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32.此花桜子の逆襲

挿絵(By みてみん)

【兄と妹の漫画談義(1/2)】

 ある日の夕食後、遼太郎が桜子の部屋をノックした。


 近頃、桜子と遼太郎は夜、よくお互いの部屋を行き来する。だらだらとおしゃべりをしてたり、一緒にお菓子やアイスを食べたり、二人で何てことのない時間を過ごすのがちょっとした習慣になっている。


 まあ、年頃の兄妹にしてはとても仲がいい、と言っていいだろう。



 その夜の遼太郎の用件というのは、

「桜子―、少コミ新しいの買ったー?」

というものであった。

 少コミ、とは少女コミックという漫画雑誌のことで、記憶を失くす前の自分は毎号買っていたらしく、桜子は部屋にあるのを読み、惰性で最新号を買ってあった。

 以前から兄妹で雑誌をトレードする習慣があったようで、桜子も遼太郎にジャンプやマガジンをお下がりしてもらっている。


 桜子は凶器になりそうな分厚い雑誌を差し出し、

「ていうか、お兄ちゃん、少女漫画も読むんだね」

「まあな。お兄ちゃんは少女漫画から耳鼻科の待ち合いのフリテンくんまで、漫画と名のつくものは何でも読むぞ」

受け取りながら言う通り、遼太郎はかなりの漫画好きらしく、部屋には雑誌が積み重なっている。単行本はキリがないから集めないそうだが、本棚にはアメコミのコレクションが並んでいるから、結構な筋金入りだ。


 さて、お目当ての漫画雑誌をゲットした遼太郎だが、部屋を立ち去ろうとしてふと振り返り、桜子に向かってこう言った。

「けど……この雑誌って、結構エロいよな?」

「うあ?!」

桜子の顔が、瞬時に赤くなった。


 確かに……少コミは、ちょっとエッチいかった。



 少年漫画にも“エッチなシーン”はある。


 女の子のパンツやおっぱいがチラリポロリ、という手のやつで、エッチはエッチなのだけど、コミカルな感じで描写されているのがほとんどだ。

 というのは、少年誌での“エッチなシーン”は、ストーリーの本筋から外れた俗に言うサービスシーンで、しかも、お約束でいわゆる“お胸の先の方”は書き込んじゃいけないことになっている。


 一方少女漫画は、ジャンルが“恋愛物”である割合は、少年漫画に“能力バトル物”が占める割合と同等だ。

 テーマが恋愛であるからして、少女誌の“エッチなシーン”はその延長線上にあって、少年漫画に比べてシリアスであり、生々しい。作品によっては“最後まで致してしまう”場合もあって、パンチラで喜んでいる少年漫画とはワケが違う。

 その上、読者コーナーに、ウソかマコトか“体験談”が投稿されたりしているものだから、桜子なんかは読んでいて目を回すこともあるくらいだ。


 よくわからないが、少女誌は少年誌より、対象年齢に対して“そーゆーこと”への規制が緩いようであって……



 その辺りの事情を、実際読んでいる遼太郎は心得ている。焦って赤くなっている桜子にニヤッと笑い掛けると、

「お前もそろそろ、そーゆーのに興味の出てくるお年頃かな?」

桜子はますます耳を熱くして、

「ち、違うし! あたしは純粋に漫画の内容を読んでるだけだし! それに、この本買ってるの、あたしじゃなくて“桜子”だし!」

過去の自分に罪をなすりつけようとしたが、

「“桜子”はお前だろ」

「ホントだ!」

遼太郎に言われて撃沈した。


 それでも歯をむいて威嚇する桜子に、遼太郎はフッと笑うと……



 つかつかと戻って来て、桜子の頬に手のひらを当てると、スッと“俺様”モードのキメ顔を桜子の鼻先まで近づけた。

「……しょうのない、オマセなハニーだな」

「はわあっ?!」

ハニー!? ダセえ! けどカッコイイ!


 ガチ少女漫画の王子様と化したお兄ちゃんに、桜子は本気で心臓が早鐘を打つ。漫画の中の“そーゆーシーン”が、脳内スライドショーに再現される。


(来月号、あたしの“体験談”が載っちゃう……?)


