源氏物語(仮)の主人公になったみたいです
お久しぶりです。思い付きです。
どこか間違っていたら指摘ください
794年から1192年までの時代を後の人は平安時代と呼んだ。(鎌倉時代成立を1192年ではなく、1185年からと考える人も多いだろう。また、異なる年を考える人も多いことであろう。)仏教を政治から切り離そうとした桓武天皇から始まり、藤原氏の台頭、そして宮中では女流文学が栄え、藤原氏を嫌ったことによる院政、そこに生まれた対立、武士の台頭...。この約400年間で様々なことが起こり、様々な変化がこの日の本で生まれたのだった。
ところで、1000年頃と言えばかの有名な『枕草子』『源氏物語』『和泉式部日記』などが生まれた頃である。この中の源氏物語は紫式部という女の人が書いた。源氏物語とは、身分の低い母と天皇との間に生まれた光源氏が、あらゆる女性を虜にし、一旦は宮中から退くがその後再び栄華を極めると言う話である。作者の紫式部が仕えたのは、彰子という女性だ。彰子といえば、かの藤原道長の娘であり、時の帝 一条天皇の正妻である。(道長といえば『この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることも無しと思へば』という和歌を詠んじゃった事でも有名である。)道長の父は藤原兼家といってプレイボーイだったことで有名である。兼家の妻の一人には『蜻蛉日記』を書いた藤原道綱母もいる。道綱母は身分が低く、兼家からプロポーズをされても断っていたが、兼家の強い押しによって彼女は折れてしまい兼家と結婚する。彼女も兼家のことを好きになっていたのだろう。しかし、この時代の女性には(というよりも男女平等が叫ばれるまでの女性には)仕方がない事だが、一夫多妻の時代、彼女の愛する兼家は他にも女が居て自分以外の女にも愛を囁き子をなすのであった。しかもだ、この時代通い婚ゆえ、夫が通ってこなくても女は待たねばならなかったのだ。
そういえば、まだ名を名乗っていませんね。自己紹介をすると、わたしは、源氏物語が生まれた約1000年後の日本という国に住んでいた長谷部小夜子という女でした。わたしには、姉がいました。諸事情により残念ながら姉の名前も顔もわからないのですが、姉について確かに覚えていることがあります。それは姉は源氏物語オタクだったことです。姉は源氏物語が好きすぎて読み込みまくり、なんと幸運なことに大学入試の志望校では源氏物語出まくり。しかも、初見ではわかりづらいところが出題され、平均点がどん底のなかわたしの姉は満点を取り、無事合格。大学では源氏物語研究の教授とお茶をして楽しむほどの源氏物語オタクでした。一方わたしは、源氏物語はどちらかというと苦手で、清少納言が書いた枕草子の方が好きでした。どうも、主人公光源氏が好きになれなかったのです。それゆえ、彼に憧れた人のことも源氏物語オタクの姉の気持ちは全く理解できませんでした。源氏物語オタクの姉とどちらかといえばアンチ源氏物語の妹の仲は良くないと思われるでしょうが、わたしと姉の仲は良好だったようで、わたしは姉作の源氏物語を元にした作品にアドバイスなどをしていたようです。
最初に平安時代を語り、次に女流文学を語り、最後に姉について話したのには、理由があります。わたしはどうやら転生とやらをしたようです。しかも転生先は平安時代っぽいところです。っぽいところなのでわたしの転生先をとりあえず平安時代(仮)と呼ぶことにしましょう。わたしの平安時代(仮)での母の名前は桐壺帝(正しくは人々からは帝と呼ばれていますが裏ではある理由でこう呼ばれているのです)、父の名前は桐壺更衣といいます。平安時代(仮)のわたしにもどうやら姉がいるようで、姉の母の名前は弘徽殿男御といいます。みなさん、あれ?と思いませんか。帝は男であるものだし、更衣は女がなるもの、しかも女御ならともかく男御とはなんだ?と。(正しくいえば、女性天皇もいますが。)しかも、桐壺帝とか桐壺更衣とか弘徽殿とか。こちらのお名前って言えば、源氏物語が生まれて約1000年後の日本での姉が嵌まっていた源氏物語で聞いた名前……。………………、みなさん現在のわたしの状況を理解していただけだろうか。どうやらわたし源氏物語(仮)(※男女逆転ver.)の世界に生まれてしまったようだ。あ、今回も本名は小夜子ですよ。
