13.ヴィレイユ
視界が切り替わった先は、どこかの路地裏らしき場所だった。
そこで初めて、自分がフィンリーの転移魔法により飛ばされたのだと理解した。魔法で自分自身を転移するだけでも驚くべきことなのに、はるか遠い地から転移してきた上にあれだけの魔法を繰り出しながら、さらに他人を転移させるとは。
「フィンリー様………っ」
フィンリーは大丈夫だろうか。さすがにもう魔力はほとんど無いはずだ。敵はフィンリーを害する気はなかったので殺されることはないが、フィンリー自身が明らかに無理をし過ぎだった。
しかしクラウディアはもう戻ることは出来ない。ここがどこだか分からないが、最後のフィンリーの様子から、王都からだいぶ遠いだろうことは想像がつく。
『必ず探し出して迎えに行く!!』
飛ばされる直前のフィンリーの言葉を思い出す。
迎えに…来てくれるのだろうか。
『探し出して』ということは、フィンリー自身にもどこに飛ばしたか分からないということだ。
こうなってしまった自分のことも、探しに来てくれるつもりなのか…。
いや、待っていても仕方がない。自分の力で何とかしなければ。もう、頼れる者は誰もいないのだから。戻ったところで、フィンリーとの結婚ももう出来るはずがない。
光の無くなった翡翠色の瞳で地面を見つめ、ひとつため息を吐く。
今は不思議と涙は流れない。クラウディアは一度に失いすぎた。悲しいという感覚さえ麻痺してしまっていた。
ただ何かがぽっかりと抜け落ちてしまった感覚だけが胸に残っていた。
もう、決して元の暮らしに戻ることは出来ない。それだけは嫌でもわかる。そして、一人で生きていかなければならないことも。一人で……
(……生きていく必要など、あるのかしら……)
ふと、そんな考えがよぎる。もう何も無いのだ。守るものもないし、そのために生きていかなければならないということもない。
やはり自分もあの場で一緒に死んでしまえばよかった、と後悔までしてしまう。いや、今からでも遅くない。一人きりで、わざわざ知らぬ土地で苦労して生きていくのは無駄だ。ならば、いっそのこと苦労なんてする前に…………………
『必ず探し出して迎えに行く!!』
『生きていて。』
(生きなきゃ。)
もう、結ばれることは叶わないであろう婚約者の言葉が頭に響く。
フィンリーは、クラウディアに確かに『生きていて欲しい』と言ってくれたのだ。
二度と会うことも叶わない可能性が高いが、フィンリーはクラウディアの最愛の人である。その人の思いをどうしても無下には出来ないのだ。
(とりあえず、生きて、みよう…)
そう決めたらいつまでもここで蹲っていることは出来ない。まずここがどこかを知るために、クラウディアは街に出てみることにした。
長い時間蹲っていたおかげで体力は幾分か回復している。
立ち上がり、ドレスの汚れを軽く払うと、歩き出す。
翡翠色の瞳は、少しだけ感情を取り戻し、わずかに潤んでいた。
もう空はとっくに明るくなっており、人々が活動を開始したざわめきが聞こえる。
街に出て、とりあえず質屋を探した。資金を調達したい。ドレスも汚れているし、場に合わないし、着替えたい。簡易的なドレスではあるが、あくまでドレス。平民が多く暮らしているであろうこの町には馴染まず、すれ違う人にチラチラ見られていた。たまたま首飾りを着けていたので、まとまった金額には換金出来るはずだ。それで手始めにまず服と、靴も買いたい。
そこから宿なり住む場所なりを探し、仕事も探そう。
(料理……出来るかな…。でも、これからはやらなくちゃ…)
クラウディアは自分でも驚くほど冷静に今後の計画を立てていた。
□□□
「ほう、随分といい首飾りだな。二十万ディールでどうだ。」
見つけた質屋で、そう言われた。
二十万ディールとは、平民の平均的な約二ヶ月分の稼ぎだ。いきなり手に入るには十分な額ではある。