 しかし遼太郎はニッと表情を崩し、ぽんぽんと桜子の頭を撫でて、

「じゃ、そーゆーことで。漫画借りてくぞ」

ドアの前で振り返り、飛んできたクマさんをぱしっと受け止めると、

「アディオス、マイ・ハニー♪」

揃えた人差し指と中指を額の前で振り、床にスンッとした顔のクマさんを置いて、悠然とパタンとドアを閉めた。



 遼太郎が去った後、桜子は椅子から崩れ落ち、床に両手をついた。

(悔しい……っ!)

遼太郎にエッチ扱いされたのも、手玉に取られたのも、二重の極みに屈辱だった。何で漫画貸してやって、こんな辱められないといけないんだよ……!

(此花遼太郎、赦すまじ……)

桜子はばっと顔を上げて、兄の去ったドアを見つめた。


 フクシュウスルハ、ワレニアリ――……


 このままで済むと思うなよ、お兄ちゃん……!




 **********


 というわけで、翌日学校から急いで帰った桜子は遼太郎の部屋にいた。いつも通りなら、遼太郎は桜子から、だいたい30分遅れで帰宅する。

(その30分で、お兄ちゃんに逆襲を仕掛けてやる!)

お兄ちゃんの部屋からエロいモノを見つけて、からかい返してやるんだ。もう、“高木さん”くらいからかってやるんだ。



 私は妹だ……此処はお前の部屋だ……誰が少コミを借りろと願った? 誰がイジってくれと頼んだ? 私は私をエッチい呼ばわりした貴様を恨む……!


 だからこれは、攻撃でもなく宣戦布告でもなく……


 あたしをからかったお前への、逆襲だ……!(♪デデデーン、デデデーン、デデデーン、デデデデデーン、デーン!)



 留守中に妹が自分の部屋を家探しする。世の兄なら、想像するだけで戦慄を免れない状況を、支配するのは桜子ちゃんだ。止められる者は誰もいない。


 始めて忍び込んだ時はドキドキだったが、もう遼太郎の部屋は毎晩行き来していて、慣れた場所だった。桜子はきょろきょろ部屋を見回し、

(パソコン……はデータ消しちゃうと大変だし、本棚……も大事な本とか勝手に触ったら怒らせちゃうかもだし……)

復讐者(アベンジャー)と化しながらも、遼太郎が本当に悲しむことはしたくなかった。そこで桜子が目をつけたのはベッド下のスペースだった。


(よく、ベッドの下にエッチなものを隠すとか言うよね……)


 思慮深く冷静な遼太郎なら、ガチで見られたくないものは、机の抽斗(ひきだし)に自動発火装置でも仕掛けて隠すかもしれない。まあ、まずは小手調べ。床に膝をついてベッド下を覗き込むと、漫画雑誌が何冊も重ねて押し込まれている。

(こういうのの……後ろに……“お宝”が……)

積んだゲーム誌やらホビー誌の間に手を突っ込み、奥の方から手に触れた雑誌を引っ張り出すと……



 快楽天。


(何か、それっぽいのあった)



 桜子は発見した雑誌を膝の上に乗せた。表紙は、可愛らしい女の子の絵だ。ただし、肌色分がかなり多めではある。

(えーと……とりあえず、中を確かめないとだよね?)

桜子は小首を傾げ、ぱらり、適当なページを開いた。


 次の瞬間、桜子の頭が爆発した。

(おたからまんちんっ!)

めっきらもっきら、どーん、どーん。


 “そーゆー本”でした。



 遼太郎への復讐のはずが、カウンタートラップに喰いつかれたのは桜子の方だった。その本に載っている漫画の絵柄、描かれている女の子は、どれも可愛らしかった。ただ、どの女の子も服を着てなくて、そして……


(こ、“こんなところ”が“こんなこと”にっ……?!)


(こ、“こんなところ”に“こんなこと”をっ……?!)



