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だい2話

進化する僕ら

 unegged people

 未熟な自分たち、という意味を込めて。



 生き物に興味を持ち始めたのは、父親が家からいなくなった時だった。


「ねえお母さん」

 私は西日が差し込むキッチンで、母の背中に問いかける。

「どうしてお父さんは、帰ってこないの? 」

「役目が終わったからよ」

「役目って何? 」

「あなたが生まれること」

「お父さんには、もう会えないの? 」

「会うことはできるわ。……もうお父さんじゃないけれど」

 とんとんとん、とまな板を叩くリズムが聞こえる。

「お母さんは、どうしてお父さんと結婚したの? 」

 たぶん。

 言って欲しかったのだと思う。

 好きだからとか。

 そういった類のことを。

 母は無機質に、

「あなたを産むためよ」

 と答えて、それまでと変わらずに調理を続けていた。





「先輩、ちょっとは手伝ってくださいよ」

 生物部の部室ーー、校舎の二階、廊下の一番奥にある「生物室」と書かれた教室で、俺らは日々の活動を行っている。活動内容は主にカエルに餌をやることだったが、それは大した問題じゃない。

 俺は、目の前に雑然とつまれたダンボール、水槽の山をみて溜息をつく。中にはなんらかの生き物が動く気配がする。

 そう。問題とは、「生物室に生き物を捨てていく輩がいる。それもいっぱい」ということだった。どうも前回のスピーチ以後、俺らのことをどんな動物も受け入れる博愛主義者だと思ったやつが居るらしく、増えすぎて困ったハムスターだの、どっかで拾ってきた小汚い猫だのを放り込んでいくのだ。

 俺はそいつら1つ1つの状態を確認し、名前をつけ、里親を探してやらねばならない。

「1番目。イチロウ。ハムスター群。

 2番目。ジロウ。青大将。

 3番目……」

 俺は手に持っていた紙切れを机上に叩きつける。

「先輩! こんなんやってられないですって。

 早いとこ掲示させてもらって、食い止めないとまずいですよ」

「君も、捨てるのか」

 一瞬。

 俺は先輩が何を言ってるのかわからなかった。捨てられたのは動物たちのほうだし、今ここにいるやつらを放棄しよう、と言ったわけではないのだから。

 どういうことですか、という言葉は、けれど先輩の弱々しい表情をみて、喉でつかえてしまう。

 だから俺は、

「捨てませんよ。俺が最後まで面倒見ます」

 そんな風に安請け合いをして。


 いつも自分の首をしめることになる。



「うん、よろしくな」

 先輩はそういって、開け放している窓のほうをむく。

 そろそろ夏だな、と俺は思う。






 俺がペットショップに向かおうとすると、ちょうど向かいの家に自転車がとまる。乗っているのは理沙だった。

「ねえ、ちょっと時間いい? 」

 彼女は俺の進路方向をさえぎりながら、そういった。

「急いでるんだ」

「わかったわよ。

 ねえ、もうあの先輩に付き合うのはやめたほうがいいわよ」

「前にも聞いた」

 俺はイライラしながら、

「だいいち、お前に関係ないだろ」

「あの先輩、いい噂聞かないわよ。それに美人すぎる。そりゃかわいいのは認めるけどさ、付き合うにしても、もっとちょうどいい相手がいるじゃん」

「俺の勝手だろ」

「なら知ってる?

 あの人の家、父親が居ないの。お母さんがお金出して、お父さんを買ったって」

「いい加減にしろよ」


 俺は理沙の両腕をつかんで、にらみつける。

「いいか、先輩はそんな人じゃない。

 それに人の不幸を、そんなふうに面白おかしく話すもんじゃないぜ」

「なによ!」

 理沙は俺の両手を強引にふりほどき、

「心配してあげてるのに!

