２３．桜子、危機との遭遇
【恋人ごっこ（４／６）】
映画には満足し、ランチも満喫したが、
「まだ早いし、わざわざ電車で来たんだ。ちょっとブラっとしていこうぜ」
遼太郎がそう言って、桜子の楽しい時間はまだまだ終わらない。
モールはかなりの敷地面積があり、ショッピングはもちろん、アミューズメント施設も充実している。遼太郎が訊く。
「久しぶりに来たし、新しい店舗も入ったらしいぞ。桜子はどこ見たい？」
可愛い雑貨屋さんやら服屋さんやら、女の子の好きそうな店舗がずらりと並んでいるが、いったい自分が何に興味があるかさえ、記憶のない桜子にはわからない。
「おに……遼君、あたし、ここに来たことがあるの？」
と、遼太郎がギクッとした表情をして、桜子は（しまった……）と思った。
「そうか……覚えてないんだな。ああ。家族で何回か来たことがあるよ」
遼太郎がちょっと辛そうに見えて、桜子は慌てて両手を振った。
「そこ、気にしないで！ 記憶がないことは、平気なわけじゃないけど、あたしには辛いことばっかりじゃないから！」
そう、桜子にとって本当に辛いことは……
「折角、大好きな人と遊びに来てるのに、そんな顔されると、困る……」
「桜子……」
「今のあたしには、初めての場所、新しい思い出、それでいいんだ。だから今日一日、遼君が楽しい思い出で桜子を塗り替えて……？」
恋人ゲームなのか、妹としての本心なのか、いずれにしても遼太郎は、桜子のいじらしさにグッと胸が詰まる。ランチの時の心境から距離が縮まったか、遼太郎はごく自然に桜子の手を取った。
「桜子……」
「遼君……」
「あー！ 桜子じゃーん？！」
聞き覚えのある声に、桜子の心臓がドッキーンと胸の中で跳ね上がった。恐る恐る振り返ると……
サナとチーが、何とも言えない顔をして、二人を見て立っていた。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
見られた……最もマズい相手に、見つかりもうた。桜子は目も頭もグルグル回って、完全に思考を停止した。
サナとチーはてこてこと駆け寄って来て、問答無用、言い訳不能、ぎゅっと手をつないでいる兄と妹の前に立った。
「何だよ、桜子もモールに来てたのかよ」
「一緒だったんじゃーん」
サナとチーがそう言ったことには、実は桜子は今日二人に遊びに誘われていて、用があるからと断っていたのだ。
“用”のところは濁していた。まさか、
「お兄ちゃんと遊びに行くから、行けないの。ゴメンね」
とはさすがの桜子にも言えない。
それが、よもやの“現地集合”……！
現れたＪＣ二人組を見て遼太郎は、
「ああ、桜子の友達の……」
凡その状況を察したが、パニックの桜子は目を渦巻きにしたまま、
「こんにちわー」
「ねえ、桜子。その人って……」
興味津々な親友達に向かって、大声で、
「彼氏！ この人、あたしの彼氏っ！」
（こいつ……“友達”の前でブチかましやがった……ッ！）
驚愕する遼太郎をよそに、桜子は制御不能の暴走状態に陥っていた。
ツッコむ前に自爆した桜子に、サナとチーは顔を見合わせ、キラキラした目で詰め寄った。
「もしかして、桜子の言ってた“好きな人”？！」
「桜子、紹介しろー！」
同年の女子ともまた違う、中二女子のどこか子どもっぽさの抜けないキャピキャピした感じに、遼太郎は閉口する。
桜子はそれどころではない。会ってはならない、見られてはならない、知られてはいけない相手との遭遇に、
「えーと、あの、“遼君”！ あたしの彼氏の遼君！」
顔を真っ赤っかにして、人の名前を連呼する。
（この期に及んで、”恋人ゲーム“を完遂する気か、こいつ……？）
遼太郎は息を飲む。ケーキ惜しさではないだろう。これはいわゆる、完璧にテンパってるというやつだ。
桜子の友達ズはきゃあきゃあ言いながら、遼太郎にまとわりついた。
「初めまして、遼君さんー。アタシ、桜子の友達のサナでーす！」
「チーでーす！ 遼君さん、私達より年上ですよねー？」
「ああ、まあね……（“遼君さん”？）」
タジタジになる遼太郎をよそに、中学生女子は更に盛り上がる。
「すごーい、桜子―！ 年上の彼氏―！ 高校生？」
「う、うん、そう……」
「手えなんてつないじゃってさー、ラブラブじゃん！」
桜子が笑顔で汗をダラダラ流しながら、さらなる深みにハマる。
一問一答、自問自答。自縄自縛、あたし自爆。出前迅速、落書き無用……！
熱暴走する桜子を見かねた遼太郎が、助け船に“恋人ゲーム”の一時中断を口にしてやろうとする、が……