【桜子さんの保健体育の知識がアップデートされました】



 本の内容は女子中学生には刺激が強過ぎた。それは漫画というのにあまりにもエロ過ぎた。エロく分厚く重く、そして大雑把過ぎた。それはまさにHENTAIだった。

(頭がフットーしそうだよお……///)

桜子さんの記憶のない頭の中に、“誤った知識”が急速に流れ込む。

(♪頭空っぽの方がー、夢詰め込めーるうー)

桜子さんはヘッチャラではなかった。むしろスパーキングしていた。


 そして大混乱のまま読み進める雑誌の、捲ったページに――……

『お兄ちゃんに“恋”するのって悪いこと?!』

そんなタイトルのお話があった。



 桜子は、漫画のページをぱたんと閉じた。真顔に戻り、右手を握って口元に当てて、首を少し傾げる。

(ほう、興味深い……)

タイトルから推測するに、これは“お兄ちゃん大好きな妹”視点のストーリーと思われる(明察)。


 桜子がおもむろにページを捲ると……




 **********


 主人公、●学生|(そういう表記になっている)のユウは、血のつながったお兄ちゃんが好き……そう、“恋愛対象”として見ている。


『でも、こんな気持ち知られてしまったら、お兄ちゃんは私のことキライになるかもしれない……(モノローグ)』


 言いたい、でも言えない。そんな甘く切ない感情を小さな胸に、ユウちゃんは何も知らないお兄ちゃんの一挙一動にドキドキしてしまうのだった……



 桜子はまだ1ページ目にして、キュウウンと胸が絞めつけられた。

(わかる……わかるでえ、ユウちゃん……ツラいよね? お兄ちゃんに“恋”するのって、あたしは全然“悪いこと”じゃないと思うよ!)

桜子は真剣になって、エロ漫画の主人公に語り掛ける。

(これは……20巻くらいは続きが描ける純愛物語だわ……)

しかし1話完結がほとんどのエロ漫画は、10数ページで結末を迎える。ゆえに展開はご都合主義にして性急、そして基本的に“不純”なオチがつく。


 思い余ってお兄ちゃんの部屋に忍び込んだユウは、ベッドに寝転んで、

『お兄ちゃんの、匂いがするよう……』

その、いわゆる“お独り様”を……


 自分もお兄ちゃんのベッドの前で正座している桜子は、

「んなあ……///」

と変な声が出た。いや、それ(・・)はしないけれど、ある程度の身に覚えがある。本を持つ手に力が入り、気をつけないとページを破り取ってしまいそうだ。

 桜子は心臓が破裂しそうになりながら、きょろきょろ周りを見回し、思わずお兄ちゃんの枕を取って抱き締めた。

(……VR……っ!)

最低のダメ4DXである。



 そしてストーリーを結末へと急展開させるべく、当然のように、そこへ”ユウのお兄ちゃん“が入って来て”現場“を見つかってしまう。

(ひやああああ……ユウちゃん、どうなっちゃうの……?!)


『な、何をしてるんだ、ユウ?!』『お、お兄ちゃん……!』

(頑張って、ユウちゃん! あたしがついてるからっ!)


『私っ、お兄ちゃんのことが好きなのっ!』

(言ったあ! どうするの、“お兄ちゃん”っ?!)


『ユウ……俺も、お前のことが……』『お兄ちゃん……!』

(やったあ!)


『ユウ……』『ん……はあっ……ああっ……』

(ヤッたあ?!)


 その後の展開は、“そーゆー漫画”ですので、当然 “そーゆーこと”になるわけでございます。


 すっかりユウちゃんに感情移入していた桜子は、何だか“知ってる子”の“そーゆー場面”を覗き見しているような気分で、焦ってページから目を背ける。

 と、体の奥にじわりと、自分の知らない “熱”が存在することに気づいて、桜子はますます狼狽した。

「イ……イケません。それは、●学生にはまだ早過ぎますう……///」



「何が早過ぎるって?」

「きゃああああっ?!」



 突然の声に振り返ると、いざという時に速やかに脱出できるよう、開けたままにしていたドアのところに遼太郎が立っていた。漫画に夢中になっていた桜子は、遼太郎が帰宅した音に気づかなかったものらしい。


 自分の部屋で正座している桜子に、遼太郎は険しい顔をしている。

「お前、勝手に人の部屋に……って、それ?!」

(ひいいいいいいいいい!)

手にしたエッチな漫画に、もはや何の言い訳ができようか。桜子は火が出そうな顔と、お腹の中の変な熱さに、完全に頭が真っ白になる。

(こ……これは……)


 まさに、『お兄ちゃんに“恋”するのって悪いこと?!』と同じ展開……!



(て、ことは……まさか……まさかあ……?!)




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