 私はあんたが、変なことに巻き込まれないように、忠告してあげたのに。

 いいわよ、もう」

 そういうと、理沙は自転車にのり、スカートがめくれるのもおかまいなしに、猛然と家かけていく。

 先輩が、誰であっても関係ない。

 どんな生まれでも、先輩は、先輩なのだから。




 その時の俺は、そんなふうに、そのことが重大な出来事だとは思っていなかった。




「ぼちぼち人数も増えてきたな」

 先輩は教室の中を見回して、そういった。

「現実逃避しないでください。世話する動物が増えただけで、会員は一切増えてません」

「ふっふっふっ。

 それはそうだけどな。これが何か分かるか? 」

 先輩は上着のポケットから、紙切れを一枚取り出す。

 上には、「入部願い」と印字されており、その下には数名の名前が連ねてあった。


「この部屋に、たまに手伝いにくる生徒たちが居るだろう。冷やかしが大半だが、熱心にかよってくる生徒も居てな。勧誘をしてみたんだ」

「生物部に? 」

 俺の問いに、先輩は苦笑する。

「そこなんだがな。

 どうやら学問としてはそんなに興味ないらしい。ただ、生物は好きだし、世話をするのも楽しいから、入部してもいいと言ってくれた」

 手渡された入部届けの紙をよーっく見てみると、「生物部」ではなく「生物『飼育』部」になっていた。

「どうだろう。顧問は引き続き大之木先生がやってくれるそうだし。部活動となれば、予算も降りるし、餌を買うのに身銭を切らないで済む」

「それは、確かに。最近少し、懐が涼しくなってきたんで」

「規定どおりの人数も集めた。顧問もいる。この機会に、部活動に昇格してみようと思ってる」

「いい考えですね」

 と言いながら。

 俺は先輩と二人きりで居られなくなることを、残念に思っていた。

 生き物が増えて。手間も多くなって。確かに、人手があるのはありがたいんだけど。



 けれど先輩に反対する理屈もなかったから、俺はいつもの安請け合いで「明日から先生にあたってみますよ」と、答えた。



「部活動に昇格するのは、問題ないんだがなぁ」

 大之木先生はつるっとした頭をなでながら、眉を下げた。

「それはもうすぐある会議で、話してみるが。

 今までにない活動だからな。もう少し泊が欲しい」

「実績ってことですか? 」

「ま、有り体にいえばそうだ」

 俺は先輩と顔を見合わせる。

「来月、全国高校科学コンテストがある。そこで優勝とは言わないものの、せめて話しやすくなるネタが欲しいな」

「分かりました、やります。

 先輩、がんばりましょうね!」

 そして二人で職員室をあとにしようとする。

 と、後ろ手に先生に呼び止められた。

「書類のほう、問題はないんだが。

 部長はお前じゃなくていいのか? 」

「へ? なんで俺なんです」

「今年承認されても、実質活動自体は来年からになるだろう」

「先輩、まだその時3年でしょ?

 なにも問題ないじゃないですか」

「そうか」

 大之木先生はアゴを撫でて。

「問題は、ないな」

 頷いた。



 生物室の中に、人間が二人。他生き物多数。朱は棚した窓の、カーテンが揺れる。外から野球部の掛け声が聞こえて、それに相槌をうつかのようにどこかのダンボールから「みゃあ」と鳴き声が漏れる。……そこまで、全てがいつもどおりだった。

 先輩はチョークを片手に、黒板に「全国学生科学コンテストにむけて」とおっきな題目をかがげた。

「君は知らないだろうから、一応説明しておこう。某新聞社が主催するコンテストで、将来の科学者を支援するという目的で発足されたコンテストだ。ちなみに優勝者は30万円がもらえる」

「すっごいですね。そんだけあったら、ギター買えますよ」

「君に楽器の趣味があるとは知らなかった。

 まあ、それはそれとして、『健全な学生の育成』というお題目に沿った研究テーマでなくてはいけないわけだが」

 先輩の前で、カエルがゲコ、と鳴いた。

「カエルを使うわけですか」

「そう、それは決まってる。だが奇をてらったテーマではいけない」

 俺は頭の中でアイディアを出してみる。


 カエルの一番おいしい可食部について。……ダメだ、発表するまでに延々とカエル肉を食べなければならなくなる。

 カエルの鳴き声だけで合唱してみた。……動画サイトに投稿してみるのも面白そうだが、やつらにそんな知能があるとも思えない。

 カエルの舌をつかって、女性とのスカートをめくってみた。……ダメだな。そもそも健全じゃないし。


 俺は両手をあげてみせる。

「先輩、ダメっす。降参です」

「まあ、そういうな」

 先輩は苦笑して、机の中からダンボール箱を取り出す。

 そしてその中に一匹のカエルを放り込む。

「この前の、君のアイディアを少し借りようと思う」

 この間?