「そーだよ！ あたしと遼君はラブラブだし！ こーやって、腕なんか組んじゃうんだし！」
先走った妹が、兄の腕にぎゅうとしがみついた。
「おいっ……！」
遼太郎の二の腕に、ふにっと柔らかいモノが押しつけられる。ちょ……妹よ、それはマズくないか……？
これを見てサナはヤバッという顔をしたが、チーはキラーンと目を光らせる。
「桜子ってば、ダイターン！」
チーは猫のような目をして、意地悪な笑みを浮かべる。
「そんだけラブラブだとさあ、やっぱもうチューくらいは済ませてるよねえ？」
「チュー……ぅっ？！」
互いに見つめ合っていた遼太郎と桜子が、同時にチーを振り返った。肉食系小動物女子は、ワッルい顔でニマーっと笑っている。
「あれれぇ？ もしかして、まだだった？」
「し……してるし！ チューくらいしてるし！」
完全に動顛しているのか、桜子は遼太郎に押しつけたまま、ぐいぐいと腕を引っ張る。
「っと、と……」
バランスを崩して身を屈めると、遼太郎の目の前に、桜子の顔があった。
「いつもしてるし……してみせるし……」
桜子の真っ赤な顔が、すっと近づいてきた。それも正面から。
（さ、桜子の奴……口にする気か……？）
「お、おい、桜子ヤメ……」
「りょ……遼君……っ」
スパーン！ 小気味いい音が、ショッピングモールに響いた。
ハッと我に返り、弾かれたように身を離した遼太郎と桜子が見たのは、必殺のチョップを構えたサナと、煙の上がる頭を抱えたチーの姿だった。
「調子に乗り過ぎだ」
「いたた……ゴメーン、桜子があんまり面白いもんだから、つい……」
ポカンとする桜子に、サナが申し訳なさそうな顔で言った。
「あのさ、桜子……」
「アタシとチカ、桜子のお兄ちゃん知ってるよ……？」
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
……もきゅ？
しばし何を言われたかわからずきょとんとしていた桜子だったが、バッと遼太郎を見ると、
「いや、早苗ちゃんと千佳ちゃんだろ？ 知ってるよ。会うのは久しぶりだけど」
チーを見ると、
「そりゃ、桜子とは小学校から一緒だし、何回も家遊びに行ってるし」
サナを見ると、こくんと頷く。
（え……うえええええっ？！）
ボンッと首から上で水蒸気爆発を起こした桜子をよそに、チーが、
「マジ久しぶりっス、“桜子兄ちゃん”。ちょっと見ない間に、何かめっちゃカッコ良くなってないっスか？」
（あああああああああああああっ！）
「そうそう、その呼び方。二人とも感じ変わって最初はわからなかったけど、こうして見ると早苗ちゃんと千佳ちゃんだわ」
（あああああああああああああっ！）
「昔はゲームとかしてよく遊んでもらったよなー、“桜子兄ちゃん”」
（あああああああああああああっ！）
悶絶する桜子を置いて、久々に会った兄と友人が旧交を温めている。
（いっそ……殺してくれ……！）
確かに電車の中で遼太郎に無自覚に褒められまくって、「もし、今日死んじゃってもまあいいかなあ」とは思ったけど……
兄と親友達が、徒党を組んであたしを殺りに来る……！
と、サナとチーが不意に真顔に戻り、二人して桜子の方を向いた。
「それはそれとして、桜子……」
「何で”お兄ちゃん“と恋人同士のフリしたワケ……？」
（あ、ガチな方で殺しに来た）
素の顔でじーっと見てくる友人ズに、桜子は頭に上った血の気が一気に引いた。
（すごーい……君達は、“桜子絶対殺すマン”なフレンズなんだね……？）
桜子は、サナとチーの遊びの誘いを断った。そして、“実兄と手をつないだイチャコラ状態”で捕獲された。もはや言い逃れはできない。
（桜子ちゃん、良くて“お兄ちゃん大好き妹”、悪くて……）
桜子が困り果ててもぐもぐと口ごもっていると、
「あ、それは俺から言い出したことで」
遼太郎はというと平気な顔で、兄妹で出掛けているのを人に見られたら恥ずかしいので、“恋人のフリのゲーム”をすることになったくだりをしゃべる。
「やっぱケーキが懸かると、女の子は必死になるんだなー」
「あーそーだったんスね」
呑気なことを言う遼太郎に、サナとチーは一応状況は理解したが、
（えっ？ じゃあケーキのために、私達の前で“お兄ちゃんにチュー”しようとしたの、桜子……？）
サナは唖然として言葉が出ないが、チーの方が果敢にも切り込んだ。
「いや、そもそも何で兄妹で仲良くお出掛けしてるのさー！」
「それは俺が桜子に頼んで、付き合ってもらってんだよ」
桜子は自分も混乱して兄と友達の間できょろきょろしているが、遼太郎はしれっとしたもので、
