10.公爵家の没落1
ついに、この時が来てしまいました。
少し長いです。
…どれくらい時間が経っただろう。
ベッドに入ったものの全く眠れず、クラウディアは寝ることを諦め、起きて両親を待つことにした。
寝巻きから軽いドレスに着替えたところで、ふと鏡台を見る。
そこにはフィンリーから贈られた耳飾りが置いてある。
出掛けるわけでも何でもないが、今の不安な気持ちを少しでも落ち着けようと、クラウディアはその耳飾りを着けた。
とりあえず部屋を出て広間に行こうとドアノブに手をかけたところで、違和感に気づく。
「えっ、開かない…っ」
部屋のドアが開かない。何か魔法がかけてあるようだ。
(どういうこと…!?)
それ程強力な魔法ではなさそうだが、明らかにおかしい。両親はまだ帰ってきていないようだし、誰かのいたずらとも思えない。
確実に、この家で何かが起こっている。
――――恐い。
ドクンドクンと心臓が音を立てる。
(でも、行かないと…)
この家を、守らなくてはいけない。
仮に何者かに攻撃されたとしても、クラウディアには不意打ちは効かないのだ。だから防御魔法が使える自分が前へ出ないといけない。そして、魔力量も一般に比べれば多い。加えて昔から真面目に勉強、鍛錬をしてきたので、魔法で闘えばそこそこ強い。
クラウディアは震える手をドアにかざす。
(…後で直すから、ごめんなさいっ)
心の中で謝り、クラウディアは意を決して魔法でドアを壊した。
しかし、おそるおそる廊下に出てみると、
(……静かすぎる。)
いつもは、例え夜中でも、交代で護衛や使用人がいるため、多少は人の気配がある。
だが今はそれが全くなく、静かすぎて不気味だった。これも明らかに異常事態だ。
不安な気持ちは膨らむばかりだが、今はこの家の責任者は自分だ。何が起こっているのか確かめなければならない。
クラウディアはすくむ足をなんとか動かし廊下を急いだ。
(なんで、誰もいないの…っ!)
進んでも進んでも一向に人の気配が無い。
自分の家であるはずなのに、まるでどこか知らないところへ迷い込んでしまったようだった。
進んでいるうち、屋敷を一周し、最後に庭園へ続くホールまで来てしまった。進む先が無くなり、そこで一度クラウディアは足を止める。
すると声が聞こえてきた。扉のすぐ外で誰かが話しているようだ。
急な人の気配に緊張が走る。心臓の音が邪魔をする中、必死に耳をすませ声を拾う。
(…この声、ロバート…?)
その声はロバートのものであった。身内の声が聞こえることに少し安堵する。
内容が聞こえにくいため、クラウディアは扉に近づきさらに耳をすます。
「やはり来たか…。しかし派手にやってくれた。他の者を早めに遠ざけておいて良かった。」
「なんだジジイ。一人か?」
「旦那様と奥様はいないぞ。無駄足だ。」
ロバートが知らない声の男と話している。
(何のことかしら……?)
ロバートは、男が来ることが分かっていたような口ぶりだ。しかしとても『来客』と呼べるような話し方では無い。さらに男の方はロバートが迎えていることに疑問を持っているようだ。
耳を澄まして会話を聞いている限り、ただ話しているだけで、戦闘が起きているわけではなさそうだ。
ならば、まずは自分が出て行こうと扉に手をかける。
「っ!また!開かない!!」
ここにもクラウディアの部屋と同じ魔法がかけてある。クラウディアは今度は迷わず扉を壊そうと魔法を発動した。ところが部屋の魔法より強い魔法がかけられているらしく、同じ力加減では開かず、扉がガタガタと音を立てただけだった。
もう少し魔力を強めようとした時、
「もしやお嬢様!?どうしてここに!?」
ロバートの驚く声が扉の外から聞こえてきた。
「…ロバート、これはどういうことかしら?」
「…これは…」
「あなたは無事なの?今扉を壊して私も……」
「いけません!!」
ロバートの制止の声と共に、扉の魔力が強まった。クラウディアは壊そうと魔力を流していたから、それを感じることが出来た。
これはロバートによる魔法だった。ならばクラウディアの部屋の魔法もロバートがかけたものだったのだろう。
しかし、なぜロバートが、そのような魔法をかける必要があるのか。
クラウディアを閉じ込めようとした?
それとも守ろうとした?
外の男は?
他の使用人たちは?
…ロバートは信頼出来るのか?
クラウディアの頭の中にいろいろな疑問が次々と浮かぶが、いずれにせよ、ロバートは今この屋敷に起きている事を理解しているということはわかった。
「…ロバート、これはどういう状況?」
クラウディアは少し声を低めて改めて説明を促す。
「……これは、」
「…なんだ?中にいるのはこの家の娘か?」
しかし会話を聞いていたであろう、男が反応する。
「……そうよ、ウォルトン公爵家に何の御用かしら?」
話し方から察するに、高位の貴族ではなさそうだ。招いていない客に、クラウディアは少し威圧的に答える。
すると男は信じられないことを口にした。
「潰しに来たんだよ、この家を。」
(潰しに…!?)