 俺は先輩との会話を思い出してーー

「『アマガエルの本当の色は何色か? 』ですね」

「そうだ。実験方法は簡単だ。コンテストの少なくとも1週間前まで完全な暗黒化で飼育する。餌やりは暗室で行う。その結果、カエルが何色になるかを発表するのだ。

 題して、『アンコクガエルの飼育とその生態』だ」

 俺は口元を抑えながら、

「アンコクガエルって。

 先輩もなかなかおちゃめな名前つけますね」

「ば、馬鹿にするな。

 某大学が実際に行ってる実験だぞ」

 実は照れが少しあったのだろう、先輩も頬を染めながら答える。

「これで、優勝狙えますかね? 」

「どうだろうな。ただ、佳作は取れるだろう」

 どこからその自信はでてくるのですか。

 そんな思いも、けれど先輩の顔を見てるとどうでもよくなってくる。そうだというのだから、きっとそうなのだろう。俺みたいな凡人にはわかりえない、きっと超越的な何かで、大いなる確信を持っているのだ。

 だから、俺はついていくだけでいい。


 カエルのえさやり自体は簡単ーーではなかったが、一度コツさえ掴めば、そう難しいことではない。暗室の中に水槽を置かせてもらい、では入り用の扉には「アンコクガエル飼育中につき出入り厳禁」とでかでかと掲示をした。

 さらに厳重に、入口の鍵は俺と先輩しか持たないようにした。生物室の鍵は大之木先生が管理しているから、実質2重の鍵がかかっているといっても差し支えない。


「元気に育てよぉ」

 俺は友人から借りた暗視ゴーグルをかけながら、カエルに餌をやっていた。ピンセットを小刻みに動かし、まるで活きのいい餌のように思わせる。

 カエルは舌を出してそれを掴み、嚥下すると、まるで「ごちそうさま」と言わんばかりにゲコと鳴いた。

 毎日顔を突き合わせていると、たとえカエルであってもかわいくなるもんである。


 暗室を出て、扉に鍵をかける。

 生物室には、女生徒が一人残っている。一番熱心に飼育をしてくれている子だ。名前はたしか、百日紅さん。

 彼女はインコの雛に餌やりをする手をとめて、彼女はこちらを見た。

「カエル、どうです? 染まってます? 」

 彼女は暗黒下で飼育したカエルは、真っ黒になると思っているらしい。

「まだわかんないよ。暗視ゴーグルじゃ、陰影しか判断できないし」

「くぅつ、楽しみですね。

 まっくろでツヤツヤしたカエル、でてこないかなぁ。魔法とか使えないかなぁ」

 そっちのダークじゃないんだけどなあ、と俺は苦笑する。

「百日紅さん、まだ学校に残ってる? 」

 時計を見ると、短針は7時をまわってる。

「えと、もう少しだけ。

 この子達が食べ終わったら、帰ります」

「それじゃあお願いがあるんだけど、部屋の電気だけお願いしてもいい? 」

「分かりました! 」

 威勢のいい返事に、思わず顔がほころんで。

「それじゃあ、外も暗くなるから、気をつけて帰ってね」

「そっちこそ。

 道草食って帰らないでくださいよ」

「気をつけるよ」

 そういえば、外から野球部の声が聞こえない。部活時間が短縮になったのだろうか? やけに暗くなるのも早くなった気がするし。

 と、コンテストを2週間後だった。

 もう秋なのだなあ、としみじみしながら俺は部屋をあとにする。




 次の日、俺が生物室に入って目にしたのは、困った顔をして腕を組む先輩と、土下座するかのように地面に膝をつく百日紅さんだった。

 そのただならぬ空気を察して、カバンを持ったまま、静かに二人に近づいていく。

「どうしたんですか? 」

 俺の声に気づいて、先輩がこっちをむく。その表情は珍しく、憔悴しきっていた。

「どうした、か。

 これを見て欲しい」

 俺は先輩の後ろをついて、暗室に入っていく。

 そこにはアンコクガエルが居るはずだが、


「あれ、部屋の中の明かり、ついてますね」

 もう実験の結果が出たのだろうか。俺はほんの少しの期待に胸をふくらませ、いつもの水槽をのぞきこんだ。

 久しぶりの明かりに驚いたのか、カエルたちは、活発に動きまわっている。そしてその色は、

「へえ、カエルの色って青いんですね。なんだか意外だ」

 それも、よく見たことがある色だ。毎日見ている。たとえば、机。教室の机。生物室の、実験用の机。

 カエルは、実験室の机とまったく同じ、ダークブルーの色に染まっていた。

「実験は失敗だ」

 完結に、先輩は言う。

「この部屋に、非常用の明かりがあるとは思わなかった。機能、消灯を百日紅さんにお願いしたろう?

