3
高校時代のテトツの教師、ザオク・サヨブシカがある日、突然、「ベプ貿易」の本社ビルを訪れたのは、1年半ほど前のことだった。テトツは高校卒業以来、ザオク先生に会うのは初めてだったが、彼のことは覚えていた。それは、学生時代を通じて、テトツが一番反感を抱いた教師が、他ならぬ彼だったからだ。
テトツがザオクから受けたのは、世界史の授業だったが、授業が始まると毎回、ザオクは黒板に向かい、教科書の要点やら、覚えておくべき年号や人物名、歴史的な出来事などを、一気呵成に書き込む。生徒は一心不乱に、それをノートに転記するのだが、それが終わるまでに授業の半分が経過する。
そして、残りの半分はザオクの独演会だ。話は戦争批判やら、天皇制批判、政治批判など。中でもテトツの心に残ったのは、ザオクが語る、先の大戦でどれほどミス国が、他国で悪事を働いたのか、という話だった。大陸で何十万もの民間人を虐殺したり、細菌兵器のための人体実験をしたりの話に、テトツの心は揺れ動いた。
「久しぶりだな、テトツ君。君のような立身出世した生徒に再会できて、うれしいよ。実は君に是非とも頼みたいことがあってね」
ザオクは既に教師を退職し、現在は平和運動家として執筆業などの活動しているという。彼が依頼して来たのは「護憲国民連合」という、新組織の発起人の1人になってほしいということだった。
「今、ボセニカ政権が憲法を改悪し、このミス国を再び戦争へと導こうとしている。それを何とかして止めなくてはならんのだ」
テトツは老いても昔の情熱そのままのザオクを見て、忘れていた高校時代の感覚に一瞬囚われそうになったが、敢えて言い放った。
「申し訳ありませんが、もう戦争孤児の時代は終わったんですよ」
テトツの言葉にザオクは、同じくらいの大きさの声で反応した。
「何だね、君の言う、戦争孤児とは?」
テトツはザオクを見据えて言った。
「あなた方と少し前の世代の方々が、国家の犠牲になり、国家に裏切られたことは承知してます。そして、二度とこの国が戦禍を被ることのないよう、戦争の悲惨さを訴え、この国の残虐性を訴えて来たのも分かります。でも、その結果はどうですか。今のこの国は、憲法が変わっても、領土問題さえ解決できない、戦前と同じ風通しの悪い無責任国家ではないですか。国家のせい、当時の大人のせい、というだけのあなた方世代を、私は総称して戦災孤児と言うんです」
するとザオクは顔を真っ赤にして反撃した。
「君は戦争の悲惨さを知らないから、そんなことを言えるのだ。私は平和国家が維持できれば、何と言われようが構わないよ」
テトツは続ける。
「他国に守られ、自らも軍備を持つ国の、どこが平和国家ですか」
ザオクは教師の顔に戻り、諭すように話した。
「だからこそ、平和憲法なのだよ。憲法9条があるからこそ、この国は世界の尊敬を集めている。これを断じて変えてはならんのだ」
「そんなのは幻想ですよ。何が世界からの尊敬ですか」
2人はその後も折り合わないまま、ザオクは帰って行った。
テトツがザオクが亡くなった、という知らせを受けたのは、それから半月ほど後のことだった。テトツはザオクの葬式に顔を出したが、ザオクの急死にテトツの心は重かった。
「ザオク先生、待っててください。あなたと私、どちらが正しいのか見極めたら、私もすぐに行きますから」
それはテトツに何かを決心させるには十分なキッカケになった。