「俺さー、服とかあんま気にしない方でさ。さすがに高校生にもなってどうかってんで、恥ずかしながら妹に相談して、今日の服も桜子が通販で見立ててくれたんだよねー」
これを聞いたサナとチーが、ようやく納得顔を見合わせた。
「あー……確かに桜子、桜子兄ちゃんダセえっていつも言ってたもんな」
「え、いつも言われてたの俺？」
「言ってた言ってた、記憶なくなる前。けど、今日はカッコイイぜー」
覚えてもいない暴言を暴露され、桜子は内心更に穏やかではない。
だけど、何だかわからない内に、全部お兄ちゃんが自分を落としてかばってくれた。嬉しさで胸が詰まる桜子をよそに、遼太郎はこともなげに笑っている。
「だろ？ それで一回一緒に服見てもらいたくてさ、桜子に無理言ってついて来てもらったってわけだ」
そう言うと、チーがプッと吹き出す。
「それは桜子兄ちゃん、ダサさ筋金入りっスねー」
「はは、言うなあ、千佳ちゃん」
悪意のないイジりだったが、不意に、桜子が遼太郎とチーの間に割って入った。
「お兄ちゃんは、ダサくなんかないよ……」
桜子の背中越しのサナとチーの顔が、ビクッと引きつる。
（……鬼じゃあ！ 鬼がおる！）
遼太郎からは表情の見えない桜子と対面するチーが、慌てたように手を振った。
「うん……桜子、冗談。冗談だよ……？」
「……？」
よくわからないが、妹達の間に何かしらの緊張感が走っているようだった。
ともあれ遼太郎は、桜子の背中に声を掛けた。
「で、どうする、桜子？ 早苗ちゃん達に会ったんだ、昼も食ったし、何ならここで別れてもかまわないぞ」
「え……？」
桜子がギクッとして振り向くと、
「て言うかさ、折角だから桜子兄ちゃんも一緒に遊ぶのどうよ？」
後ろからサナが言った、が……
「うん……それもいいよね……」
そう答える桜子の顔を見て、サナとチーが、素早くアイコンタクトした。
「と思ったけど、桜子、君には重要な使命がある！」
「“恋人ゲーム”を完遂し、見事ケーキをゲットするのだー」
二人はニッと笑って、パタパタと逃げるように離れていき、桜子と呆気に取られる遼太郎をくるっと振り返った。
「二人のラブラブデート、これ以上邪魔すると悪いもんな！」
「ゲームの結果、学校で聞かせろよなー！」
桜子が少し二人を追い掛け、握り拳を振り上げた。
「もうっ、何言ってるんだようっ///」
どこか弾んだ声の、桜子の表情はさっきと同様遼太郎からは見えない。何だかワケのわからないまま、ＪＣのパワーに翻弄され、遼太郎は自分がちょっと老け込んだような気がした。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
早足に桜子兄妹から離れつつ、サナとチーは前を向いて目を合わせなかった。
「ねえ、サナ……」
「何、チカ……？」
「桜子と桜子兄ちゃん、“お揃いのパーカー”着てたよね？」
サナは返事をしなかった……気づいてるよ、言うなよっ。
「恋人ゲーム、めっちゃガチだったよね……？」
「そーだな……」
「ねえ、サナ……」
「何、チカ……？」
「桜子の言ってた、“記憶なくしてから会った、好きになった人”ってさ……」
「そ、そんなワケないじゃん……」
それ以上二人は何も言わず、ショッピングモールをすたすたと並んで歩く。
（まさか……ね……？）
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
嵐に巻き込まれたような気分だった。
（♪いつーもすぐ傍に）
いるのは、こちらも疲れ果てた様子の桜子の背中だ。
「良かったのか？ つーか、早苗ちゃん達と約束があったなら、別に俺の方は断ってくれても良かったんだぞ？」
遼太郎がそう言うと、桜子は振り向かないまま……
「あたしは、お兄ちゃ……遼君とお出掛けしたかったんだもん」
そう言った桜子の表情は、やっぱり遼太郎からは見えない。けど声の調子から、桜子がどんな顔をしているか、遼太郎にはわかるような気がした。
遼太郎が人差し指で鼻と口の間を擦りながら、
「じゃあ、ゲーム再開といきますか」
そう言うと、
「……うんっ///」
桜子がニッと笑いながら振り向いた。遼太郎がごく自然に手を差し出すと、桜子がごく当たり前のようにきゅっと握る。
「けど……意外とハードだな、このゲーム」
「それね」
特に桜子の方は、週明け学校でサナ＆チーが待ち構えているかと思うと、既に背中に変な汗が噴き出そうになる。けれど……
月曜は月曜、今日という日はまだまだ終わらない。
ずっとこのまま、今日が続けばいいのになあ――……
