春と童話にしゃべる犬
「まずは、春物のワンピースを買いたい」
そう言って彼女がボクに同行させたお店は、パステルカラーで統一されている可愛らしさを前面にだしたお店だった。
五感すべてに感じる男子禁制の雰囲気に、お店の前で立ちすくんでしまった。
「はーやーくっ」
彼女が動かないボクの右手を握る。
小さく、温かく、やわらかい手。
それが優しく店内へ引きずり込んでゆく。
抵抗することなんてできなかった。
店員さんもお客さんも、店内には女の子しかいない。
時々、女の子たちが異質なモノを見るような視線をボクへ向けてくるが、となりで手をつないでいる彼女を見てすぐに無関心となり視線をそらした。
ボクたちふたりへの苛立ちのような視線に変わるのも感じたが気のせいだろう。
買いたいものは決めていたらしく、目当てのモノをふたつほど持ってきてボクへ見せた。
右手には、白基調で大きな花がいくつかちりばめられたシャツワンピース。
左手には、全体が薄いピンク色で、肩から胸元までが白いセーラーカラーとフリルで覆われている丈の短いワンピース。
「どーっちだ?」
そう言いながらボクの眼前へ突きつけている。
どちらか選べと言うことは、正解・不正解があるのだろうか。
ふたつを見比べてすこしだけ考え、
「――こっち」
彼女が左手に持っているワンピースをゆびさした。
「ファイナルアンサー?」
「……ファイナルアンサー」
左手のほうが、いま彼女が着ている服から考えると趣向に似ているものがあった。そして、無意識だったのか意識的だったのかはわからないが、右手よりも左手をボクに近づけていた。
こちらで間違いないはずだ。
「――――」
黙ったまま『ほんとうにこっちでいいのかなぁ?』という視線でゆびさすボクを見ている。
「じゃあこっちにしよう」
いきなり普通の調子に戻り、変にマをはずされてしまった。
正解、だったのだろうか。
彼女は、ボクの選んだワンピースをもって試着室へはいりカーテンを閉めた。
女性ばかりの店内で試着室の前に置き去りにされるのは場違い感のような居心地の悪さがあった。
ここで待っていていいのだろうか。
彼女がカーテンから顔だけ出してこちらへ言う。
「そういえばさ、なにがあれば『童話』だと思う?」
それだけを言って彼女はふたたびカーテンを閉めた。
待っているあいだの退屈しのぎに考えておけという事だろうか。
『童話』と言われてもここ数年は読んでいないため、すぐには思い付かない。
なので、その定義を問われても考えを巡らせることはできなかった。
そんなボクに向かって、ほほほほほ、と軽い調子で笑う声が聞こえた。
見ると、隣の更衣室の前におかれた金網のキャリーケース、そのなかにはいっている犬がこちらを見ている。
長い体毛は白を基調とした黒とこげ茶色が所々に交じっている、パピヨンとよばれる犬種だったと思う。
お座りの姿勢でこちらを見上げている
「失礼。童話の定義など簡単ですわ、動物が話すことですよ」
声が小さいため聞き取りづらく思い、ボクはパピヨンの隣に膝を抱えるようにして座った。
「あら、ありがとう」と言ってパピヨンはそのまま話を続ける。
「『あかずきん』の狼、『長靴をはいた猫』の猫、『三匹の子豚』の豚、そのような童話は数え上げればキリがありませんわ」
確かにそうかもしれない。
動物との意思疎通は子供が持つ願望としてもっともポピュラーなものだ。
それを実現している物語を『童話』と呼ぶのは間違いではないと思う。
「さかのぼれば、それは――」
その時、飼い主と思われる女性が更衣室から出てきた。
横に座る僕を気にもせず、パピヨンのはいったキャリーケースをもってカウンターへ向かう。
ボクがパピヨンに手を振ると、向こうも金網をなでるように上下に両前足を振りかえしてきた。
「下から私の更衣室をのぞき込もうとしてた、とか?」
振り返り見上げると、ワンピースを試着した彼女がボクを見下ろしていた。