いきなり、男女逆転源氏物語と言われてもパッとしないと思うので、混乱している頭で頑張って説明してみますと、知っての通り源氏物語の主人公光源氏は男である。強調しよう男である。男尊女卑、通い婚、女は男を待つ、プレイボーイの時代であるはずの平安時代の物語の主人公なのだが、わたしのいる平安時代(仮)では、女尊男卑、通い婚(女が男の元に通う)、男は女を待つ、プレイガールな平安時代なのだ。
大変申し訳ないのだけれど、わたしも混乱しているのです。よくわからない説明ですみません。
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「いづれの御時にか、男御、更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。」
そんな言葉で始まる(だろう)物語の主人公であることを理解したのは、わたしが3歳の夏に父 桐壺更衣が亡くなったときのことだった。それまでは、ただぼんやりと生きていた。
ただ父親に母親はかなり執着していたことは、幼いながらわたしにもわかっていた。だからといって、母はわたしを邪険することなく逆に父の面影を持つわたしを可愛がっていてくれた。第一皇女よりもだ。それに怒り狂ったのが母の正式な旦那(第一皇女の父)弘徽殿男御であった。第一后夫(この呼び方でよいのだろうか)であった彼が、わたしの父桐壺更衣を嫌いいじめ始めると、あまたさぶろふ母の夫たち、そして夫の付き人たちもわたしの父をいじめ始めたのだった。相手が男だということもあってか、姉が語った桐壺更衣(女)への弘徽殿女御たちからのいじめよりも陰湿なものを父は受けていた。父は日に日に衰弱して遂には病気になってしまうが、母は父を愛していたため側に置こうとした。そのせいで父は、治る見込みがなくなってしまったのだが。父がまだ生きていた頃の話である。わたしは、まだ自分が源氏物語(仮)の主人公であることを自覚する前のことだ。わたしは、日に日に死へ歩み寄る父に問いかけた。『どうして、お父様はお母様から逃れないのですか。小夜子もお父様と共にお逃げします。』と。わたしのその問いかけに父は、『優しいね小夜子は。』と答えた。そのときの父の表情は柔らかくいつもわたしに見せてくれていた温かい笑みだった。しかし、父が次の言葉を紡いだときに見せた笑みはわたしの背筋を凍らせた。わたしは、病床の父が告げたあの言葉を一生忘れられないだろう。『でもね、小夜子。ここで俺が死んでしまえば桐壺帝は俺を忘れられないだろうね。俺を深く愛したことで、逆に俺を殺してしまったのだから。彼女は優しいから。フフフ。弘徽殿様も馬鹿ですね、俺が死ねば彼女は一生俺に縛られてしまうというのに....。アハ、ハハハハハハハハ!!ゲホッゲホッ、だからね、小夜子、お前を遺して死ぬのは心残りであるけれど、同時に彼女を俺に縛り付けてくれる枷になってくれることを期待している酷い父親なんだよ、俺は。小夜子、優しい桐壺帝によく似て優しい小夜子、お前がいくら俺を生かそうとしたって、俺は死ぬことしか望んでいないからね、フフフ。』わたしは、母よりも父が異常なことを3歳にして知ったのだった。
さて、月日は流れた。今まで父 桐壺更衣を思い続けた母がある日、新たな夫を向かいいれた。わたしの母 桐壺更衣によく似た男の人を。その人の名は藤壺男御、先帝の息子であり実父よりも遥かに身分がよい人であった。わたしの父は身分の低さ故に弘徽殿男御にいじめられていたのですが、(身分がはっきりとしている時代に身分の高い帝の夫が身分の低い帝の夫をいじめても、帝ははっきりと咎めることはできなかったようだ。でも、同等の身分同士でいじめがあると帝は咎めることができるらしい。)先帝の息子である藤壺男御を弘徽殿男御はいじめることはできないようだった。母 桐壺帝は、幼くして父親を亡くしたわたしを大層憐れんだらしく、桐壺更衣に瓜二つの藤壺男御にわたしの世話を託した。
「光る君、いかがなさいました?桐壺更衣様が恋しいのでしょう.......。この私 藤壺男御、しっかりとあなた様を立派な皇女様に育てるよう帝から命令されたのです。亡き桐壺更衣様を本物と父と思ってくださって結構です。ですが、どうかこの私を受け入れてくださいまし、光る君。どうか、この藤壺にその美しいお顔を見せてください.......。」
まず、『光る君』とはわたし小夜子のことである。光る君の呼び名の由来は父親譲りの美貌を持つ.......というわけでも、本物の源氏物語の主人公 光源氏のように輝くばかりの美しさを持っている.......というわけでもない。真の理由は、わたしの持つ髪の美しさだ。日の光に当たった時、月の仄かな光に当たった時、曇りの時、雪降る時の、それぞれの場面で見せる髪の表情が異なりながら美しいことが呼び名の本当の理由なのだ。ちなみに、名付け親は母である。なんだか、見目形が麗しいわけではないのでがっかりしたけれど、髪がきれいと誉められ嬉しくなるくらいにはわたしだって女の子なのだ。
