夕日の影
春が間近に迫った一月。僕の姿は学校にあった。
去年入学した僕も、あと三ヶ月もすれば二年生になり、下級生ができる。
成績は良い方で、授業態度も良くしている。きっと留年はないだろう。
「…………平和な日々に潜む殺意、か」
担任が発した言葉を、線をなぞる様にに呟く。
今受けている授業は総合学習。テーマは『殺意』だ。よく考えればとんでもないテーマだが、同時に興味深くもある。
人は誰しも、殺意を持って生まれ出る。それは自衛という本能があるからだ。
自らの身を護るため、人は殺意を持った人間を殺す。殺される前に殺すという考えの誕生だ。だが同時に、負の連鎖を生み出す考えでもあった。
その考えの結果、人は大勢死んだ。みんながみんな、同じ考えを持ったからだ。
人は自らの行いに恐怖し、戦慄した。
そして人は、法を作った。
人を殺してはならぬ。殺した者は罰を受ける。
至極真っ当なことだ。そのおかげで、死人は減ったのだから。同時に間違ったことでもある。
だって人を殺さないことなんて、できないのに。
人は必ずしも、殺人を犯す生き物だ。
事実、今もこうしている間に、世界では飢えや疫病で誰かが死んでいる。
だがここに居るものはそれを知らない。無知が罪ならば、どうなる?
その事実を知っている者がいるとしても、その人は知らない人だからと割り切る。見捨ててるのでは?
この場にいる者は、今死んでいる者たちを見殺しているのではないか?
それすらも、殺意がないと言って目を背けるのか?
人が殺人という業から逃げることは、不可能だ。
同時に、死から逃げることもだ。
見計らったように、先生の話が終わったところで終業のチャイムが鳴った。
クラスの皆が一斉に立ち上がり号令する。先生が教室から出て行くと、まるで訓練したかの様にほとんど全員が同時に、カバンを手に取って教室から出ていく。ある者は部活へ、ある者は教室に残って勉強や談笑、またある者は友達と近くのショッピングモールに遊びに行くなど、自由な放課後の時間になった訳だ。
僕は部活は入っていない。教室に残る理由も無い。友達がいない訳じゃないけど、遊びにも行かない。
僕は、僕のスクールバッグを取って、教室を出て行く。
向かう先は、いつものあの場所だ。
「やっぱり、ここは静かで良い場所だ………」
僕が来たのは、体育館の裏。右を体育館のコンクリの壁、左は草木で囲われた、真っ直ぐ続く空間。
よく柄の悪い人たちが殴り合いする時に使う場所、というイメージがある。生憎、この高校にはそういった人たちはいないので、安全な場所だ。
体育館自体、防音設備が完璧みたいで体育館内での部活の音は聞こえない。
僕にとって、憩いの場所だ。
ここを見付けたのは去年の秋。
特に意味もなくブラブラしていたら、偶然見付けた。人気も、雑音もなく、ただただ落ち着ける場所だった。
奥には、沈む夕日が綺麗に見える絶景スポットがあったりする。
そんな素晴らしい空間だが、それでもこの空間にいるのは僕ひとりだ。まさに独り占めだ。
今日も今日とて夕日を見に来た訳で。それまでは、優雅に読書だ。
僕はコンクリでできた地面に座り、コンクリの体育館の壁を背凭れにしながら読書を始める。日の入り時間までは奥に行かず、ここでこうして時間を潰すのも、ひとつの楽しみだ。
それから、僕は本を読みふけっていた。黙々と読み続け、その時間が来るのを待ちわびていた。
そして二時間が経ち、腕時計を見ると目的の時間まであと五分だった。周りはすでに、少しづつだが確実にオレンジ色に染まっている。
僕は急いで読み途中の本に栞を挟み、本をバッグに押し込むと奥へと走った。
一歩進むごとに、心臓が高鳴る。これもいつものことだ。あの感動的に美しい光景を、僕は見ることができるんだ。そう思うだけで、幸せだった。
周りから考えたら変かもしれない。だけどそれでも良かった。周りなんて関係なかった。
絶景へ向かうための角を、僕は曲がった。
その先にあったのは、美しい夕日だった。
だが、今日はいつもとは違う光景だった。
そこには、夕日の方を向いている、髪が恐ろしく長い女生徒の背中があった。
僕は、止まった。
砂の音に気付いたのか、人の気配に気づいたのかわからないが、彼女は僕の方へ向き直った。
夕日をバックに、長く美しい黒髪を風に靡かせた彼女と、視線が合った。
その瞳は、どこまでも続く闇のように、漆黒だった。
僕と視線が合った彼女は、妖しく、笑った。
まるで、獲物を見つけた獣のように。
その艶かしい唇が動いたのは、その直後だった。
「―――――――――貴方、殺すわ」
透き通った声で、彼女は僕にそう言い放った。
その言葉は、まるで麻薬のように僕の脳内を支配していった。
僕は――――――小鳥遊真澄は、ただただ彼女に見蕩れるしかなかった。
彼女の右手にある、銀色の陽を放つ物に、気付くことは、できなかった。