1.3 鉄パイプ
「割とうまい、君も食べる?」
僕は少女に半分に割った梅干しおにぎりを渡そうとする。持論だが日本人の8割は梅干しおにぎりが好きだと思っている。
「私も貰ってきたから大丈夫」
彼女はサンドイッチなんて気取ったものを食べている。僕も決して嫌いではないが。
それにしてもいったいどこに向かって歩いているのだろう。地下通路に戻った僕は再び彼女に連れられるまま歩いていた。地上から電気が失われているのに、地下通路の蛍光灯が点いているのは些か不気味な気分になる。もっともパチッと音を立てながら点滅していたり、今にも切れそうな状態のものばかりだが。
「…止まって」
右手で僕の動きを静止する彼女の言葉に従う。彼女は目を閉じてじっと耳を澄ませているようだ。僕もそれに倣って耳を澄ませる。
何も聞こえない。嘘みたいに何も聞こえない。静かすぎるとキーンって音がするような気がする現象なんて名前だっけとか、静かすぎる状態を表現するシーンっていう擬音を考えた手塚先生は偉大だなぁとか、思わず関係ないことを考えてしまった。たださっきから全然動かない彼女の体の強張りから、嫌でも僕も緊張し、最悪の展開を想定してしまう。聞いたことを整理すると、<人だったもの>は地上でゾンビみたいに発生している。夜になると集団で発生する。そして今は午前1時半…。不自然なくらい静かなこの場所で何か音がした場合はいざという場合を想定しなくてはならない。先ほど渡された鉄パイプを改めて握りなおす。
3分は経っただろうか。
「いつまで掛かりそう…?」
「…大丈夫。」
そう言うと彼女はまた歩き出したので僕はひとまずホッとした。
「これからどうする?」
「朝を待ちましょう、夜にこれ以上歩くのは危険よ」
「家…には帰れないよね」
「あの出口から出るとビルがあるの。そこの8階にマンガ喫茶があるはず」
彼女が指す方向を見ると、緑色の看板が見える。非常口だ。こんなところに非常口なんてあったかな。地上にでるときも細心の注意を払って一切の音がしないことを確認してから、彼女がまず外に出る。その後、彼女の手招きに従って僕も地上へと足を進めた。
「このビルの8階まで行こうと思うの」
かなり古い雑居ビルだ。1階、2階には外国のマッサージ屋が入っている。エレベーターも2人乗りの小さいのが1機あるだけ。もっともエレベータの上ボタンを押しても一切の反応がなかったので僕たちはあきらめて階段で上に登っていくことにした。完全に無音の世界に僕たちの足音だけがコツコツと響く。エレベーターは動いていないのに非常灯が付いているのはどういう理屈なんだろうか。
登っていく間、僕たちは言葉を一言も交わさなかった。
8階のマンガ喫茶はよく知っているチェーン店のうちの1つだった。ドアも手動で開けることができた。中には人の気配はない。ドリンクバーがあるが電気がきていないからか動作しなかった。出口から一番遠い個室に入り、カギを掛けると、僕たちはゆっくりと逃げるように眠りに落ちた。