがないかい?…て、貴族がそんなことないよねぇ…?」
「あ、すみません。魔法をこのように使うところを見たことが無かったもので…」
マーシャが火を調節しているところを、「料理が、魔法で…魔法で、料理が…っ!」とクラウディアが前のめりに見入る。
「へぇ?逆にあたしなんかは家事くらいにしか使えないけどね。」
「他の家事にも魔法が使えるのですか!?」
朗報にクラウディアの目が光っていた。
「あ、あぁ…。他には洗濯物を洗ったり乾かしたり、シワを伸ばしたり…掃除もだね。」
「掃除なら多少したことがあります!…洗濯物にも使えるのですね…っ!」
魔法で出来ることがあるのなら、と、クラウディアの家事に対しての意識が、ぐんと身近なものになった。
魔力を扱うことは得意である。やり方さえ覚えれば出来そうだ。俄然やる気が出てきたクラウディアであった。
そうしてあっという間に出来上がった朝食は、やはりとても美味しかった。