「潰させはしない!」
事態が飲み込めないクラウディアの代わりにロバートが答える。
「ちっ…このジジイがさっきから地味に邪魔しやがる。」
男が何やら文句を言っているが、クラウディアからは状況がわからない。危険だということはわかる。しかし、このままロバートにのみ任せる訳にもいかない。
男の様子からして、ロバートはこちらの味方だろう。そして他の使用人のことも気になる。ロバートなら何か知っていそうだし、聞き出す必要もある。
やはり、外に出るべきだ。
「ロバート!開けるわよっ!」
クラウディアはさらに強力な魔力を流し込み、扉を無理やり開けた。
「お嬢様!いけません!!」
「何がいけないの!ここは私の屋敷です!現在この家の責任者である私が出ていかなくて何になるのですか!!」
そう言って庭園に視線を移し、クラウディアは絶句した。
庭園が、燃えている。
ウォルトン家の庭師が手塩にかけて育てた木々や花が、日頃から整えられていた芝が、真っ赤な炎に包まれている。
クラウディアが気に入っていた花も、とうに燃えてしまっているようだった。
目の前の信じられない光景に息が止まる。
そしてその炎の中に佇む謎の男。この男が先程から話している男だろう。顔はフードを被っていて見えないが、只者ではない雰囲気が伝わってくる。
相手は男で、力で敵わないことは分かりきっている。それは、高齢のロバートにも同じことが言える。
しかしロバートも公爵家の執事を長年務めている男だ。魔法を使いこなせるようにあらかじめ訓練は受けている。炎を消すことは出来ないが、これ以上広がらないように魔法で抑え込んでいるようだ。
だが、扱いに長けているだけで、魔力は人並みの量しかないはずだ。ロバートの額には汗が滲んでいた。
クラウディアは自身の魔法で加勢する。壁を作り庭園全体を囲む。密閉すると爆発の危険があるため壁のみで留めた。とりあえずこれで炎は広がらない。
「へぇ、すげぇ。…うわ!」
ついでに呑気に感心する男の前にも防御膜を応用した壁を作り、すぐにこちらへは来れないようにした。
「一度中へ…っ」
クラウディアはロバートを連れ建物内に入った。
「とりあえず説明してちょうだい!」
「……申し訳ございません…」
「謝罪はいいの!とにかく今の状況を説明して!」
明らかに顔色の悪いロバートがクラウディアに急かされ重い口を開く。
「……実は、」
ロバートは、最近ウォルトン家が狙われている経緯を調べていた。
やはり尻尾は掴めないが、昨日、どうやらクロードとメリッサ二人の命を狙いに、この屋敷が襲われるであろうことがわかった。急いで二人の元へ使いを出したが、それと入れ違いに馬車の故障の連絡が入ったという。
クラウディアには心配かけまいと何でもない風を装ったが、一応クロードとメリッサの元へは追加で応援を送っている。それに、この屋敷が襲われるとしたら、二人はいない方が逆に安全だとも言える。そのためロバートは落ち着いていたのだ。
そして、闘うことの出来ないメイドや他の使用人は屋敷にいない方が良い。ロバートが適当な理由をつけて遠ざけたのだという。
クラウディアのことも出来れば遠ざけたかったが、誤魔化しも効かないだろうし、クラウディアはいざとなれば魔法で自分の身を守ることくらいは出来る。
とりあえず、少しでも危険から遠ざけるために、クラウディアの部屋のドアは簡単には開かないようにしていた。
一連の経緯を聞いて、クラウディアは目が回るような感覚に襲われた。
そして同時に、それだけ重大な情報を自分に教えてくれなかったことが、『まだ子どもだ』と言われているようで、悲しかった。
(教えてくれていれば、もっと早くから協力出来たのに…っ)
しかしそう思う反面、不安な気持ちで心配するだけで、両親やロバートに任せて何もしていなかった自分にも嫌気がさした。
だがもう起こってしまっていることはどうしようもない。
今の状況ではクラウディアの力も必要であるはずだ。
「…わかりました。これまで何も出来ず申し訳なかったわ。今から私も、…遅いけれど、この家を守ります。」
「お嬢様…」
「そのためにはまず、外の男をどうにかしましょう。そして、外にも助けを求めないと。おそらく私達二人だけでは対抗できないわ。」
それとも、逃げた方がいいのだろうか?
いや、屋敷に入られて何もかも消されても困る。庭園は修復出来ても、屋敷の中に保管してある様々な情報は、消失すれば修復は出来ないし、盗まれても困るものだ。
やはり、逃げることはせず、やれるだけやってみようと決めた。
「…私は防御に特化しているから、私が前に出るわ。ロバートは、状況を見て私に指示を。」
クラウディアはそう告げると、もう一度扉の外へ出ようとして――その時、ふと何かが抜け落ちる感覚がした。
「!!」
――この感覚は、ウォルトンの血を継ぐ者なら知っている。
(…これは、屋敷の防御膜が無くなった……?)