続いて、この藤壺男御であるが今の母のお気に入りである。その理由は勿論、最愛の夫 桐壺更衣によく似ているからであろう。そんな彼に母が付けた名は『輝く日の宮』。彼のその名の由来は、わたしみたいに髪だけ誉められてるのではなく、その麗しい容姿、バランスのよい体格、光に当たれば様々な色を見せる髪、高貴な人しか纏えない紫を帯びた目、深い教養、美しい声 (つまりイケボというやつだ。).................................................などなど、あげればきりがない。それほど素晴らしい男である。(つまりは、わたしの父も同じくらいイケメンだったということだが...。)
勿論、約1000年後日本に暮らしていたわたしの年を考えてしまえば既に成人済みのわたしがこんな素敵なお義父様に見ぼれたりしないわけがなかった。あ、恋愛感情は抱いてませんよ!あと、お義父様が顔を見せてっていってますけど、この源氏物語(仮)は元の源氏物語、または平安時代と同じく女性は男性に顔を見せないのが常識です。あと、女性は男性の顔ジーッと観察できますよ。平安時代と少し違うのは皇女レベルの身分の高い人は成人前でも実の両親にしか顔を簡単に見せてはいけないことだ。女性が男性に顔を見せるって言うのは、付き合ってもよいという許可をおろした時ぐらいらしいけど、たぶんこの素敵なお義父様は、婿入りしてきたら奥さんに義理の娘だけど面倒見てって言われて、顔見て育てた方が父性が働くって思ったんだろうな。
もしも、わたしがこの世界が源氏物語(仮)だということを知らなければ、この藤壺男御に顔を見せていただろうが、なんせわたしはこの世界は源氏物語のパロディーだと思っているので、ここで藤壺男御に顔を見せることはできない。過ちがあってはならないのだ。
わたしは、3歳の夏、全てを理解したあと心に決めたことがあるのだ。それは、光源氏にはならないということだ!わたしの偏見で申し訳ないが、わたしのなかでは光源氏=マザコン、ロリコン、熟女好き、女好き .................................................といった感じである。もしもだけれど、わたしが光源氏と同じ道を歩むのならば、小夜子=ファザコン、ショタコン、枯れ選、男好き.................................................になってしまう!わたしは、旦那は一人でいいし、小さい男の子に恋愛感情は抱きません!お父さんにも抱きません!ダンディなおじさまにもいだ、いだ、(※小夜子は元々男は三十路からだと豪語していた。)くっ、抱きません!わたしは、自分と釣り合いのとれた一人の男性と恋愛したいのです!だから、もしもここで顔を隠す扇から顔をヒョコッと除かせてはならないのだ。もしも、藤壺男御がダンディなおじさまだったら心が揺らぐが、彼はわたしの五つ上、まだまだダンディなおじさまにはたりないのだ!
なーんて、わたしがのんきなことを考えて、空想に耽っていたとき傍らの美男子が「ああ、まだダメか。顔を見せてくれれば、無理矢理でも迫れるのに.......。」なんて呟いていたことを、わたしは知りもしなかったのだ。
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さあさあ、みんなとある女の話をしよう。今となっては昔のことだが、ある時代、帝と身分の低い男から生まれた一人の皇女がいらっしゃった。彼女は、父親譲りの美貌は持たなかったが、この世で最も美しい髪をもっていたそうだ。そんな彼女を人々は、唐の傾国の美女楊貴妃を真似たのか光貴妃と呼んでいる。その理由は、あまたの男を手玉にとりながら、幼き童を最高の自分の夫として教育したり、前の帝の夫を我が物にしたり、母の夫さえ手にいれて不義の子までつくったりしてしまったからだ。人々は、彼女はさぞ幸せだったろうと語るけれど、俺はそうは思わない。噂によると、どうやらその女、実は性悪な男に逆に囚われてたとか。母の夫なんて、彼女に嘘泣きしてまで顔を見せてもらって、彼女が成人した晩に襲ったとかなんとか。まあ、こんな旅人が語る昔話なんて、みんな信じる信じないは自由だぜ。