しかし、クラウディアはやはり冷静だった。
「お言葉ですが、この首飾りは純金と宝石で出来ています。五十万ディールでも安いくらいです。」
店員が本当の価値を知らない場合もあるが、先程『二十万』と言った時、明らかににやけながらクラウディアの様子を伺っていたので、おそらく価値を知っている上で、クラウディアの若い見た目から、いけると判断されたのだろう。舐められたものだ。
こちらとて無駄に金を巻き上げるつもりはないが、大切な首飾りを売るのだ。これからの生活もかかっているし、きちんと適正価格で取引したい。
クラウディアが言い返したことにより、店員の顔色が気まずそうに変わった。
「ほ、本当に本物かぁ…?」
まだ渋るのか。一度言った手前、なかなか認めたくないのだろうが、クラウディアは少し苛ついてきた。
「あ、じゃあ!その耳飾りもってなら、もう一度ちゃんと見てやっても…」
あろうことか、さらにクラウディアの耳についている瑠璃色の耳飾りに目をつけ交渉してきた。それを聞いた途端、クラウディアは身体がカッと熱くなるのを感じた。
「この、耳飾りを、売れと?」
思ったより低い声が出た。クラウディアの雰囲気に、店員が少し怯む。
(…あ、いけないいけない…)
感情的にならないようにクラウディアはそっと耳飾りに触れ、ひと呼吸おき気持ちを落ち着かせる。
「…耳飾りは売りません。そしてこの首飾りの装飾は本物です。それともこちらのお店はこの程度の宝石の目利きも出来ないのでしょうか。ならば他のお店をあたるので、返していただけますか。」
「………………」
結局店員が折れ、六十万ディールに換金することが出来た。
実際に物を換金することは初めてだったが、目利きと相場はしっかりと勉強していたので、吹っ掛けられずに済んで良かった。多少言い過ぎたところはあるが、あちらも悪いのでお互い様だろう。
次に探すのは服だ。本当に視線が痛い。店を探して歩みを進める。
「おーい、そこのお嬢さん。」
聞こえた声になんとなく振り返ると、どうやら自分のことを呼んでいたらしく、二人の若い男性と目が合った。
「随分と珍しい格好…って、うわぁ、美人だな!」
「どうしてそんなに服が汚れてるんだ?」
クラウディアを見て驚きと喜びが混ざったような声を上げる。
見たところ悪い人達ではなさそうだ。ちょうどいい、地元の人のようだし、服のお店の場所を聞くことにした。
「見苦しいものをお見せして申し訳ございません。この服を着替えたいのでお店を探しているのですが、ご存知ですか?」
クラウディアの丁寧な物言いに男性たちは驚く。そして顔を見合せ、またクラウディアに向き直る。
「え、どこかのお嬢様?」
「見ない顔だし…一人?」
「はい。一人です。こちらに来たばかりで…」
言いかけて、男性たちが目の色を変えるのを見て慌てて言葉を止める。しかし遅かったようだ。
「え!じゃあ何か困ってるみたいだしさ!良かったら俺ん家においでよ!」
(しまった……っ)
女性が一人だと正直に言うものじゃなかったとクラウディアは後悔する。
「行く宛てないんだろ?」
「お茶でも出すよ!服は…なんとか、あるかも?」
「え、あの、結構です…」
「いいからいいから!」
男性たちは全く話を聞いてくれない。
「えっと、本当に、あのっ…」
「こっちこっち!」
突然手を引かれる。反射で振りほどこうとしたが、意外に力が強く振りほどけない。
下心はあっても悪気は無さそうだが、このままついて行くのはさすがにまずい。魔法を使うのも躊躇われるし、どうしたものかとクラウディアが困っている時だった。
「あんたたち、その子嫌がってるよ!」
「わっ!マーシャさん!?」
突然女性に声をかけられ男性二人が驚く。
「離してあげな!ただでさえ負けてあげてるのに、ここで問題起こすようならうちの店出禁にするよ!」
「うわぁっそれは勘弁!!すんませんっ!お嬢さんも、ごめんーっ!!」