常時張っている防御膜が無くなった感覚だった。防御膜を張れる者は、直接魔法をかけた者でなくても、その防御の範囲にいる場合は感覚でわかる。
そして、それが無くなる理由は3つしかない。
何かしらの攻撃を受けた場合、もしくは魔法をかけているクロード本人が魔法を解いた場合。そして、本人が魔法をかけられない状態――つまり命の危機である場合だ。
現在、異常事態ではあるが、屋敷に攻撃を受けた様子はない。ということは……
いっきに血の気が引いた。
(まさか、お父様……?)
心臓の早い鼓動と冷や汗が止まらない。
…いや、そんなことは有り得ない。
襲われているのは、この屋敷なのだ。
首を振り、必死に自分に言い聞かせる。
そう、気づかない間に攻撃を受けたのかもしれない。そう、きっとそうだ。
そしてクラウディアは拳を握り、目の前の事態に集中する。
とりあえず屋敷に自分の魔法で防御膜を張り直し、扉を開け敵に向き合う。
「お嬢様……?」
顔色の悪いクラウディアを見て、ロバートが心配そうに声をかける。
「……問題ないわ。この状況をなんとかしましょう。」
「この家を潰すと言っていました。つまり狙いは旦那様と奥様でしょう。だから無理に闘う必要は無いと……っ」
「公爵夫妻がいないのは、予定通りだ。」
「!?」
クラウディアが作った壁を壊した後も大人しく待っていた様子の男が、当たり前のように答える。
「予定通り…?」
「公爵夫妻がいないことは知っていた。その上でここに来た。」
つまり、両親が狙いではないということか。じゃあ屋敷自体を潰すことが目的なのか。それとも、
「お嬢様か…?」
狙いは自分なのか。そう思うとクラウディアの体が強ばった。しかし男はうーん、と頭をかいている。
「娘は、捕らえても、殺してもいいと言われている。」
男はなんてことないように言ったが、クラウディアは背筋が凍った。
『殺す』と明確に言葉に出され、いっきに恐怖が押し寄せる。
「お嬢様は、絶対にお前らの手にはかからせない!」
「だから、それはどっちでもいいんだって。」
「何が言いたい?」
ロバートが怪訝そうに聞き返す。クラウディアにも全く意味がわからない。
「わかんないかなぁ〜、俺らの狙いは、あんただよ、ジジイ。」
「!?」
男はわざとらしく大きなため息をついた。
「もし公爵夫妻が潰れても、執事のあんたがいれば娘だけでも問題なく跡を継げるだろ?それじゃあこの家を潰したことにはならない。」
「……」
「まぁ、娘も殺しゃあ跡を継ぐもクソも無いがな。娘はどっちかというと生かして欲しいようだし?殺すのは最終手段だ。」
「そ、それは、誰に……」
恐怖で震えが止まらないまま、クラウディアは男に問う。
男はにやりと笑い、
「教えるわけねぇだろ。」
耳元で男の声が聞こえたかと思うと、ロバートが倒れていた。
「ロバート!?」
クラウディアは慌ててロバートに駆け寄る。刺されたのか、腹部から血が流れている。
(全然見えなかった…!!)
「あーぁ。これだから実戦経験のないお嬢サマは。大人しく立てこもっとけば良かったんだ。ま、そうしても時間の問題だったけどな。」
男の笑い声が響く。クラウディアは必死にロバートの止血を試みるが、服でおさえても、魔法を使っても動揺してしまって上手く出来ない。
(悔しい、悔しい、悔しい……っ!!)
自分の迂闊さと、未熟さに涙が溢れてきた。
勉強もマナーも魔法も、優秀だと思っていた。いや、確かに優秀ではあった。
しかし、肝心な時に、何の役にも立たないではないか。
いかに自分が箱入り娘だったのかを痛感した。
「ロバート、ロバート…っ!」
なんとか溢れる血は止まったものの、ロバートの顔色は真っ白だった。
「お嬢様……こんな爺のことは、もう捨て置いて、逃げて、ください…」
「喋っちゃダメ!!」
とにかくロバートを屋敷の中に入れようと必死に担ぎあげる。しかし、人ひとり運ぶだけだというのに、重くてなかなか運べない。クラウディアの目からはまた涙がぼろぼろと溢れた。
「かーわいいねぇ。」
フードの奥から、男の赤い目がクラウディアを捉えた。体が強ばり恐怖で動けない。しかし男の表情は笑っている。
「殺したことにして、俺が連れて帰ろうかな。」
「!?な、…」
その瞬間、馬が男との間に飛び込んできた。
「!何だ?」
男もさすがに驚いた様子で飛び退いた。
「お嬢様!!!!」
クロードとメリッサの一行の方にいた護衛が、馬に乗ったまま飛び込んできたのだ。
「緊急事態です!!!!」
一瞬助けかと思ったが、飛び込んできた護衛の顔は青ざめている。
「!!この状況は…!?ロバート様!?…っお嬢様!!」
クラウディアはすぐに嫌な予感がした。
聞きたくないと体全部が叫んでいる。
「…やめて…聞きたくない……」
絞り出すようなクラウディアの声は、焦っている護衛には当然届かない。
「旦那様と奥様が――――――」
無情にもそれは、クラウディアが一番聞きたくない報告だった。