 その時に間違って、ここの明かりがついてしまったらしい。帰ってから、今日気がつくまで。

 都合20時間。カエルは明条件で、しっかり机の色に擬態してしまった」

「ちょっと、ちょっとまってくださいよ先輩」

 今まで必死に育ててきたカエルをーー、まるで親の敵のようににらみつける先輩の間に、割って入る。

「でも、本当にこの色かもしれないじゃないですか?

 そう、たとえばーー、俺ら人間には分からないぐらいの暗さでも、カエルは色を識別できる。だから同じ色になった、とか」

「ありえない話じゃない。

 けれど、どうやってそれを証明する? 」

 全身の力が抜けて、その場に座り込む。

「明かりをつけて、すぐ観察したなら、その理屈も通るかもしれない。けれど今回の場合は違う。20時間も経過してしまっているんだ。

 それは普通、擬態するのに十分すぎる時間だ。

 もう私たちには、そうだと説明する証拠も、そうじゃなかったと反論する根拠もないの」

 先輩も、俺と同じ気持ちらしかった。

 両手を顔に当てて、暗室の椅子に腰掛ける。

 遠くから野球部の掛け声が聞こえる。「かっせ!かっせ! お・お・む・ら!」

「でも、まだですよ先輩。

 来年。これから一年かけて、来年のコンクールを目指しましょうよ」

「もう、無理なの」

 そこに居たのは。

 いつもの強気な。

 いつも自信満々な。

 それで理屈っぽく。

 偏屈な。

 ……俺が信仰する、信頼する、心酔する、大好きな先輩の姿ではなかった。


 ただ目の前の理不尽に打ちのめされ、自分の無力さをなげく、たった一人の少女だった。

 今度は。

 俺がもっとしっかりします。先輩にばかり負担をかけてました。ちゃんと飼育します。失敗しないように、みなに説明をします。だから今度は、きっとうまくいくはずです。


 そんな心の中の思いは、次の先輩の言葉に、かき消された。


「もう無理なんだ。

 私は、9月までしかこの学校に居られない」

「ど、どういうことですか」

「この学校をやめて、アメリカに行くんだ。飛び級というやつで、先に大学に進学する。

 君との生活は楽しかった。最後の思い出に、と思ったんだ。何か形に残るものを残したい。

 漫然と生き物にかかわるだけじゃない。『生物部』を残していこう、と思ったんだけどな」

「どうして、言ってくれなかったんです」

「どうして? 分からない。

 楽しそうな君の顔を見てると、どうしても言いづらくて」

 弱りきった先輩をそれ以上責めるのが酷な気がして。俺は黙り込む。



 カエルがどうとか。

 そんなのどうだっていいじゃないか。

 先輩がいなくなる。そのことのほうがずっと問題だった。


「どうにもならないんですか? 」

「ならないな。もう手続きは住んでいる」

「絶対に、どうにも? 」

「それ以上、いじめないでくれ。私だってーー」

 先輩は顔を伏せたまま、暗室から出て行く。



 いろんな思い出が、頭の中をぐるぐるまわる。笑った顔、不満げな顔、染色体について、説明してくれた時の得意そうな顔。どれもアルバムにいれてしまっておきたいぐらい、大切な思い出だ。

 いつか別れがくると分かっていても。

 それがこんな風に突然で、バカみたいに理不尽だとは思わなかった。

 もっといろんなことをしたかった。コンテストで優勝して、二人で喜びあいたかった。部活動に昇格して、新入生を勧誘したかった。二人で花を見に行ったり、うんちくを聴いたり、たまに珍しい生き物を捕まえたりして。

 けれどそれも全て、叶わぬ夢なのだ。

 俺は、夢から覚めてしまったのだ。


 俺はにじむ視界の中に、カエルが居ることが許せなくて、

「こんなやつ、必死になったって」


 















 部屋の中から、ゲコ、と鳴き声がした。


 俺は確かに、夢から覚めた。

 ……けれど現実は、まだ続いている。

 急いで暗室の証明を消し、俺は来るべき現実に備え、準備を始めた。




 


 

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