男性たちは、慌てて逃げていった。少し申し訳ない気もしたが、とにかく助かったようだ。
「ありがとうございます…」
「あの子ら、根は悪いやつじゃないんだけどね。」
「はぁ…」
助けてくれたのは、見るからに気のいい中年の女性だった。少しふくよかで、短めの髪の毛を後ろで束ねている。
「実はさ、」
と女性は続ける。
「あんたのこと質屋で見かけて、若いのに店の連中と随分しっかり渡り合ってるなと思って気になってたんだよ。もちろんその格好もだけどね。」
かと思えば簡単に絡まれてる上、全然断れてないし、危なっかしくてつい声をかけてしまったそうだ。
「それは…すみません、ありがとうございました…」
一連を見られていたと思うとなんだかとても恥ずかしくなり、声が小さくなってしまった。
「見たところ、この町に来てまもない感じだね。」
「はい、あの…実はここがどこかもわからなくて。何という町ですか…?」
「はぁ〜!それはそれは、随分と事情がありそうだね。……ここはヴィレイユだよ。」
「ヴィレイユ!?」
出てきた地名に、クラウディアは思わず大きな声が出た。
(なんて遠いところへ……)
ヴィレイユという町は、国のはずれにあり、どこの領地にも属していない町だ。クラウディアは一度も来たことはないが、学んだことはある。商業が盛んで、王都には無いような珍しい店もあるらしい活発な町だったはずだ。そして、治安は良い。クラウディアは助かったと密かに息を吐いた。
(どうりで人通りも多いんだわ…)
「ヴィレイユは、いい町だよ。」
「…えぇ、来たのは初めてですが、存じております。活発な町だと。」
「…よく知ってるね。そしてえらく品がある。いいとこの娘さんじゃないのかい?本当に一人なのかい?」
「!………一人、です…」
そう言うと暗い表情で黙り込んでしまったクラウディアを見て、女性は何かを察したようで、同じように口を噤んでしまった。
暗い空気になってしまったことに気づき、申し訳なくなって、クラウディアはとりあえずもう一度助けてくれたお礼を行って立ち去ろうとした時、
「…とりあえずいったんウチにおいで。その格好のままじゃ出歩けないだろ。ついでに少し休んで行きな。」
女性が、真剣な、優しい表情でそう言ってくれた。
「…え、よろしいのですか?」
先程の男性たちと同じことを言われているのに、不思議とこの女性に言われるとお言葉に甘えたくなった。
「いいに決まってるさ。ここから近いし、ついておいで。」
「あ、ありがとうございます…っ」
「そういやあんた名前は?」
「ク………………ディア、ナ……『ディアナ』と申します。」
クラウディアはとっさに偽名を名乗った。もうこれからは『クラウディア・ウォルトン』という名前は使わない方が賢明だと判断したからだ。
「『ディアナ』ね。あたしはマーシャだよ。」
「マーシャさん。本当にありがとうございます。」
後から、とっさに言った割にはいい名前だと思った。『ディアナ』。
これからは、平民の、『ディアナ』として生きていこう、とマーシャについて行きながらこっそり覚悟を決めた。
「ふむ……」
マーシャはクラウディアを見ながら何か考える仕草をする。
「…行くところに困ってるなら、ウチに住み込みで働くかい?」
「え?」
「店をやっているんだ。あたしのお店の店員として働くことも出来る。」
今まさに住むところと仕事を探している身にとって、願ってもない申し出だ。正直そうしてもらえるならとてもありがたい。
しかし、どんな店だろうか?世間知らずなクラウディアでもやっていけるような仕事なのだろうか。ドキドキしながら尋ねてみる。
「えっと、それは、どういったお店なのですか…?」
「『準娼館』だよ。」
じゅん、しょうかん?
……『娼館』!?
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